[Blue Wish]


 ミーティングルームで本を読んでいたレアナは、急に右肩に重みを感じた。何事かと思ってそちらを振り向くと、隣に座っていたバスターが彼女の右肩にもたれかかっていた。バスターの膝からは、彼が読んでいた本が落ちかけていた。

 レアナは少し戸惑ったが、バスターを起こさないようにそっと彼の頭を肩から膝に降ろした。バスターの膝の上に乗っていた本がぱさっと音を立てて落ちたが、幸い、バスターは気付いていないようだった。身を乗り出して落ちた本を拾い、バスターとは反対側の隣の椅子に置くと、レアナはバスターの寝顔を見つめた。それは安心しきっていて、普段の冷静沈着で常にアンテナを張っている印象のあるバスターとはあまりにも対照的だった。
(昨日はTETRAの一斉整備だったんだものね。疲れが残ってても、仕方ないよね)

 TETRAは衛星軌道上へ退避して以来、定期的にメンテナンスを行っている。宇宙がクルーの安全な場所となってしまった今、TETRAの故障=彼らの死につながるのだから。現に、一度、空調に問題が起きて、一日がかりでなんとか修理したこともある。だから、月に一度の一斉点検は、大事な習慣となっていた。
(ガイも疲れた疲れたって言ってたし……男の人はやっぱり大変なんだなあ……)
 もちろん点検時にはレアナもくるくるとよく働く。しかし、力仕事などはやはり男の仕事になるので、点検が済むと、バスターとガイ、二人の若人はへとへとになっているのだった。だからバスターもガイも、昨日は夕食が済むと、早々に寝てしまっていた。今朝は二人とも元気に起きてきたが、やはりどこかに疲れがたまっていたのだろう。バスターはレアナの膝を借りて眠るという現状に陥っていた。

 だが、レアナはこの行為が嫌ではなかった。むしろバスターに安心を与えられるのは自分なんだと思うと、ひどく嬉しかった。レアナは読んでいた本をやはり横に置くと、バスターの赤い髪にそっと触れた。それはまるで、眠った子供を見守る母親のようでもあった。
(そういえば……)
 レアナはバスターの髪を撫でる手を止め、思い立ったように左手のグローブを脱いだ。その薬指には、青い宝石が飾られた指輪が光っていた。それは誕生日にバスターに贈られたもので、サファイアの指輪だった。デザインが上品なせいか、レアナの手には派手すぎずよく似合っていたし、いつもつけている皮製のグローブをつければ外からは見えなかったので、レアナはバスターから贈られて以来、ずっとその指輪をしていた。聞けば、バスターの生き別れになった母親の、たったひとつの思い出の品らしい。そんな大事なものを自分にくれたことが、レアナは本当に嬉しかった。

 左手の薬指にはまっているのは、別に意味があったからではない。たまたま入る指がそこだったのだ。だが、レアナは少し違う考えを持っていた。この指輪はたまたま薬指にはまったのではなく、自分の薬指にはまるように出来ていたのだと。都合のいい考えかもしれなかったが、そう考えたほうがレアナは嬉しかった。

 両手を前に伸ばして左の薬指に光る青い光沢を眺めていると、バスターがレアナの膝に置いた頭を動かした。
「ん……」
 レアナがバスターの顔に視線を戻すと、その瞳は半分ほど開いていた。
「あ、起きちゃったの? バスター……もう少しくらい寝ててもよかったのに……」
「へ?……ここは俺の部屋じゃねえよな……な、なんで俺、お前の膝枕で寝てたんだ!?」
 バスターは顔を赤くしてあたふたとなった。そんないつも冷静なバスターらしくないバスターがおかしくて、レアナはくすりと笑った。
「バスター、昨日の疲れが残ってたんだね」
「い、いやいや、そういう問題じゃなくて……」
「あたしだったら平気だから。まだ休む?」
 ちょっといたずらっぽく笑ったレアナに対し、バスターは相変わらず顔を赤くしたまま返した。
「そ、そんなこと出来る訳ねえだろ! 寝ちまったんなら、起こしてくれれば……あ? レアナ、その指輪……」
 バスターは言葉をまくしたてたが、レアナの薬指に光る指輪に気付いたようだった。かつて自分が贈ったものなのだから――間違えようがなかった。
「あ、これ?……いつもしてるんだよ。だって、バスターがくれたんだもん。嬉しくないはずがないじゃない」
 無邪気にレアナは返答したが、バスターは先ほどにもまして赤面していた。
「でも今まで気付か……ああ、グローブで隠れるもんな……」
「でしょ?」
「でも、ガイや艦長に見つかったら、何て言うつもりだったんだよ?」
「え? 素直に言うよ。バスターが誕生日にくれたって」
「いや、そういう意味じゃなくて……そういう意味もあるけど……はめてる指が指だからよ……」
 バスターは照れ隠しのつもりか、髪をばさばさと掻いた。レアナはにっこり笑い、指輪を右手でそっと撫でた。
「いいじゃない。それともバスターは……イヤ?」
 レアナの笑顔の中に少し不安が混じった。バスターはその表情を見て、観念したかのように答えた。
「い、いや……嫌なんかじゃねえよ。俺も……お前がそんなに嬉しがってくれてるのだったら……嬉しいしよ……」
「よかった……」
 レアナは立ち上がると、脱いだ左手のグローブを右手にもったまま、バスターの腕に自分の腕を絡まった。
「バスターはもう寝たほうがいいよ。ね?」
「ああ、そうだな……」
「それとも……今日は膝枕、かしてあげようか?」
 レアナがそう言って笑うと、バスターはまたもや頬を赤くした。
「俺達くらいの年頃の奴が、そんなことほいほいと言うもんじゃねえぞ。わかってんのか?」
「なにを?」
「いや……もう別にいい」
 バスターは複雑そうな表情だったが、レアナは相変わらず無邪気だった。

 バスターの部屋の前で二人は別れ、レアナは自室に入っていった。シャワーを浴び、パジャマに着替えると、彼女にも睡魔が降りてきた。ベッドにもぐりこむと、そのまま安らかな寝息を立てはじめた。その左手には、さきほどと変わらず、青い宝玉が光っていた――。



あとがき


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