[その背中に]


 定期メンテナンスの折、TETRAの外部隔壁の一部に破損が見つかった。破損と言ってもごく小さく、おそらくはスペースデブリとの接触によるものだろうが、放っておけば取り返しのつかない大きな損壊に繋がる可能性は高い。ましてや地球に降りるという緊急手段すら取れない状態にある現在のTETRAでは、乗組員の生命の危機にも繋がりかねず、直ちに修理すべき事態でさえあった。
 艦長のテンガイ以下4名のクルーと1体のロボノイドらは、さっそく総出で修理にかかった。幸い、発見が早かったおかげで宇宙放射線による内部への被曝はなかった。しかし修理箇所は少ないとは言え、普段は着慣れない重装宇宙服を長時間着込んだ宇宙空間での作業は重労働だ。バスターとガイがクリエイタと共にそれらの作業にあたり、テンガイとレアナが内側から補佐する形で修理は進められた。結局半日がかりとなり、修理が済んだ頃には既に夜と言ってもいい時刻に差し掛かっていた。

 いつものパイロットスーツの上に着ていた防護服を脱ぐと、レアナは両腕を上げ、うーんと小さく声を漏らして背を伸ばした。
「のど、かわいちゃった……なにか飲みたいな」
 脱いだ防護服を片付けると、レアナは食堂へ足を運んだ。
(おなかも空いたなあ……)
 レアナがそんなことを思っていると、ちょうど食堂から出てきたテンガイと顔を合わせた。
「あ、艦長」
「レアナか。今日はご苦労だったな」
 テンガイはレアナにねぎらいの言葉をかけながら、汚れた愛用のゴーグルを外して拭いた。老齢だが歴戦の大ベテランであるテンガイが他者、特に部下に対して疲れを見せるようなことは滅多にないが、それでも今日の作業は彼の身にも堪えるものであったことを端的に示しているように、レアナには見えた。
「艦長こそおつかれさまでした。もうごはんはすんだの?」
「うむ。クリエイタが用意してあるから、お前も早く食べろ。……ああ、その前にすまんが、そこの部屋から毛布を取ってきてくれんか?」
「あそこのロッカーから? いいけど、どうして?」
「早々に潰れた奴がおってな。ワシでもあんなデカい奴は運べんわい。すまんな」
 快諾しながらも少し不思議そうな顔をしたレアナに、冗談でも言うような口調でそう伝えると、テンガイは自分の部屋のほうへ去っていった。レアナは結局「?」マークを頭に浮かべたまま、手近のロッカーから毛布を持って食堂に入ったが、すぐにその疑問符は解けた。ガイが椅子を3つほど並べて、いびきをたてていた。一応パイロットスーツのズボンは履いていたが、上半身はアンダーウェアのままで、スーツの上着は椅子の下に落ちていた。
「あーあ、ガイったら……でも、よっぽどつかれたんだね……おつかれさま」
 レアナはクスっと笑いながらも豪快に眠るガイに毛布をかけてやった。テーブルを見ると、ガイの前には空の食器がそのままあった。疲れ切ったガイが空腹を満たしたところで睡魔に襲われ、そのままダウンしたのだということが見て取れた。
 レアナが調理室のほうへ目をやると、クリエイタがトレイを手に出てきた。レアナの声を聞きつけて準備していたのか、トレイには既に食事が盛られていた。
「レアナ、オツカレサマデシタ。ドウゾ」
「ありがとう、クリエイタ」
 テーブルに置かれたトレイから紅茶の入ったカップを手に取ると、レアナはゆっくりと飲んだ。その香りと熱さはレアナの疲れた体に落ち着きを与えてくれた。ふとそこで、この場にいない誰かのことを思い出した。
「ねえ、クリエイタ。バスターももうごはん食べたの?」
「ア イエ。コウイシツ ニ イルト オモイマス」
「更衣室……宇宙服の?」
「ハイ。ウチュウフク ナドノ アトカタヅケガ マダ スコシ アッタノデスガ……バスターガ ヒキウケテクレマシテ」
「バスターが?」
「エエ。ガイモ テツダウト イッテクレタノデスガ ヒトリデ ジュウブン ダト。デスノデ ワタシハ ショクジノ ヨウイヲ……」
 クリエイタはそこでいったん言葉を切ったが、ほんの少しの間を置いて続けた。
「バスター ラシイ キヅカイ デス」
「……そうだね。バスターって、いっつも素直に言ってくれないんだもん」
 レアナはクリエイタと顔を見合せて笑った。それから空のカップをテーブルに置くと、くるりと翻って食堂の扉を開けた。
「ドウシタノデスカ?」
「素直じゃない人を呼んでくるね」
 レアナは笑顔のままそう残して出ていった。

