[Blue Destiny]


「バスター、入ってもいい?」
 控えめなノックのあと、レアナがそう続けたのが聞こえた。
「ああ、いいぜ。入れよ」
 自室でコーヒーを飲んでいたバスターは、レアナに対し素っ気無く答えた。スッと扉が開いて閉まると、そこには胸の前で左手を抑えるように右手を添えているレアナの姿があった。そのままレアナは何度も入ったことがあるバスターの部屋の空いた椅子に、ストンと腰を下ろした。
「どうしたんだ? 左手、どうかしたのか?」
「ううん、大丈夫……心配しないで」
 そう言ってレアナは微笑んだが、すぐにまた沈鬱な表情に戻ってしまった。
「……やっぱり、明日のことか?」
 レアナの様子を見かねたように、バスターは静かに問うた。レアナはこくりと頷いた。
 明日、というのは西暦2521年7月13日のこと。軽級巡洋艦TETRAは1年間、地球の衛星軌道上を漂っていたが、食糧とエネルギーの枯渇のため、とうとう地球に降りる決断を迫られた。その前日にあたるこの12日、各シルバーガンの最終チェックを済ませた後は各自、自由行動を取ってよし、とのテンガイの言葉を受け、クルー各自はシルバーガンの稼動チェックなどを済ませた後、こうして割り当てられた自由時間を過ごしていた。バスターは何をするでもなくコーヒーを飲んでいたが、そこへレアナが訪れてきたのだった。
「……うん。とうとう来ちゃったね、この日が……」
「そういえば……ガイはどうしてるか見かけたか?」
「ガイなら、さっき通路で見たよ。何かペンダントみたいな……そう、銀色のロケットをぎゅっと握りしめてた……きっと、大事なものなんだろうね……」
 バスターはガイが持っていたというロケットが、以前自分が偶然拾ったものだろうと思った。ロケットの中には見知らぬ少女の写真が入っていたが、きっとそれはガイにとってかけがえのないものなのだろう、そう判断したバスターは、ガイに気付かれぬようにそっとロケットをガイの元に返したのだった。
「あたしにとって、この指輪やバンダナが大事なものなのと一緒なんだろうね……」
 バスターがグローブを外したレアナの手元を見れば、そこには前にレアナにやったバンダナともうひとつ、彼女の誕生日に贈った指輪が見えた。その指輪はレアナの左手の薬指にぴったりだったというもので、普段はグローブの下に隠して見えないようにしていた。
「……それだけ大事にしてもらえりゃ……俺も嬉しいよ」
「だって、どっちにもバスターの真心がつまってるんだよ? それをぞんざいになんて……出来ないよ」
「えーと、そのー……そんなこと言われたら恥ずかしくなっちまうだろ」
 バスターは顔を若干赤くして、残っていたコーヒーを飲み干した。バスターのそんな様子にレアナは思わず笑みを浮かべた。
「ねえ、バスター。ちょっと頭を下げてもらってもいい?」
 レアナは立ち上がりバスターに近づくと、微笑んだまま尋ねてきた。
「?あ、ああ。いいぜ」
 バスターはレアナの急の言動に少し驚いたが、素直に頭を下げた。
「ありがと……もういいよ」
 バスターが顔を上げて胸元に目をやると、そこには青い石のペンダントがぶら下がっていた。石は直径1cmもない小さなものだったが、上品な光沢を秘めていた。
「レアナ、これは……?」
「……あたしのお父さんがね、いなくなる前の最後の誕生日プレゼントにくれたものなの」
「それじゃ……お前にとっちゃ代わりのない大事な形見じゃねえのか? いいのか? 俺なんぞにくれてやっても?」
「バスターだから受け取ってほしいの」
 戸惑うバスターに対し、レアナはキッパリと答えた。
「その石ね、ラピスラズリって言って、その石を贈られた人を守ってくれるんだって。あたしは……確かにお父さんともお母さんとも離れ離れになっちゃったけど……でも、施設にいたとき嫌なことばっかりだったわけじゃないし、TETRAに乗ったあともみんなと楽しかったし……今もこうやって、バスターのすぐそばにいられるもの」
 レアナはバスターの背後から、彼の肩を抱きしめるようにぎゅっと腕を交差させた。バスターもレアナの手に自分の手を重ねた。互いの心音が聞こえてくるようだった。
「だから……バスターのことも、少しでも守ってくれると思う……ううん、少しでも……守ってくれてほしい……」
 目を閉じ、祈るように厳かにレアナは呟いた。バスターは自分の首にかけられたペンダントと、レアナの左手の指輪にそっと触れ、目をやった。
「このペンダントとお前の指輪……どっちも青色なんだな」
 バスターの言葉にレアナが瞳を向けると、光沢や色が違うとはいえ、確かにバスターは首にかけているラピスラズリのペンダントと、レアナの指輪にはめこまれた石は同じ青色だった。
「ほんとだ……あたしの指輪の石……これ、確かサファイアだったよね?」
「ああ、そうだ……同じ色の石をやりとりするなんて……偶然の一致だな」
 バスターの首と肩に込められたレアナの力が心なしか強くなった。
「バスター、サファイアに込められた言葉ってどんな意味か知ってる?」
「え? い、いや、俺はそういうことまでは知らねえけど……」
「サファイアの石言葉はね、『慈愛』とか『誠実』って言うんだよ。だから、この指輪のサファイアにも、バスターのそんな優しさが込められているんだと思うの……ありがとう、バスター」
「お、俺はその、そこまでは考えていなかったけども……その……」
「照れちゃって。バスターって本当に照れ屋さんだよね」
 クスッとレアナが笑みをこぼすと、バスターは耳まで赤くしていた。しかし、その手に握ったレアナの左手とペンダントに込められた力はいっそう強くなっていた。
「この指輪とバンダナ、きっとあたしを助けてくれると思う。それがたとえ、小さな救いでも……」
「レアナ……」
「そのペンダントも、同じようにバスターを少しでも……きっとなにか助けてくれると思う。少しでも……」
「お前が俺のために案じてくれたものなんだ。きっと何かの効力はあるさ。俺こそ……ありがとうな、レアナ」
「うん……あたしがいっぱい念をこめたんだからね」
「強運のお前の念だったら、石の力も倍々になってるだろうな」
 バスターが笑いながら言うと、レアナは少々ぷーっと頬を膨らませたが、すぐに微笑みを取り戻した。
「そうだよ。あたしの念がたくさん入っているんだからね?」
「邪険になんてできねえな……こんな大事なペンダント」
「大事……あ、ありがとう……バスター」
 レアナはさきほどのバスターのように赤面してしまっていた。そんなレアナの手をいとおしく握ると、バスターは静かに呟いた。
「これ以上に大事なものなんて、このTETRAのクルーぐらいだ。ガイに、艦長に、クリエイタ。それに……レアナ、お前だよ」
 レアナは言葉もなく赤面したまま、バスターの首にかじりつくように抱きついたままだった。バスターは後ろから回されたレアナの手を力強く、しかし優しく握っていた。西暦2521年7月12日の――昼下がりの小さな出来事だった。



あとがき


BACK
inserted by FC2 system