[涙を拭いて、約束して]


 その日、バスターは最低の気分だった。何が原因かと言えば、ガイとの喧嘩である。もちろん普段は軽口を叩きあうくらいに親しい間柄だが、そのぶん、本気で喧嘩したときの反動は、バスター本人も思っていた以上のものだった。取っ組み合いにこそならなかったものの、散々口喧嘩をした挙句、二人はそれぞれの自室へこもってしまった。

 そういった訳でバスターがパイロットスーツのままベッドに横になっていると、コンコンと扉を叩く音が聞こえた。
「誰だ?」
 バスターがぶっきらぼうにそう言うと、声の主はおずおずとした様子で声を出した。
「あたし……入ってもいい……?」
 バスターがベッドから飛び起きて扉を開くと、そこにはレアナが立っていた。彼女もまだパイロットスーツのままだった。
「何か用か?」
「あの……えーと……うん……」
 どうにも歯切れの悪い返事だったが、レアナの意思はバスターにはじゅうぶんに伝わった。そのままレアナを部屋に入れてやると、バスターは扉を閉めた。バスターは椅子にどかっと座り、向かい側のベッドにレアナが座るように促した。レアナはベッドの縁にちょこんと座ったが、顔は下を向いたままだった。
「どうしたんだよ、いったい」
「あ、あのね……あたしたち、仲間だよね?」
 突拍子もないことを言われ、バスターの思考は一瞬ホワイトアウトした。思考が戻ってくると、バスターは「ああ」と答えた。
「だ、だからね、仲良くしなきゃいけないと思うの……ケンカしたままじゃ、どっちもイヤでしょう?」
 バスターはレアナが、バスターとガイの喧嘩のことを指しているのだとようやく気付いた。そういえば、あの場にはレアナとクリエイタもいた。だが二人ともバスターとガイの剣幕に圧されて、何も言わず、ただ傍観するしかなかった。バスターはガイとの喧嘩を再度思い出して、元から機嫌が良くないところが更に不機嫌になった。
「バ、バスター?」
 雰囲気の変化を感じ取ったのか、レアナがおどおどと、しかし心配そうにバスターの顔を覗き込んだ。レアナは手も伸ばしたが、バスターはやんわりとその手を払いのけた。
「バスター……」
「クリエイタやお前らには悪いことしたと思ってるさ。けど、口出しはするんじゃねえよ。他人の喧嘩に首突っ込むなんて……お、おい!? レアナ!?」
 レアナはベッドの脇にしゃがみこみ、ぼろぼろと涙をこぼしていた。一生懸命に袖で涙を拭っていたが、とても追いつく量ではなかった。バスターはあわててシャワールームからタオルを取ってくると、レアナに渡した。レアナはそのタオルで目を押さえ、まだ少ししゃくりあげているものの、ようやく収まったようだった。
「ごめんね、バスター……ごめんね」
 そう言ってレアナはバスターを見上げた。青い瞳の周囲は赤く腫れていて、それがどこか痛々しかった。バスターは椅子から立ち上がってレアナと同じ目線にしゃがみこむと、先ほどまでのぶっきらぼうな口調よりも優しく問いかけた。
「なんだよ……いきなり泣いたりして」
「あたし……何にも出来ないんだもの」
 レアナは目線をバスターに合わせると、搾り出すように答えた。
「おせっかいして、でも結局、あたしは無力なんだって言われたような気がしたの。だから……だから……」
 レアナは再び目元をタオルで押さえた。10分か30分か。よくはわからないがそれくらいの時間が経ったとき、バスターはレアナの頭に手をやり、そっと撫でた。
「バッカだなあ。お前が泣くことなんてねえんだよ」
「でも……」
「無力だからか? そんなことないぜ」
 バスターはニッと笑った。
「お前がこうやって忠告に来てくれなかったら、明日ガイに謝ろうなんて思わなかったぜ」
「!……バスター……じゃあ……」
「ああ、だからお前は無力なんかじゃないんだ。俺の気分が自分でも最低だったから、あんな態度取って、お前をまた泣かせちまったけど……だから安心しろ。な?」
 レアナは目の縁に残っていた涙の粒を拭うと、ニコッと笑った。そして、右の小指を差し出してきた。
「ん? なんだ?」
「約束。明日、ガイと仲直りするって約束して。ね?」
 小首を傾げたその表情があまりにも可愛らしくて、バスターはドキリとしたが、努めて冷静を保ち、自分の右の小指を、レアナのそれに絡ませた。

 翌日、朝食の席でバスターはガイに和解を申し出た。ガイとしてはあのバスターが素直に仲直りを求めてくるとは思わなかったので、当初は驚いたような表情をしていたが、すぐに笑って返した。サバサバして根に持たないところがガイのいちばんの長所のひとつでもあったのだから。その様子を見て、レアナはホッとした表情をしていたし、クリエイタも同じように安堵の表情をアイモニターに浮かべていた。テンガイは何も言わずに食事を摂っていた。

 やがて朝食を終えたテンガイが席を立つと、クリエイタがその後を追った。
「カンチョウ。アノフタリガ ナカナオリシテクレテ ヨカッタデスネ」
「ああいう年頃の若いもんにはよくあることだ」
「デモ マサカ バスターカラ アヤマルトハ オモイマセンデシタ」
「レアナに何か言われたんだろう。あいつはレアナにはどうも弱いからな」
「ソウ……ナノデスカ?」
 クリエイタはそういえば、二人が和解したとき、レアナが自分の右の小指を見つめていたことを思い出した。あれはバスターとの、何かの印だったのだろうか。
 テンガイは普段はクルーの揉め事には基本的に「我関せず」の態度を取っているが、それもあの3人の性格や人間関係を見越してのことだったのだ。クリエイタはテンガイの観察眼に改めて感服した。
「トニカク フンイキガ ヨクナッテヨカッタデス。コノTETRAノナカデハ クルータチハ カゾクノヨウナモノデスモノネ」
「そうだな。だからクリエイタ、そう心配することなどないぞ」
 テンガイは艦橋に入り、自分の席に座った。クリエイタはテンガイの仕事の補佐を始めながら、人の感情や関係の簡単なようでいて複雑なような一面を、また知った気がした。西暦2521年ある日の、TETRAという家族の一幕だった。



あとがき


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