 宇宙服を備えてある特殊更衣室は外部ハッチに繋がるブロックにある。レアナは宇宙服を着用したり宇宙空間で作業したりする訓練も、戦闘機パイロット教育の一部として一応は受けている。だがこのTETRAでは、男性であるバスターやガイが外部作業を進んで請け負っているので、レアナはこのブロックにほとんど来たことがない。今や「我が家」と化して隅々まで知っているつもりだったTETRAの中でめずらしく新鮮な思いを抱きながら、レアナが更衣室の扉を開くと、そこにはあの赤い髪の毛が見えた。
「あ、バ……」
 目前の青年の名前を呼び掛けようとして、レアナは言葉を止めた。バスターはこちら側に背中を向けて座っているのだが、まったく動こうとしなかった。
 不意にレアナの鼓動がどくどくと速まった。けれど勇気を出し、恐る恐る近づいてそっとバスターの顔を覗き込むと……レアナは深く安堵した。バスターはしっかりと目を瞑ってはいたが、規則正しい小さな寝息を立てていた。座ったまま、自分の大腿部に肘をついて眠っていただけだった。
「なあんだ……もう、びっくりするじゃない」
 バスターを起こさないようにレアナは小声で呟いた。見ようによっては器用な寝方ではあったが、片付けも済んで少しだけ休むつもりがそのまま眠ってしまった……おそらくはそんなところだろう。
 レアナは何か彼に掛けてやれる毛布のようなものを手元に持っていないことに気付いた。見れば、先ほどのガイと同じく、上半身は上着を脱いでアンダーウェアのみで、このままでは少し寒そうだし、かと言って、ここまで熟睡しているバスターを起こすのもどこか気が引けた。

 迷った末に、レアナは自分のパイロットスーツの上着を脱ぎ、バスターの背中にかけた。だが、レアナの小さな上着ではバスターの背中を覆うことなど到底無理で、彼の肩にかかった上着は背中の保温という役目にはどうにも遠かった。レアナの表情は知らぬ間に陰っていた。
(そうだよ、バスターはガイやクリエイタたちに気をきかせてあげて、ここであと片づけしてたのに……せめて、ひざかけくらい持ってくればよかったのに……あたしってば……)
 自分の上着では覆いきれないバスターの背中を見ているうちに、レアナは膝をつき、その背中に顔をそっと寄せた。見慣れたはずの背中なのに、今はとても広く思えた。そう感じた瞬間、レアナの瞳からぽろぽろと涙がこぼれた。慌てて手の甲で拭ったが、それでも涙は止まらなかった。止まらない理由も分からなかった。
(バカ……どうして……)
 レアナはTETRAに配属されて以来、他のクルー達、バスター、ガイ、テンガイ、クリエイタらに助けられてきた。レアナがあまりにも世間知らずで精神年齢も低いことがいちばんの理由だった。けれど、レアナの優秀なパイロットとしての一面はバスターらを逆に助けたこともあるし、何よりも天真爛漫で純粋なその性格は、TETRAの最高の潤滑油であった。
 それでも、レアナはやはり他のクルーらに助けられていると何となく感じていた。あるとき、レアナは自分がクルーの中でいちばん子供で、それゆえしっかりしていないことを負い目に思っていることをバスターにこぼしたことがある。そのときバスターは、レアナは何も分かっていない子供などではないと言ってくれた。
 レアナはそれが大なり小なりなぐさめを含んでいたとしても、他の誰でもないバスターの言葉が本当に嬉しかった。それほどに、レアナの中でバスターの存在は大きくなっていた。現に今、目の前のバスターの背中。それはとても大きくて、レアナを守り包んでくれるバスターの優しさのように彼女には感じられた。

