[蒼天]


眠りの浅いバスターは自室の外の微かな音を感づき、目を開けた。
時計を見ると深夜2時過ぎ。
昨日はガイと喧々囂々と言い合いながら、深夜近くまでマシンのメンテナンスをしていた。
ようやく眠りについたはずが、正体不明の音が気になり頭が冴えてしまった。
身を起こし、寝乱れた赤毛を指で梳き一息をつく。
地球上空で待機配備についてからどれぐらいの時間が過ぎたのだろう。
時間の感覚が麻痺しそうになる。
TETRA艦長・テンガイは、こういう非常時こそ地球とともに過ごさなければならないのだと、地球の時と変わらぬ生活ルールを敷いた。
クルーもそれに同意した。
だが、時間の歪みに落ちたように、ふと時の使い方を忘れてしまう。
(そういえば、昨日はレアナを見ていない…)
朝のミーティングには低血圧の彼女が出席せず、顔を出した途端テンガイに呼び出されて声も掛けずじまい。
バスター自身もその後、マシンの格納庫でガイたちと篭りきりだった。
こぼれるような笑顔。
ふくれっつらの怒り顔。
くるくると変わる表情。
不意に思い浮かべてしまうほど、バスターはいつしか彼女の存在に癒されていた。
毎度予想しない行動を起こす彼女に戸惑いながらも、気付くと安らぎを感じるようになっている。
無垢なレアナの存在はバスターにとって、パンドラの箱なのだ。
「……」
バスターは僅かな邪念を振り払うように頭を振り、冷静な仮面を被っていつもの自分に戻る。
ベッドから出て自室の扉まで歩くと、
(こつん…)
扉の外から軽く音が漏れた。物が当たった音ではなく、誰かが扉を叩いている音だ。
扉の向こうにいるのが誰なのか、バスターは確信する。
しばしの沈黙の後、扉を開けて開口一番、
「何時だと思ってるんだ、レアナ」
と言い放ち気配の方向を見やる。
「…どぉして、わかったの?」
甘ったるいトーンのレアナの第一声。
彼女は薄紅色のパジャマを着ており、お気に入りのぬいぐるみをギュッと胸元で抱きかかえていた。
はじめは馴染めなかったこの口調も、今はなくてはならないアクセントになっている。
だが今宵のレアナは、いつもとは少し違っていた。
「わかるさ。ベソかきの顔が透けて見えたからな」
俄かに毒づく。
「えー!?何それ〜」
レアナは頬を膨らめて声をあげた。 だが、バスターが言った事は冗談ではなく、レアナの表情にはいつもの明るさが感じられない。
空色の大きな瞳には涙で満ちていた。その跡をバスターに見せまいと必死に笑いかけてくるところがいじらしい。
レアナに、
「入るか」
と部屋の中へ誘ったのは、何か伝えようともどかしくするレアナを誰にも見せたくなかったからかもしれない。
レアナは、聞き返しもせずに素直に従って部屋に吸い込まれた。
TETRA内の廊下には本当の静寂が訪れた。
整然とした室内はバスターの性格を思わせ、僅かに香る煙草の薫りが彼の秘密をのぞかせた。
レアナはその空気に酔いそうになり、
「…えっとね、バスターにお願いがあるの…」
そう言えるのがやっとだった。
「お願い?」
「うん。あのね、最終飛行テスト訓練の空が、見たいの」
縋るような目で一心に自分を見つめるレアナに、バスターは度肝を抜かれる。
「確かあの時、ビデオデータに記録していたよね。あたし、見たいの」
「あるといえばある。だが、なんで今必要なんだ」
明日のミーティングの時でも飯の時でもいいはずだ。なのに何故、と返す間もなく、バスターは彼女の様子に息をのんだ。
「…今、だからだよ…」
レアナの大きな瞳から大粒の涙がこぼれた。小さな肩を震わせ、必死に涙をふこうとする。
「毎日夢を見るの。真っ青なお空が真っ赤になって、そして大きな光に包まれて何もなくなっちゃうの。毎日見るから、だんだん綺麗な青空、忘れてしまいそうで。…そんなのイヤだよ!忘れたくないの!」
レアナは両腕で自らの身体をギュッと抱きしめ、震えを抑える。胸元のぬいぐるみごと抱くため、ぬいぐるみが苦しそうにしている。
バスターは、小さく縮こまるレアナの両肩にそっと触れる。
「レアナ」
レアナは何も応えずに彼の胸にそっと頭を押し付けた。
続く鳴咽。いつしかバスターの両腕は鳥の翼のようにレアナの小さな身体を包み込んでいた。
彼の引き締まった胸の中で落ち着いたようにみえたレアナだったが、俄かにグズッていた。
バスターはしばらく天井を仰ぎ見ていた。やがて、二人のいるベッド脇にあるスイッチに手を伸ばした。
