[想い合うかたち]


 昼食が済んだ後のTETRAの食堂に繋がって設けられた厨房。食事の準備や後片づけはクリエイタの仕事だったが、クルー達は3人のうちの誰が言い出した訳でもないが、めいめいに手が空いていれば自発的にクリエイタの手伝いをしていた。
 今日もレアナが食べ終わった食器を食器洗浄機にセットしており、後片づけをクルーらに任せたクリエイタは食堂とは別の区画に設けられている食糧庫で食材をチェックし、限りある食材でも栄養面に偏りのない食事の計画表を再確認していた。
 レアナが食器をすべて洗浄機にセットして稼働させ、ふうとため息をついたとき、食堂のほうからダスターを手にしたガイがやって来た。
「あれ、ガイ。食堂のおそうじはもう終わったの?」
「おう。そりゃもうテーブルなんかピカピカだぜ?」
「もう、ガイったら大げさなんだから」
 レアナがそう言って笑うと、ガイも釣られるように笑った。ひとしきり笑った後、レアナはガイにまた問いかけた。
「バスターは艦長のお仕事のお手伝いがあるからいないんだよね?」
「ああ。二人で艦橋のメインコンピュータの点検をやるって言ってたな」
「そっか。じゃ、後でコーヒーでも二人に持ってってあげないとね」
 バスターとテンガイへのレアナの労りの言葉を聞いたガイは、彼女と初めて出会った時に比べて、確実に彼女の精神年齢が成長していることに改めて気づいた。
 もともと、レアナは良心だけでその心が形成されているのではと思うほど純粋であったが、反面、実年齢とはかけ離れた幼い面も目立っていた。
 それが今は、家族同然の存在とはいえ他者を自主的に気にかけて気を利かせるまでになっており、この一年間でレアナは18歳という実年齢に精神も追いついていたのだなとガイは感じた。そんなことをガイが思っていたとき、レアナは不思議そうな顔でガイを見つめ返した。
「どうしたの? あたしの顔、なにか変?」
「い、いや、なんでもねえよ」
 ガイは所在なげに髪をかきあげ、その場を取り繕った。レアナはまだ不思議そうな顔をしていたものの、元の笑顔に戻ってニコッと笑った。
「そういえば、この前にガイがもし女の子だったらって艦長が言ってたよね。女の子のガイなんて全然想像できないから、あたし、今でもおかしくて」
「あ、あれはだな……その、バスターも俺様も男だからな。艦長が言ったように、男同士でしか話せないってこともあってだな……」
「わかってるよ、そんなこと。でも、もしガイが女の子だったら……すっごくおてんばな女の子になってたんだろうね」
 レアナはそう言うとクスクスと笑った。ガイは自分が女性として生まれた姿など想像もつかず、困惑しながらもまた頭をかいた。
「もうそれは勘弁してくれよなー。そんなに俺様が女だったら良かったのか?」
「そういう意味じゃないんだけど。だけどガイがもし女の子だったら、女の子同士でおしゃべりしたり、男の人には言えないようなことでも秘密で話せたのかなって思うと、ちょっとは残念かな」
 少しだけ寂しそうに笑ったレアナを見て、ガイは彼女をいたわるように言葉を探して声をかけた。
「このTETRAに乗ってる女はお前だけだもんな。クリエイタは性別がないっぽいけど多分、男だろうし。そういう点では……お前がこのTETRAの中で受けてるストレスは俺様やバスターや艦長よりも大きいのかもな」
 ガイの言葉を聞いたレアナは、はっとした表情になり、慌てて首を振った。
「ううん。そんなことないよ。バスターも艦長もクリエイタも、もちろんガイもあたしのことを気遣ってくれてるんだもの。確かにクルーの中で女の子があたし一人っていうのは時々、さびしくなることもあるけど……でも、そんなさびしさもみんなといっしょにいると忘れられるもの」
「特にバスターと一緒にいると、か?」
 ガイの悪戯めいたからかいの言葉に、レアナは顔は一瞬のうちに真っ赤に染まっていた。
「バ、バスターはもちろん大事な人だけど……少しでもいっしょにいたいなって思うけど……で、でもそんな……」
 裏表がなく嘘をつけないレアナの性分のため、彼女の口から出る言葉ははっきり言ってのろけそのものだった。だが、バスターとレアナの深い仲を既に知ってしまっているガイは、ニヤッと笑って赤い顔のままでうつむくレアナの顔を覗きこんだ。
「悪かった、悪かったって。お前にとってバスターが大事だってことくらい、俺様にだって分かってるさ。バスターにとってお前がどんなものとも代えられない存在だってこともな」