 そのとき、なぜ自分がいきなり泣き出してしまったのかをレアナは悟った。バスターが自分を守ってくれるほどに、自分はバスターを守ってあげられるのだろうか? 現に今だって、自分の上着ではバスターには肩掛けほどにも役立っていない。自分は守られているばかりで守る力がない、そんなことを無意識に考えてしまったから……理由を知ったことでようやくレアナの涙は止まろうとしていた。
「ごめんね……」
 レアナがそう小声で呟いて部屋から出て行こうとしたとき、ぐいっと左腕を引っ張られた。驚いて振り返ると、バスターが変わらず反対側を向いたまま、右手でレアナの左腕を掴んでいた。
「バ、バスター!?……あ、あの……起きてたの……!?」
「すぐそばで泣きべそかかれてるってのに熟睡出来るほど、俺は図太くはねえからな」
 いつもの口調で言葉を放って、バスターはレアナのほうに向けた。その顔は笑っているでもなし、かと言って怒っているでもなし、強いて言えばどこか寂しそうだった。
「なあ……お前、なんで俺に謝ったりしたんだ?」
 先の皮肉屋な風情とはうって変わった、やはりこれも寂しげな問いかけだった。
「え……だって、あたし……」
 レアナは自分の心中をどう言えばいいのか分からなかった。それでも、レアナはなんとか言葉をふり絞った。
「……バスターが助けてくれても……あたしは、なんにもしてあげられてないから……」
「お前……本気でそんなこと思ってるのか?」
 バスターの顔つきが怪訝なものに変わった。その顔を見たレアナは、自分がバスターの心を害するようなことを言ってしまったのかと大きな不安を覚えた。だが、バスターはふっと表情を緩めた。
「お前は守ってくれてるじゃねえか。俺の心を……な」
 バスターはレアナの腕をさらに引っ張ってそばに引き寄せ、彼女の肩を抱いた。レアナのすぐ目の前にいるバスターは笑っていた。レアナがバスターと二人きりのときにだけ何度か見たことがある、優しい笑顔だった。
「こころ……?」
「ああ。当の本人は分かってないようだけどな」
「どうやって?」
「……あんまり恥ずかしいこと、これ以上言わせんなよ。どうだって……いいだろうが」
 バスターは頬を赤らめ、真剣に問いかけるレアナをはぐらかした。レアナはもっと問いただしたかったが、やはりレアナだけが見たことがあるバスターの態度から、彼の言葉は素直で嘘でないものなのだと分かった。
 気がつくとまた涙が両の瞳から溢れていた。けれどそれが悲しみからではなく、正反対の理由からであることは明白だった。バスターはレアナの顔にそっと触れ、親指で目元を拭った。そして彼の肩にかけられていたレアナの上着を、持ち主である彼女の肩にかけ直してやった。
「泣くなって……本当に泣き虫だな、お前は」
「うん……うん……」
 自分はバスターの心を守ってあげられている、何にせよバスターのために大事なことをしてあげられている、レアナにはそれがたまらず嬉しいことだった。
 それでも温かな涙がようやく止まると、レアナは晴天の笑顔でバスターの手を握った。
「さ、ごはん食べようよ。おなかペコペコだよ」
「それは確かに真理だな」
 バスターは冗談めかして頷いた。繋がったバスターとレアナの手はどちらも温かかった。それはあたかも、お互いの想いが、それぞれの体温となって具現化しているかのように。



あとがき


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