部屋の中が闇に包まれた。
突然の暗闇で安心感から一転恐れ戦いたレアナは、本能的に掴まれた腕から逃れようともがいた。
(そのままじっとしてくれ)
普段のどこか他人行儀ではない、温かなバスターの声が耳元で囁かれた。
まるで子どもを優しく諭す父親のような声色に、レアナは思わず顔を上げる。
「バスター…」
「じっとしてろって言っただろ?」
レアナは顔を合わせるどころか、バスターから手で目元を遮られてしまう。
じたばたとばたつかせるが、片方の腕でレアナの身体は搦め捕られて身動きがとれない。
「やだっ!バスターってば」
「……」
暗がりの恐怖はいつしか飛んでしまっていたが、バスターの不可解な行動にレアナはどうすることもできなかった。
「もう少しだ」
しぼりだすような声で呟く。レアナも何も言えなくなる。
バスターは、何も告げずにレアナの目元に覆った手を外した。
「……!」
暗がりから解放されたレアナの瞳には、最初何が見えているのかわからなかった。
目が慣れてくると、その光と青の洪水に圧倒された。
「うわぁ〜!」
雲ひとつない空。レアナが一番見たかった最終飛行テストの時の空が部屋一面に広がっていた。
バスターは少し照れながら呟く。
「ちょっとした細工がしてあって、起動完了するまでこうするしか−−−…レアナ?」
そっとレアナを見遣るとその場に座り込み、止めどもなく涙にくれていた。
「バカァ…」
「わかってるさ。謝ることしか俺にはできない」
バスターは、レアナの頭を優しく撫でる。
「違うよ、そうじゃない。バカなのはあたし。だって、バスターも同じ思いをしていたんだったってこと、気付かなかったんだもん」
「あ、当たり前だろ?…オレだって、こういう時ぐらいあるさ」
レアナには、普段から自分をさらけださないバスターの真意を推し量ることなどできない。
だが、相手を理解したいと思う心が大きく働いていた。自分の歯痒さがやりきれないのだ。
「でもね。でも、同じ気持ちだってわかって、あたし嬉しい」
涙で瞳が光る。だがレアナの顔に悲しみはなく、笑顔に満ちていた。
バスターは、いつものレアナではない強い意思を感じて、俄かに動揺する。
レアナがバスターが思うほど子供ではなく、彼女なりに『大人』だったからだ。
気づかされる『子供』の自分。
レアナへの感情は、バスターの頑な心をも少しずつ解かしていく…。
「レアナ、ありがとうな」
素直に発せられた言葉に、レアナはきょとんとした表情を見せる。
「バスター、らしくないなぁ」
そうかもしれない。だが、目の前に広がる青空のようにバスターの気持ちが澄んでいる。
「なぁ、もっと見たくないか」
「なにを?……ひゃっん!」
レアナは可愛い悲鳴を上げた。自分でも何が起きたのか理解できなかった。
気がつくと彼女の身体は宙を舞い、バスターに抱き抱えられていた。
「や、やだっ。バスターってばぁ〜」
レアナは焦って動きまくるが、それにも動じずバスターは彼女を運ぶ。下ろした先はバスターのベッドの上だった。
戦々恐々としながらバスターを見上げる。彼の顔が近づいたと思った途端、体ごと抱き留められてベッドに押しつけられる。
「やっ」
レアナは小さく声を上げ、咄嗟に目をつぶる。
「目を開けて、上を見ろよ…」
バスターは、こそばゆいほどの間近で囁く。
恐る恐る目を開けると、雲一つない青空を背負ったバスターがレアナを見つめていた。
「…バーカ、見るのは俺じゃねぇだろ」
少し紅潮しながら呟くバスターを横目に、レアナは雲一つない青空に目をやる。
「こうして見上げているとさ、草レースやってた頃とか思い出すんだよな」
バスターもレアナの横になり、幼子のように目を輝かせて昔話をしはじめた。
草地に寝転び、いつまでも青空を見ていた情景を見せたかったのだと、ようやく理解したレアナは『本当のバスター』を知ったような気がした。
過去を一切明かさない秘密主義な彼が、レアナの前で心を開いている。
届かないと思ったバスターがレアナの側にいる。
レアナも満面の笑みを漏らす。
「いつか、また見られるよね。青空」
「ああ…きっと。だから、俺たちはここにいる」
いつしか重なり合った互いの手の温もりを感じながら、二人は青空を見つめていた。
いつか帰る、蒼天の空を。



あとがき


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