[追憶の夏]


 西暦2520年、7月もまだ上旬の季節。地球連邦軍試験飛行場のカフェテラスの屋上では、昼食を外で食べる者、もしくは昼食を既に食べ終えてひとときのくつろぎに身を任せる者と、何人もの人影が見えた。

 その中のベンチのひとつに、バスターとレアナは並んで座っていた。二人とも昼食は食べ終え、それぞれ購入したアイスコーヒーとアイスティーを口にして、ベンチに腰を下ろしていた。
「ガイってば、また部品壊しちゃうんだもの。今日もお昼間に合わないかもねえ」
「あいつも懲りない奴だよな」
 バスターは笑い、アイスコーヒーをぐいっと飲んだ。そして、レアナの傍らの紙包みに気付いた。
「ところでお前、その包み、何買ったんだ?」
「ガイのぶんのお昼だよ。お昼抜きじゃ辛いでしょ? だから買っておいたの。サンドイッチとかなら試験飛行の合間にでも食べられるじゃない?」
「ああ、そうだな……」
 バスターは自機の修理と調整に昼食抜きでいそしんで、午後にぐったりしているガイの姿を思い出した。そのガイにあらかじめ昼食を買っておく、そんなレアナの細やかな心遣いに、バスターはレアナが幼いと周りに言われながらも、やはり女の子らしく成長しているのだと実感した。
「どうしたの? だまっちゃって」
「いや、なんでもねえさ」
 屋上は涼しい風が流れていた。7月上旬と言えば温帯気候ではもう夏なのだが、緯度が低いとはいえ、比較的高地にあるこの飛行場は、まだ盛夏とまではいかず、初夏の爽やかさが残っていた。
「気持ちいいねー」
 レアナは風に髪を軽くなびかせ、バスターに笑いかけた。バスターも「そうだな」と笑って答えた。
「俺はあんまり暑いのは好きじゃねえしな。今頃の季節がちょうどいいんだろうな」
「バスターって、寒いところの生まれなの?」
「特別寒いところ……ってわけでもねえな。気候的には温帯さ。四季もあったから、かなり恵まれてる地域だな」
 地球上の気候が過去の大規模な自然破壊によって変動を示している現在、バスターが育ったような温帯地域や寒帯地域は減少し、代わりに熱帯や亜熱帯気候地域が増加していた。そして住み良い地域に住むには経済的に豊かな階層であることが、いつの間にか暗黙の条件となっていた。バスターの父親は政治家であったから、住み良い温帯に住居を構えていたことも当たり前と言えば当たり前だった。バスターはその事実と、その環境に疑問を抱かずにぬくぬくと暮らしていた子供時代を思い出し、小声で呟いていた。
「……ったく、俺も結局はお坊ちゃんだったってことかよ……?」
「え? バスター、なにか言った?」
「あ? い、いや、別に。お前の……レアナのいた施設は、どうだったんだ?」
「うんとね……街からははなれてたね。夏はこんな涼しいのは、初めと終わりだけだったから、結構暑いところだったと思う」
 とすると亜熱帯地域か――バスターは飲み終えたカップを横に置き、ベンチの背にもたれかかった。街から離れているのは当然だろうと思った。軍の施設など、人目の多い場所に造るわけにはいかないのだから。
「あたしね、一度だけ、家に帰ったことがあるんだ」
 突然、レアナが言葉をこぼした。バスターは少し驚き、もたれかかった姿勢を正した。
「施設に入って1年後くらいかな。まだそんなに暑くない今くらいの夏にね、施設に出入りしている運搬車に隠れて、とりあえず街までたどり着いたの」
 レアナは両手に持ったアイスティーのカップをじっと見つめたままだった。身を起こしたバスターは、レアナの横顔を見つめていた。
「街に出てから、かすかに覚えていた住所までなんとか行ったの。お金は施設に入るときに持っていたぶんだけ、少ししか持ってなかったから、なるたけ歩いたけど」
「お前、5〜6歳くらいだったんじゃないか?」
「そうだね……たぶん、それくらいだったと思う」
「よくそれだけのバイタリティと知識があったなあ」
「見直した? えへへ」
