[バナナ・マフィン]


「バスター、ここにいたの」
 艦橋で何やら作業をしていたバスターは、レアナの声に振り向いた。見れば、彼女が手にした紙袋からは湯気が立ち込めている。何かの菓子だろうか? バスターは素朴な疑問を抱いたが、今は自分の任務に没頭していた。
「ああ、モニターが何台かいかれちまってな。艦長に修理を頼まれてたんだ。でもこれで最後だ……よしっと!」
 バスターがコンソールを叩くと、モニターには節電モードの画面が正常表示された。バスターは満足げに笑みを浮かべると、傍に置いていた工具を片付けた。
「お疲れ様、バスター。でも、そういうのならガイのほうが得意じゃないの?」
「ガイは空調のほうで艦長と一緒に作業してたはずだぜ。またちょっとおかしかったからな。ガイや艦長には会わなかったのか?」
 バスターの質問に、レアナは首を振って答えた。
「うん。ガイも艦長も、もう作業終わっちゃったみたいでいなかった。もう寝ちゃったのかな」
「そうか。機械いじりはガイも艦長も得意分野だしな。ところで、その紙袋の中身、何なんだ?」
 バスターがレアナが大事そうに抱えている紙袋を指差すと、レアナはいま気付いたような表情をし、袋にごそごそと片手を入れた。
「クリエイタといっしょにマフィン、作ったの。明日の朝ごはんにって作ったんだけど、少し多めに作っちゃったから、バスターやガイに夜食代わりに分けてあげようと思って……マフィン、好き?」
「まあ、好きか嫌いかって言われたら、好きだな」
「よかった。はい、これ。まだあったかいから、やけどしないようにね」
 レアナからマフィンを受け取ったバスターは、それをそのまま口に運んだ。美味しそうな匂いが立ちこめ、口の中にマフィンの控えめな甘みが広がった。味わいから察するに、プレーンではなくバナナが入っているようだった。そのまま二口、三口と食べていると、レアナの視線に気付いた。
「どした? レアナ」
「えと……おいしい?」
「ああ、美味いぜ。そうでなきゃ、こんなにがっつかねえだろ?」
 バスターは半分になったマフィンを口から離し、笑って答えた。その言葉とバスターの表情に、レアナは心底ホッとしたようだった。
「よかったあ……クリエイタも手伝ってくれたんだけど、味付けとかはあたしがしたの。だから、どうかなって思って心配だったけど……それなら艦長やガイもよろこんでくれるよね?」
「おいおい、俺は試食係かよ?」
「そ、そんなんじゃないよ!」
 レアナはかーっと頬を赤くし、うつむいてしまった。そして小さな声でこう言った。
「バスターには、いちばんに食べてもらいたかったから……だから……」
 バスターは片手に食べかけのマフィンを持ったまま、隣の床に座り込んでいるレアナの頭をそっと撫でた。レアナが顔を上げると、バスターは相変わらず笑っていた。しかしそれは彼が日常で多く見せる皮肉交じりのものではなく、優しいものだった。
「お前が一生懸命作ったんだろ? それが不味いはずねえじゃねえか」
「そ、そう?」
「当たり前だろ。ちょっと食べてみろよ」
 バスターはマフィンをちぎると、レアナの口にそっと入れた。レアナはそのかけらをしばらく味わっていたが、やがて口元に手をやり、ほんのりとまた頬を染めた。
「ほんとだ……おいしい……」
「な?」
「でも……」
 レアナは頬を染めたまま、両手をその頬に当てた。バスターが「どうした?」と聞くと、レアナは少し恥ずかしそうに答えた。
「バスターが「おいしい」って言ってくれたから、余計においしいのかなって……なんか、不思議だね」
「何、子供みたいなこと言ってんだよ。俺まで照れるじゃねえか」
「だって、本当のことなんだもん」
 レアナはぷっと頬をふくらまし、バスターに反論した。バスターにはその顔が幼いながらも可愛らしく映り、一瞬、ドキリとした。バスターはその感情を隠すかのように、レアナの頭に手を置き、さらさらの髪の毛を梳くように触った。
「自信もてよ。お前はなんでもそうだけど、自信が足りてないことが多いんだよな」
「だって……あたし……知らないことが多すぎるんだもの……」
 バスターはレアナがパイロットとしての教育以外はまるで知らずに育った境遇を思い出した。その結果として精神年齢が低くなってしまったレアナから自信が奪われているのだろう。バスターはレアナの肩に手をかけると、自分のほうへ抱き寄せた。そして、さっきよりも近づいた距離で彼女の瞳を見つめた。
「お前が自信ないって悩む気持ちはわかるつもりだ。けど、お前はお前らしくして、それで自信を持ってればいいんだよ。変に大人びたりする必要なんてないんだ。それに……」
「そ……それに?」
 互いの体が近づいているせいか、互いの鼓動が意識しなくても伝わってきた。トクトクと速いレアナの鼓動を感じながら、バスターはレアナの耳元で囁いた。
「俺はありのままのお前が好きなんだ。だから……「今」の自分に自信を持てよ」
 レアナは先ほどよりもずっと顔を赤くして、バスターの胸に身を寄せた。ポーカーフェイスを装っているバスターの鼓動も、レアナのそれと同様に、速く駆けている気がした。レアナが傍らに置いたマフィンの入った紙袋が、カサリと音を立てて倒れた。中のマフィンが紙袋の中でころころと転がる音が微かにしたが、バスターもレアナもそれには気付いていないようだった。レアナはただじっと、バスターの胸に身を寄せていたし、バスターはそんなレアナの体をそっと抱きしめていた。

 TETRAの夜は更けていく一方だったが、二人はどちらからも離れようとはしなかった。まるでひとつの生命のように、互いの鼓動がシンクロしていた。



あとがき


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