「ガ、ガイってば……だけど……あたしにとってバスターは確かにすごく大切な人だから……」
「バスターも同じようにお前を想ってると思うぜ?」
「……うん。でも最初はわからなかったの。初めて出会ったころは、バスターは本当のことを言ってくれない人だったから……だけど、あたしのことがいちばん大切だって言ってくれたから……」
 レアナの自覚のないのろけを聞きながらも、ガイには二人の関係をひがむような感情はまったく生まれなかった。それはバスターとレアナが、ガイにとっては大人びた「兄」と子供っぽい「姉」であり、その二人の幸せを願う気持ちはあっても、ひがむような卑しい感情など生まれるはずもなかった。
「お前の言いたいことは分かってるって。お前がバスターともっと一緒にいたいって気持ちもな。バスターは女じゃないけど、このTETRAの中でお前のことを一番理解してるのはバスター以外にいないんだからな」
「ガイ……う、うん……」
 ガイの言葉に思わずうなづいたレアナを見て、ガイはまたニッと笑った。
「じゃあ、とりあえずはコーヒーでも淹れようぜ。バスターと艦長のところに持っていくんだろ?」
「あ、そうだったね。ガイも飲むでしょ?」
「もちろんだ。そういやお前はコーヒーは飲めないんだったな。そういうところはまだまだ子供だよな」
「ちょっとー! 好き嫌いは大人だとか子供だとかは関係ないでしょう!? だって苦くて飲めないんだもの!」
「へいへい。お前が飲めるくらい砂糖を入れたら、もうコーヒーじゃなく砂糖水になるもんな」
「ガイ! いくらあたしでもそんなに甘々なのは飲まないもん!」
「そんなに怒るなよ。本当、悪かったって」
「もう! ガイったら!」
 ガイの謝罪を聞いてもレアナの機嫌は完全には直らなかったようだが、それ以上はガイには何も言わず、厨房に備え付けられているコーヒーメーカーにコーヒー豆をセットしてコーヒーを淹れ始めた。
 コーヒーがドリップされる音を聞きながら、ガイは厨房の戸棚に寄りかかり、コーヒーメーカーの前でカップを並べているレアナの後ろ姿を見ていた。
 この幼ささえ残る少女が、自分の親友同然の青年と愛を交わし合う深い関係になっていたことを最初に知ったときにはガイは驚愕したが、同時に納得もしている気持ちがガイの中にはあった。
 自分が女性だったらレアナが生まれて初めて持ったのであろう恋愛感情のことなどもレアナはすんなり相談出来たのだろうがとガイは思ったが、こればかりはどうにもならないことだと首を振った。
「ガイ? 一緒にバスターと艦長のところに行かないの?」
 ガイが視線をレアナに戻すと、いつの間にかコーヒーは出来上がっており、そのすぐ横に置かれたトレーの上には4人分のマグカップとミルクの入った小さな容器、それに個別に密封された角砂糖が2つほど置かれていた。3つのマグカップは空のままだったが、1つだけはお湯が既に注がれていてティーバッグが沈んでおり、それはコーヒーが飲めないレアナのぶんだということと、砂糖も彼女が紅茶に入れるためだということがすぐに分かった。
「お、もう出来たのか」
 そう言ってガイがコーヒーメーカーからコーヒーポットをやけどしないように慎重に取り外した時、食堂に誰かが入ってくる足音が聞こえた。
「あ、バスター!」
 ガイが首を伸ばして食堂のほうを覗いてみると、そこではバスターの姿をガイより先に認めて食堂のほうへ足を運んでいたレアナが、それが当たり前のことであるように彼の体に抱きついていた。
「ちょうどよかった。これからコーヒーをバスターと艦長のところに持っていこうってガイと話してたの」
「そうだったのか? それはありがたいな。俺も艦長の手伝いをしながら喉が渇いたから何か飲み物を持ってこようと思って、ここに来たところだったからな」
 そう言うと、バスターも自然な流れでレアナを抱き返し、彼女の絹糸のような柔らかな髪を愛しげに撫でると、身を屈めて桜色の小さな唇にそっと軽くくちづけを落とした。
 バスターが唇を離すと、彼に抱かれたままレアナは閉じていたまぶたを開き、嬉しそうに笑った。
「そうなの? ふふっ、おもしろいね。バスターとあたしは赤い糸で結ばれてるんだって前にバスターが言ってくれたけど、そのおかげかもね」
「ハハッ、そうだな……ちょっと待て、ガイと話してたってことは、ガイもまだ厨房にいるのか?」
「うん、そうだよ」
