[Regeneration]


  「艦長、ガイはあのとき……7月14日以前に実戦に出たことはあるのか?」
 唐突な質問に、テンガイは何事かと顔を上げた。テンガイは艦橋で各種機器の整備を行っている最中だった。そこへバスターが神妙な顔をしてやって来て、この突然な問いかけをしたのだ。
「……いや。ガイはあのとき以外は、実戦経験はない。士官学校を出てすぐに、ここへテストパイロットとして配備されてきたからな。実戦は経験しておらんはずだ」
 テンガイは整備の手を止め、腕組みをして自身の座り慣れた椅子に腰掛けた。
「一体どうした?そんなことを聞いて、どうかしたのか?」
 バスターは手持ち無沙汰に立ち尽くし、視線をうつろに動かしていたが、やがてテンガイの向かいに自身も黙って腰を下ろした。しばらくの間、沈黙が艦橋を支配していたが、ようやくバスターが口を重たげに開いた。
「……いや、なんでもねえよ。ただ……レアナは当然、実戦経験はないはずだし、ガイもそうなら……あのとき以前に実際に戦場に出たことがあるのは、俺だけなんだな……」
「お前だけではない。ワシもだぞ」
 テンガイが間髪入れずに口を開いた。バスターははっとしたように顔を上げ、髪をかきあげながら苦笑した。
「そっか……そうだよな。艦長と長官の武勇歴は、軍内でも有名だったもんな。忘れてたぜ」
「まあ、お前達が生まれる遥か昔の話だ。そう誇示することでもないがな」
 バスターは苦笑したままだったが、急に元の神妙な顔つきに戻った。そして、秘密を聞き出すような口調でテンガイへ問いかけた。
「艦長は……初めて戦場で敵を……7月14日のときみたいな得体の知れないヤツじゃなくて、「人」を殺した時……どんな気分だったんだ?」
 それだけ言葉を吐き出すと、バスターは真剣な表情でテンガイを見つめた。当のテンガイは先ほどの質問以上に突飛な問い掛けに、内心困惑したが、目の前の若者のまなざしに圧されたように、答えを口にした。
「……そうだな。ワシもお前達と同じ戦闘機パイロットだったが……初めて戦場で敵の乗った戦闘機を撃墜したときのことは、今でも覚えておる……。最初は意気揚揚で、次々に攻撃してくる敵機を撃ち落としていったが……戦闘が終わったあと、いつの間にか自分の手足が震えていることに気付いた。おかしなもんだな……ワシは直接、剣や拳で相手に手を下したわけではなかったのに……「人」を殺した感触が、なぜだか伝わってきておったんだ。そのことに無意識に手足が反応して、震えておったのかもしれんな……」
「それから後は……?艦長は出撃するたび、ずっと、そんな気分を味わっていたのか?」
「いや……いつしか慣れてしまっていた……相手を撃たなければ自分が殺される、そんな当たり前の論理の前で、いつもいつも震えている訳にはいかなかったしな……非情だが、ワシは……おそらく五十嵐も……戦場での掟に慣れてしまっておった」
「そうか……」
 バスターは視線をいつの間にか自身の足元に落とし、陰りのある表情をしていた。テンガイは何も言わず、ただバスターの様子を見守っていた。やがて、バスターは視線を落としたまま、言葉を口にし始めた。
「……俺は、一度だけ実戦に出たことがある。それで、そのときの気分は……さっき艦長が話してくれたことと同じようなものだった。戦闘が終わったその日一日、食事を摂る気にもなれなかったことを覚えている……馬鹿だよなあ……軍人になった以上、避けられないことなのによ」
「皆、そうだ……最初から慣れろと言われても、無理というものだ」
 テンガイはゴーグルをはめ直しながら、静かな口調で返した。バスターは相変わらず俯いたまま、言葉を続けた。
「艦長、これは、俺のエゴなのかもしれないけど……」
