[惑いの風に]


「バスター、やっぱりここにいたんだ」
 聞き慣れた声にバスターがくわえタバコのまま振り向くと、レアナが両手になにやら抱えて立っていた。
 ここは連邦軍の数ある空軍基地のひとつであり、最新鋭戦闘機「シルバーガン」の飛行試験場。その飛行試験も今日のノルマは終わり、バスターはいつの間にか自分の指定席となった、試験飛行場の片隅で一服していたのだった。
「レアナ? どうした?」
「えっと……別にそんな用はないんだけど……はい、これ」
 レアナは両手に抱えていたもののひとつをバスターに差し出した。見れば、それはこの基地で売っているアイスコーヒーの缶だった。バスターは少しばかり戸惑ったが、素直にそれを受け取った。
「お、サンキュー。後で払うからな」
「そんなのいいよ。この間はあたしがおごってもらっちゃったんだし」
 そう言うとレアナはバスターの横に座り、プシュッと音を立てて自分のぶんのレモンティーの封を開けた。そしてごくごくと美味しそうに飲んだ。
「はーっ……今日も終わったねえ」
 レアナはよく冷えた缶を片手で持ったまま、うーんと背伸びをした。バスターはその様子を、何とはなしに眺めていた。
「どうしたの、バスター?……コーヒーでよかったんだよね?」
 バスターの視線に気付いたレアナが、ちょっとバツの悪そうな表情でバスターの顔を見た。バスターは慌てて視線を逸らし、落ちそうになっていた灰を携帯灰皿にタバコごと入れた。
「い、いや別に……」
「もしかして、こっちのほうがよかった?……あたし少し飲んじゃったけど、替えようか?」
「いや、これでいいさ。でも俺の好み、よく分かったな」
「前にもそれ、買ってたでしょ。それにカフェテリアでもいつもコーヒー選んでるじゃない」
 ぼーっとしているように見えて、結構観察眼は鋭いんだな……バスターはそう思いながら、コーヒーの缶を開け、中身を一口飲んだ。
「バスターはタバコ吸うとき、いつもここだよね。どうして?」
 レアナがレモンティーをまた一口飲むと、素直な瞳で質問してきた。バスターもコーヒーをもう一口飲むと、視線を正面に向けたまま答えた。
「別に……いつの間にかここが指定席になってたって言えばいいのかな?」
「そういえばこの基地は、中では決まった場所以外ではタバコ吸っちゃいけないもんね」
「そうだな。俺みたいなスモーカーには多少きつい場所だぜ」
 そのままバスターとレアナは遠くを眺めたまま、夕方の涼やかな風に髪を揺らされていた。ふと、バスターの肩にとん、と重みが加わった。何かと思ってバスターがそちらを見てみると、レアナが頭を傾けて載せていた。
「どうした? レアナ?」
「あ……ごめんね。なんでもないよ。ただ……」
「ただ?」
「こうしてると、気持ちいいから……イヤだったら……言ってね?」
「イヤなんてことねえよ」
 バスターはそう言うと同時に、片腕をレアナの肩に回した。必然的にレアナはバスターの胸によりかかる形となった。レアナは瞳を閉じ、バスターによりかかるままになっていた。こんなところをガイにでも見つかったら、またからかわれるな……バスターはなんとなく思いながらも、レアナのなすがままにさせていた。
「タバコ臭くねえか?」
「ううん……あ、ちょっと匂うかな?……でも、これぐらい気にならないし……」
 レアナはバスターの顔を見上げ、笑って返した。瞬間、バスターはどきりとした感覚を覚えた。
(な、なんだ?……今の……)
 幸い、レアナには気付かれていないようだった。バスターは空いているほうの手で頭をかいた。

 ワタシハ、惹カレル、アナタニ。

 不意にそんな一文が、バスターの頭をよぎった。それは昔読んだ、古い小説の一節だった。
(惹かれる……? 俺が、レアナに……?)
 バスターは片手を頭にやったまま、固まったように考え込んだ。確かにレアナは可愛い。性格だっていい。けど、俺の好みじゃあ……いやいや、そんなことじゃなくて……。バスターは生まれて初めてと言っていい、彼の中に生まれた感情に戸惑っていた。女性とつきあったことがないことはないが、決して本気ではなかったし、そもそもバスターの中にはいつの間にか人間不信が宿っていたのだから。異性に本心から恋愛感情を抱くことなど、彼自身、考えたこともなかったのだ。
「バスター、どうしたの? さっきからむずかしい顔して……どこか具合わるいの?」
 当の原因であるレアナに袖を引っ張られ、バスターは我に返った。咳払いをし、笑顔を作った。
「い、いや。別になんでもねえさ」
「そお?……心配しちゃうじゃない」
 レアナはまだ完全には納得したようではなかったが、それ以上の勘ぐりはせず、正面に向き直った。バスターは心の中でそっと安堵していた。
「ねえ……宇宙でのテストになったら、この風や空ともしばらくお別れなんだね……」
 バスターが安堵のため息を心中でついてすぐに、不意にレアナが言葉をこぼした。レアナのほうを見ると、レアナは風に髪を揺らされながら、上空を見上げていた。
「そうだな。でも、永久の別れってわけでもねえんだし。テストが終わったら、またすぐに帰ってこられるんだからさ。深刻になるなよ」
「うん……そうだよね」
 レアナは視線をバスターのほうへ向けて、また屈託なく笑った。バスターも釣られるように笑った。いつの間にか、バスターの心にあった惑いとわだかまりは消えていた。彼が自分の本心を素直に認めるのは、まだもう少し先のことになる……。

 夏の遅い夕方の空は、西のほうから徐々に赤く染まり始めていた。標高の高い基地に吹く風はあくまで爽やかで、熱ははらんでいなかった。



あとがき


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