 レアナの返答を聞いた瞬間、バスターの顔は先ほどのレアナのように赤みを帯び、特に耳たぶは真っ赤に染まっていた。自分に愛らしい笑顔で抱きつくレアナにほだされて思わず大胆な行動を取ってしまったが、ガイが見ている可能性をうっかり忘れていたことを、バスターはひどく自省していた。ついこの前にも格納庫で同じような状況を経験していたのにとも。
「え? バスター?……どうしたの?」
 バスターだけでなく自分も大いに関わっているのに事の重大さを認識していないレアナは、突然のバスターの様子に驚いた顔をしたが、バスターはとても何かを言えるような状態ではなかった。
 数分ほどが経った頃、バスターはようやく冷静な自分を取り戻し、レアナの両肩に自身の手を置いた。
「な、なんでもないんだ。ただ、ここにはお前しかいないと思いこんでたから、ガイもいるって知って驚いただけで……それより、コーヒーを淹れてくれたんだろう? 早く艦長のところへ持っていこうぜ。俺も飲みたいしな」
「う、うん……ガイが厨房にいるだけでそんなに驚かなくてもいいのに……バスターってば……」
 ガイにバスターとのやり取りを見られていたのではという今の事態をレアナは全く理解していなかった。一年前に人類がTETRAクルーを除いて全滅する前から、悪人などこの世にはいないと信じているお人よしぶりと純粋さゆえに、レアナはバスターと自分とが睦み合う様をガイが悪意はないとはいえ見てしまっていたなどとはまるで考えてもいなかった。
 レアナがそんな風に何も理解しないまま厨房へ向かおうとしたとき、ガイが片手にコーヒーポットを、もう片方の手にマグカップの並んだトレーを持って食堂のほうへやって来た。
 バスターほどではないにしろ、バスターとレアナの親密な様子の一部始終を見てしまっていたガイの顔は赤かった。
「あ、ガイ。運んで来てくれたんだね」
「お、おう……おい、バスター、俺はこっちのポットを運ぶから、お前はこっちのマグカップを運んでくれよ」
「あ、ああ……分かった」
 バスターがガイからトレーを受け取ったとき、ガイはバスターだけにかろうじて聞こえるほどの小声で話しかけた。
「えーとだな……俺様はお前達が仲良くしてても、それを茶化そうだとかは全然思ってねえからな? だ、だから……そんな恥ずかしがらなくていいんだからな?」
 ガイの言葉を受け、バスターも小声で返答した。
「あ、ああ……というかお前がここにいるのはよく考えなくても当然のことだし、場所をわきまえなかった俺も悪いんだからな……この前もそうだったが……お前が謝ることもないからな?」
 そのまま二人は何もなかったようにレアナのほうに向き直った。バスターと共に当の本人でありながら事情を飲み込めていないレアナは不思議そうな顔をしていたが、バスターとガイに笑いかけた。
「二人とも、急に変なの……でも、もう話は終わったんでしょう?」
「あ、ああ。言うまでもねえさ。さ、艦長のところへ行こうぜ」
 バスターがとっさに笑ってそう言うと、レアナはバスターの空いている左手を握って嬉しそうにうなづいた。
「うん! せっかく淹れたコーヒーが冷めちゃうもんね。早く行こうよ!」
 食堂を出るとバスターとレアナが並んで通路を歩き、その一歩後ろを自然とガイがついて歩いた。
「あ、そうだ! クリエイタにも声をかけようよ。食糧庫でのお仕事ももう終わってると思うし」
 レアナが振り返りながらバスターだけでなくガイにも同意を求めると、バスターとガイは笑ってその提案に同意した。
「そうだな。皆で一休みしたほうがホッとするからな」
「俺様も賛成だぜ。あいつだけ仲間はずれってのもなんだしな」
 そんな会話を交わし、自分の前を歩く二人を見つめながら、レアナの純粋さにバスターは惹かれたのだろうし、それがレアナの長所の一つだとガイは再認識していたが、その純粋さは同時に大胆すぎるとも感じていた。
(バスター……お前もレアナに本気で惚れてるんだろうが、レアナが無防備すぎるぶん、もうちょっと……い、いや、他人の恋路に口を出すなんて無粋すぎるよな……)
 心の中でそう呟きながら、ガイは口元に笑みを浮かべたまま、目の前を歩く二人の睦まじさを見つめていた。それは多少ひねくれてはいるが大人びた親友でもある兄と子供っぽいながらもそれゆえに純真無垢な姉の幸福な姿を見守る優しい弟のまなざしだった。



あとがき


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