 そこまで言って、バスターは何かを詰まらせたように言葉を止めた。テンガイはそれを急かすこともなく、ただ次の言葉を待った。そして、その続きはしばしの沈黙の後、ようやく吐き出された。
「……俺は……あんな思いをレアナやガイが……特にレアナが味わずに済んだことに、不謹慎だけども、ホッとしているんだ……。あいつじゃ、あんな思いに耐え切れなかったんじゃなかったんじゃないかって、あいつの心がどうにかなっちまうんじゃないかってさ……」
 バスターは俯いたまま顔に手をあてがい、更に続けた。
「何、考えてんだろうな……地球の人間が全員死んじまったことよりも、仲間が辛い思いをしなくて済んだことに安堵してるなんて……けど、俺は……どうしても、そう考えが行っちまうんだ。ガイは……もしかしたら、ガイなら、俺や艦長のように、乗り越えられたかもしれない。あいつは、軍に居ることにも、長官のために働くことにも「誇り」を持っていたから。でも、レアナは……あいつは人を殺してしまったら、壊れちまいそうな気がしてならなかった。何よりも俺自身、あいつが「人殺し」になってしまうことは避けさせたかった……軍に居る以上、そんなことは無理だったはずなのによ。それが、こんな形で叶っちまって……最悪な形だってのに……ホッとしているなんて……俺は……」
 バスターはそれ以上、言葉を続けられず、両手で顔を完全に覆い、自己嫌悪の深淵に沈み込んでしまっていた。
 機器類が時折唸る音だけが響くほかは、艦橋を完全な沈黙が覆った。テンガイもバスターも、向き合って黙り込んだまま、ただ己の足元に視線を落としていた。何分か、何十分か。どれほどの時間が経ったのかは分からなかったが、静寂がテンガイによって破られた。テンガイはバスターの肩にずっしりとした手を置き、厳かに口を開いた。
「……お前がそう思うことは、民間人を守るべき義務を背負った軍人の考えとしては、確かに不謹慎かもしれんが……だが、人間、全く見知らぬ他人の死よりも、身近にいる者の災難を心配することは当たり前だろう?」
「……そうかもしれねえ。だけど……」
「それに……済んでしまったことは仕方がない。今は、こうして生き残ったワシらが為すべきことを考えるべきだ。五十嵐がワシらを退避させてくれた意義を……ワシらに何が出来るかをな……」
「為すべきこと……意義……」
 バスターはテンガイの言葉を口の中で小さく反芻した。テンガイはそんな部下の様子を見つめながら、更に言葉を続けた。
「それにな、女は男よりも、見かけ以上にしっかりしているものだぞ。お前がレアナを心配していた気持ちは分かるが……あの娘なら、もしお前やワシが味わったのと同じ辛い思いを経験していたとしても、きっと乗り越えられたのではないだろうか。ワシはそう思うがな……」
「艦長……」
 自分にかけられた言葉と、肩にかけられた力の二重の重みをそれぞれに感じながら、バスターは静かに顔を上げた。自分を見つめる力強い瞳をしばし見返すと、すっと口元に笑みを浮かべた。
「……ありがとうよ。なんか、吹っ切れたみたいだ……グチっちまって、すまなかったな」
「別に構わん。それに、お前が喋ったことはグチでもないだろう。まあ、仕事に支障をきたさない限りなら、グチぐらい幾らでも聞いてやるぞ?」
 テンガイのめずらしくおどけたような返答に、バスターは思わず吹き出しかけた。
「そのときは頼むぜ。整備の邪魔しちまって、悪かったな。手伝おうか?」
「いや、もうあらかた済んだしな。ワシだけでじゅうぶんだ。構わん」
「そうか。じゃあ、俺は退散するよ」
 バスターは身軽に身体を上げ、艦橋の出口へと向かった。途中、一度だけ振り返ると、整備に戻った黙々としたテンガイの後ろ姿が見えた。
(……本当にありがとうな、艦長)
 心中で再度、礼を呟きながら、バスターは艦橋出入り口の扉を開いた。途端に、頭ひとつぶん低い人物と正面衝突しかけた。
「うわ!」
