[波音幻想]


 バスターが自室に帰ってくると、部屋の中に誰かがいる気配に気付いた。誰なのかはおおかた見当がついていた。バスターの部屋に主であるバスター以外に気楽に訪れる人物など、このTETRAでは一人しかいない。扉をバスターが開けると、スタンドランプの柔らかな暖色系の明かりが灯っていた。そして部屋の中に設置されている椅子の上にレアナが座っており、これまた備え付けのテーブルに突っ伏して眠っていた。
「こんなところで何も寝なくても、ベッドに寝りゃあいいのに……いや、それはまずいか……?」
 バスターはわずかの間に考えを逡巡させたが、すぐに頭を切り替え、レアナを抱き上げた。レアナは熟睡しているようで、バスターが抱き上げても起きる気配はなかった。ベッドのシーツとブランケットを剥ぎ取ると、バスターはレアナのブーツを脱がせてそこに寝かせた。すうすうと穏やかな寝息を立てて眠るレアナの寝顔は、何度か見たことがあるが、人を安心させるものがあった。彼女の無垢な心が顔に表れるのか、それともこの寝顔のオーラは彼女が生まれ持った才なのか。どちらにせよ、バスターはしばし、レアナの寝顔に心を奪われたように、彼女の髪を撫でながらレアナの横顔を見つめていた。
(男の部屋で、こんなぐっすり眠っちまうなんてな……ま、それもこいつらしいけどな)
 バスターは先ほどまでレアナが座っていた椅子をベッド脇まで寄せると、ひざ掛けを収納ボックスから引っ張り出し、それを背中から被った。そして、レアナの眠るベッドに頭をどすっと落とすと、うつ伏せになって、そのまま眠りに落ちていった。

 それから時は流れて午前6時ごろ――バスターはパッと目が覚めた。目覚ましも念の為に使っているが、軍人として鍛えられた彼の体内時計は正確だった。椅子に座ってうつ伏せで寝たせいか、体中がボキボキ言っていそうな感覚があった。
(こりゃ、ミーティング前にちょっとストレッチでもしたほうがいいかな?)
 バスターがそんなことを思いながら背筋を伸ばしたりしていると、ベッドからも微かな声が聞こえてきた。
「う……ん……」
「起きたか? レアナお嬢さま?」
「……え?……きゃあ! な、なんで!? どうして、あたし、もしかしてバスターといっしょに寝てたの?」
 レアナはなぜ自分がバスターのベッドで寝ているのかが全く理解できてないようで、混乱状態だった。バスターはその様子を笑いながらもレアナの方をポンポンと叩き、彼女を鎮めようとした。
「落ち着けって。お前はベッドで寝てたけど、俺はこっちの椅子で寝てたんだからよ。それに俺は何もしてねえ。それは信じてくれるよな?」
「……うん。バスターがそんなことするわけないもんね……ごめんね、バスターのベッド取っちゃって」
「気にするなって。けど、お前、何で昨日、俺の部屋にいたんだ?」
「あ!……それなんだけど……」
 レアナは裸足のままベッドから降りると、テーブルの上に置いてあった巾着袋を手に取った。そう大きいものではなかったし、色が青色だったので、夕べの闇の中では、バスターはその存在に気付かなかった。レアナが袋を開けて中身を取り出すと、それはレアナの掌に乗るくらいの大きさの貝殻だった。レアナはそれをテーブルの上に10個ほど並べた。
「貝殻?……お前、こんなもん、いつ拾ったんだ?」
「バスター、一度、海に連れて行ってくれたでしょ? そのときに拾ったの。あ、ちゃんと洗ってあるからきれいだからねえ? 昨日、偶然見つけてね、きれいだしなつかしいから、バスターにも見せてあげようと思って持ってきたの」
 バスターは貝殻を一個手に取り、それを耳にあてた。
「『私の耳は貝の耳。海の響きを懐かしむ』……なーんてな」
「なに、それ?」
「古い詩人の有名な詩さ。でもそう思うと、本当に海の音が聞こえてきそうだな」
「へええ、そうなんだ。あ、こんなのもあるよ」
 レアナが巾着袋を逆さにすると、2〜3枚の平たい石のような欠片がころころと出てきた。
「なんだ? それ?」
「あたしにもわかんないんだけど。でもきれいだから取っておいたの。きれいでしょ?」
 バスターが欠片をつまんで眺めると、それは不透明だったが、上品な輝きを見せていた。ふと、バスターはこの欠片の正体に思い当たった。
「おい、レアナ。これ、ガラスの破片だぜ」
「え? ガラス?……でも、こんなに丸いし、全然とんがってないし」
「砂と波に洗われてこんな風に丸くなったんだよ」
「そうだったんだ……」
 レアナは少ししゅんとなった様子だった。バスターは余計なことを言ってしまったかもしれないと後悔の念に駆られたが、レアナの手を取ると、その上にガラスの欠片を乗せた。
「元が割れたガラスでも、今はこんな綺麗なものになったんだ。人間だって言うだろ。大事なのは出自じゃない、その本人の資質だって」
「バスター……」
「後でガイや艦長たちにも見せてもいいかもな。こんな貝殻が宇宙で見られるとは思ってもねえだろうし」
「うん!……そうだね。そうしようっと」
 レアナはテーブルの上に並べた貝殻を巾着袋に戻していった。だが、いちばん白くていちばん綺麗な貝殻と、やはり七色に光るようにも見える特に美しいガラス片のひとつは、テーブルに出したままだった。
「どうした? それ、片付けないのか?」
「バスターにあげる。あたしの気持ち。とっておいて」
「いいのか? お前の大事なものだろう?」
「だ、だから……バスターにもらってほしいの」
 レアナは少し頬を赤らめた。バスターもどぎまぎとしてしまったが、すぐに平静を装って、レアナの頭を撫でた。
「そうか。ありがとうな、レアナ」
「ううん。気にしないで。バスターがもらってくれるだけで嬉しいの」
 レアナは少しうつむいて、しかしその表情は明るかった。そんなレアナをバスターは笑みを浮かべて見ていたが、ふと、ベッド脇の時計に目をやった。
「おっと、もうこんな時間か……朝飯に行こうぜ、レアナ」
「あ、うん。じゃあ、行こうよ」
 片手に巾着袋を持ったレアナは、バスターに続いて部屋を出て行った。

 明かりの消された室内は暗かったが、白い貝殻とガラス片は微かに光っていた。それは宇宙からは遥か遠い海の思い出。そして、バスターとレアナの大事な思い出の欠片のひとつでもあった。



あとがき


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