[想いの瑕]


 愛しければ愛しいほど、失う悲しみが大きい――そんな言葉を昔、聞いた覚えがある。そのときは、何を当たり前のことを言っているのだと呆れている自分がいた。だが、レアナに出会って――その言葉が当たり前を通り越して、普遍の原理であるということに、バスターは気付かされた。

 レアナはバスターの膝枕で眠っていた。傍には酒の瓶が4分の1ほどの中身を残して鎮座していた。半分はバスターが、4分の1はレアナが飲んだぶんである。酒はテンガイから貰ったもので、アルコール度数はそれほどでもないものだった。テンガイがバスター、レアナ、ガイにそれぞれ一瓶づつ与えたのだが、恐らくは酒の味も知らないで死ぬかもしれないことを不憫にでも思ったのかもしれないし、バスターやガイよりも年少であった頃から酒を飲んでいたというテンガイなりの思いやりだったのかもしれない、バスターはそう思うことにした。

 バスターは自分に与えられた酒を手付かずのままに置いていたが、レアナが彼女に与えられたぶんの酒を持ってやってきた。多分、飲んだこともないものを飲む不安があったのだろうし、レアナが少しでもバスターの傍にいたいという思いもあったのだろう。バスターも一人で飲むよりもいいと思ったし、相手はレアナである。断る理由などなかった。

 しかし――飲みはじめて30分もしないうちに、レアナはダウンしてしまった。飲んだ量はバスターの半分だと言うのに、やはりアルコールに慣れていない彼女には大ダメージだったのだろう。バスターの膝を枕にして眠るレアナを尻目にバスターは酒瓶の蓋を閉めた。そしてレアナを見ているうちに、バスターは例の言葉を思い出した。

『愛しければ愛しいほど、失う悲しみが大きい』

 そして、その後に続いた言葉も思い出した。

『だから、共に死を選んでしまったほうが幸福だ』

 その言葉が頭を埋め、ぶんぶんとバスターは頭を振った。なぜなら、彼自身もほんの少しだが、そう思ったことがあるからだ。

 レアナと出会ったのはTETRA配属になったときだった。先に配属されていたガイよりも遅れて、共にやってきたのだ。最初は彼女の幼さと天真爛漫さに振り回されたものだった――もっとも、それは今も変わらないが。だが、彼女への自分の中の想いに気付いたとき、彼女と自分の立場の違いにも気付いてしまった。

 バスターは士官学校を出たエリート軍人と言ってもいい立場だった。恐らくはこのまま出世すれば、将校にだってなれただろう。対して、レアナは軍のラボの実験体も同然だった。このままではレアナとは一緒にはなれないだろう――嫌でもその考えがバスターの頭をかすめた。将校になってレアナを実験体という立場から引き取る――そんな考えもよぎったが、それまでレアナはまともな扱いを受けているだろうか。不安ばかりが頭を支配していた。

 一度、まだTETRAが地球上にいた頃、バスターは試験用滑走路の片隅で、レアナと共に休んでいた。二人は座り込み、レアナはバスターによりかかって眠っていた。そのとき、あの考えがバスターの頭をかすめた。

『愛しければ愛しいほど、失う悲しみが大きい』
『だから、共に死を選んでしまったほうが幸福だ』

 バスターはレアナの首筋を見つめた。白く、細い首だった。バスターが力を加えれば、簡単に折れてしまうだろう。
(ドウスル気ダ?)
 バスターはレアナの首に手を伸ばした。触れるか触れないかの寸前に、また声が聞こえてきた。
(オ前モ後ヲ追ウ勇気ハアルノカ?)
 バスターはハッとして、手を引っ込めた。レアナは気付かず、すうすうと眠っていた。その寝顔に、自分はこの少女を殺めることなど出来ないことを思い知らされた。自分が求めているのは無邪気に笑うレアナなのだ。冷たい骸ではない。バスターは額に手をあて、ため息を大きくついた。

 レアナと離れ離れになるかもしれない。そんなバスターの危惧は、西暦2520年7月14日に消え去った。離れ離れどころか、ずっと一緒にいるのだから。これは定められた運命だったのだろうか。それとも――バスターは深く考えることをやめた。人類が滅亡寸前まで追い込まれたことは理解の範疇を超えるほど深刻なことには違いない。ただ、たとえ不謹慎であっても、今はレアナと共にいられる喜びを味わおう――そう思った。

 想い人と離れ離れになるかもしれない――その不安をレアナも抱いていたことは、最近知ったことだった。そのときは、将校になっても駄目だったら、かけおちしてピロシキ売りでもピザ職人にでもなって暮らせばいいさ――バスターはそう明るく笑って答えた。そんな冗談まじり受け答えが出来たのも、皮肉にも、彼らがこの状況にあるからだった。
「……ったく、あの「石」もとんでもない奴だけど、俺もろくでもない奴なのかもな……」
 バスターは小さく呟き、レアナの手をそっと握った。一回り小さいその手は温かく、心地よかった。
「あの言葉は今でも頭の中にあるけど……それよりも、お前を最後まで守ることのほうがずっと大切だって、今は思ってるさ……なあ、レアナ?」
 バスターはレアナの手を握ったまま、自分も目を閉じて眠りに落ちた。

 「愛」には色んな形がある。その中には相愛でありながら死という破滅に向かうものもあれば、幸福へと導かれるものもある。バスターとレアナが選んだのは後者だろう――それがたとえ定められた短い期間であっても。眠る二人の間には、穏やかで優しい空気が流れていた。



あとがき


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