「きゃあっ!……びっくりしたあ……」
 バスターが目前に目をやると、そこにはレアナが立っていた。まさか、今までの自分とテンガイとの会話を聞いていたのだろうか?バスターは一瞬焦り、慌てた口調で問いかけた。
「お、お前……ひょっとして、ずっとここにいたのか?」
「え?……えっと、ずっとじゃないけど、少し前から……でも、バスターと艦長、なにか大事な話してるみたいだったから、ここで待ってたの」
「話、聞こえてたのか?」
「う、ううん。ちょっと中をのぞいたら、ふたりとも向かい合って話してたでしょ?だから、大事な話してるのかと思って、聞いちゃいけないのかなって思ったから……それに、ここからじゃ、中の声はほとんど聞こえないじゃない」
「そっか……そうだよな」
 きょとんとした様子のレアナを尻目に、バスターは安堵のため息をついた。……そういえば、あの7月14日以来、いつもと変わらず冷静沈着だったテンガイをのぞけば、最初に最も明るく振る舞おうとしていたのはレアナだった。自分とガイが――特に目前で父親を失ったガイの落胆ぶりは、いつもの彼からは考えられないほどだった――落ち込み、クリエイタでさえも何を言えばいいのかと狼狽していた。その中で、レアナはけなげなほど明るく振る舞い、皆を元気づけようとしていた。彼女だって悲しくないはずはないのに……あの頃のレアナの様子を思い出し、バスターは、いたたまれないような、自分を恥じるような気分になった。そんな内面を照れ隠すかのように、バスターはレアナの頭にぽんっと手を置いた。
「?どしたの?」
「いや……なんでもねえよ。それより、お前こそどうした?艦長に用か?」
「うん。でも、今、お仕事してるみたいだから……もう少し待ってる」
「そうか……もうじき終わるって言ってたから、多分そんなに待たなくて済むぜ」
「よかったあ……ねえ、バスター?」
「なんだ?」
 覗きこむようにして自分の顔を見上げるレアナに対し、バスターは怪訝な顔つきで返答した。レアナはそんなバスターの表情とは裏腹に、明るい笑みを浮かべていた。
「……バスター、少し元気になったの?なんだか、顔が明るいもの」
「え?そ、そうか?……ま、元気が出てきたってのは当たりかな」
「ほんとう?……よかったあ。バスターも、ガイも、ずっと元気なかったから……バスターだけでも元気になってくれたのは、なんだか嬉しいな」
 無邪気に喜ぶレアナの笑顔を眺め、いつの間にかバスターも笑みを漏らしていた。
(艦長のおかげもあるけど……お前のおかげでもあるんだよ、レアナ)
「……ありがとうな」
 再びレアナの頭に手を置き、撫でるような仕草をしながら、バスターは多少、照れ臭そうに呟いた。
「?どうして、あたしにお礼を言うの?」
「いいんだよ。気にすんなって」
 不思議そうに見上げるレアナの視線に照れるように、バスターは顔を背けた。
「……変なの。でも、いいや。ガイも、前みたいに元気になってくれればいいんだけど……」
「ガイは……時間がかかるかもな。でも、きっと元に戻るさ。俺みたいにな」
「早くそうなってくれたら……いいね」
 レアナの髪にバスターの手が置かれて向かい会ったまま、二人は互いに自然と笑みを浮かべていた。そのとき、艦橋出入り口の扉が音も無く開いた。
「なんだ?お前達、こんなところでどうした?」
「うあ!か、艦長、これは別に……」
「あ、艦長。あたし、艦長のお仕事が終わるの、待ってたの」
 二人の全く対称的な反応を比較しながら、テンガイは内心、微笑ましく思った。
(全く、ワシが口を出すまでもなかったんじゃないか?こいつらは……)
 西暦2520年、7月も終わりに近づいたある日の午後の、小さな出来事だった。



あとがき


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