 レアナはバスターに向かって笑ったが、すぐにその笑顔は寂しそうになった。
「……家に帰りたい一心だったんだと思う。それで……なんとか、着くことが出来たの。でも……」
 レアナの言葉が途切れたが、バスターは何か言って急かそうとは思わなかった。ただじっと、レアナの次の言葉を待った。
「でも、そこには、別の家族が住んでたの」
 レアナは少しぬるくなったアイスティーを一口飲んだ。バスターは寂しそうなレアナの横顔をずっと見ていた。
「それで……あたしにはもう、帰る家がないんだって言われちゃった気がして……それからは覚えてない。確かお巡りさんに保護されて、施設に戻ったんだと思うけど。でも、あの施設は住んでいる場所ではあっても……家じゃなかったから……」
 レアナは片手の親指をぎゅっと噛んだ。そうやって、まるで泣くのをなんとか我慢しているようかのようだった。バスターは何も言わずに視線を自分の足元に移していた。
「今だってどこか決まったところに住んでいるわけじゃないし……あたしはもう、これからずっと、ひとつところの家には住めないんだと思う」
「何言ってんだよ」
 レアナがバスターの声に顔を上げると、バスターは神妙な顔をしていた。すっと片手を差し出すと、レアナが親指を噛んでいたほうの手を取って、そっと握った。
「今のお前には、TETRAっていう帰るところがあるじゃねえか」
「TETRAが? 帰るところ……?」
 レアナはきょとんとした様子で呟いた。バスターは握った手に力を込め、優しく笑った。
「ただ住むだけの家は家じゃねえさ。でも、それなら逆のことも言えるだろ? 住むだけじゃない場所ならそこが家の形をとってなくたって、家だって言えると思えるぜ」
「バスター……」
「おっかないけどしっかりした艦長だろ、心遣いのあるクリエイタ、元気が余りすぎてるガイ、それに……俺。こんなに一緒に住んでる連中がいるじゃねえか」
「……うん!」
 レアナの頬をひとすじの涙が流れたが、それは哀しみからではなく、喜びからだった。その一滴を指で拭うと、レアナはバスターに笑い返した。
「艦長がお父さんで、クリエイタはお母さん……かな? それで、バスターはお兄さんで、ガイは弟だね」
「ま、そんなとこだな」
「だけど……」
「ん? なんだ?」
「おーい! バスター! レアナ!」
 レアナが何かを言いかけたとき、二人の背後から思わぬ声がした。振り返って下を見てみると、それはガイだった。バスターも距離の離れたガイに聞こえるように、大きな声を出した。
「なんだ、ガイ? やっと解放されたか?」
「おー! そうともよ! でも今から昼じゃなあ。午後に間に合わねえぜ」
「それならだいじょうぶだよー!」
 レアナがサンドイッチの入った袋を手に取り、ガイに見えるように掲げた。
「お昼、買っておいてあげたから! シルバーガンの中ででも食べたら?」
「お! サンキュー! レアナ! じゃあ俺様、滑走路のほうに戻ってるぜー!」
 それだけ大声で話すと、ガイは彼が来たほうへ戻っていった。
「さてと……じゃあ、俺たちも行くか、レアナ」
「うん」
 二人はベンチから立ち上がると、階段のほうへ向かった。その途中、バスターはレアナに問いかけた。
「ところで……」
「え?」
「さっき、何か言いかけたろ? 何だったんだ?」
「あ……あれはね……やっぱりヒミツ!」
 そう言い残すと、レアナは階段を走って降りていった。
「あ、こら待てよ!」
 バスターの声を背後に聞きながら、レアナは心の中で独り呟いていた。
(バスターはお兄さんでもいいけど……おムコさんでもいいかな……って。でも、今はまだ……少し恥ずかしいから……)

 夏の日の午後。太陽は変わらず眩しく、風も人々を見守るように爽やかだった。



あとがき


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