[愛しき温度]


 目の前にレアナが横たわっていた。いや、倒れていたと言ったほうが適切かもしれない。バスターが恐る恐る近づいて彼女の体を触ると――冷え切っていた。彼女に触れたときにいつも感じる温かみ、それが欠片も感じられなかった。感じたものは、まるで氷に浸っていたような冷たさだった。
「レアナ……?」
 彼女の名前をこわごわと呼んだ。だが、返事はなかった。思い余って彼女を抱き起こすと、その小さな口元から血が一筋流れた。
「レアナ? レアナ! レアナ!」
 バスターは気がふれたかのように名前を呼び続けた。しかし、その体にはもはや魂は入っていなかった。バスターはそれでもレアナを手放せず、抱きしめたままだった。

 目を覚ますと、まだ時刻は早朝だった。額にかいた嫌な汗を袖で拭い、起き上がると、レアナのことが気になって仕方がなかった。だが、まだ朝食の時間ではなかったし、いま彼女を起こしに行っては迷惑なだけだろう。バスターは荒っぽい仕草でタバコを取り出すと、エアクリーナーのスイッチを入れるのも忘れて火を点けた。タバコは何の味もしなかった。むしろ不味かった。バスターはすぐに吸いかけのタバコをもみ消すと、再びベッドに仰向けになった。レアナに会いたい。いつも笑っていて、生気に満ちたレアナに。ただその想いだけがバスターを支配していた。

 時刻は刻々と、しかしバスターにとってはのろのろと進み、朝食の時間となった。バスターは着替えるのももどかしく、自分の部屋を出た。食堂に行ってみると、そこにはテンガイとクリエイタがいた。レアナとガイはまだ来ていないようだった。
「どうした、バスター。今日は早いな」
 テンガイが声をかけてきた。バスターは髪をかきあげ、自分の取り乱した様子を悟られまいとした。
「あ、ああ。艦長、おはよう。いや、目が覚めちまってさ」
「オハヨウゴザイマス」
「おう、おはよう……レアナやガイはまだか?」
「そうせっかちにならんでも、もうじき来るだろう。なんだ? 何か用でもあるのか?」
「い、いや、まあ……ちょっとな」
「おはよー」
 バスターがもやもやとしていたそのとき、待ち人――レアナが入ってきた。いつものようにパイロットスーツをぴしっと着込み、髪をヘアバンドで留めて、笑っていた。そのレアナの様子に、バスターはようやく少しホッとしたような思いになった。
「ああ、おはよう……レアナ、ちょっといいか?」
「え、なに?」
 バスターはレアナの手を握ると、部屋を出て通路のほうへ歩いていった。クリエイタは不思議そうな様子だったが、テンガイは全て知っているような悟った表情をしていた。

 食堂を出ると、通路がT字型になっていて、メインの通路からは外れて影になる場所がある。そこへレアナを連れてくると、バスターはレアナの頬に両手をあてた。頬は紅潮こそしていなかったが、温かみが確かに感じ取れた。レアナが怪訝な顔をするのも束の間、バスターは思い切ってレアナの体を抱きしめた。そこには確実にレアナの体温があった。鼓動があった。ゆうべの夢の中で抱いたような冷たさは微塵も感じられなかった。
「バ、バスター?……どうしたの?」
 レアナは急なバスターの行動に面食らったようだったが、それが嫌だとは少しも思っていないようだった。
「お前は……」
「え?」
「お前は……ちゃんとこうして生きているんだよな……だからこんなに温かいんだよな……」
 バスターは搾り出すようにそれだけ呟いた。レアナは状況がうまく掴めていなかったが、バスターの背中に手を伸ばすと、泣き出した子供をなぐさめるように背中をゆっくりとさすった。その手の温かみさえ、バスターには心地よかった。
「あたしはちゃんと生きてるよ、バスター」
「ああ……ああ……!」
 レアナを抱くバスターの手に、更に力が入った。細いレアナの体が折れるのではないかと思われるほどだった。それでもレアナは何も言わなかった。ただバスターの背中をさすり、バスターに抱かれるままになっていた。
 バスターはレアナの体をいったん離すと、彼女の蒼い瞳をじっと見つめた。そして目を閉じると、そっとレアナの額にくちづけた。レアナは当然のごとく顔を赤くしたが、次の瞬間にはその顔を隠すかのようにバスターに抱きついていた。
「バスターってば……」
「なんだ?」
「いっつもそうなんだもの……いきなりで急で……でも……うれしいから、何も言えないじゃない」
 そう言って顔を上げたレアナは笑っていた。バスターはその表情に、全てを癒された思いだった。そう、昨夜の悪夢さえも――。
「俺はいつもそうなんだよ……今頃わかったのか?」
 バスターは少し意地悪く言った。レアナはぷっと頬を膨らませたが、すぐに笑顔に戻って返答した。
「いじわるなんだから……」
 バスターとレアナは微笑みあい、お互いを見つめ合っていた。

「朝から熱いなあ、あいつら」
 バスターやレアナより遅れて食堂に入ってきたガイが、開口一番に言った。
「ナニカアッタノデスカ?」
 お湯を入れた軍の備品の味気ないティーポットをテーブルに置いたクリエイタが、ガイに何事かと尋ねた。
「いや、そこの通路の影でよ、バスターとレアナが……」
「ガイ」
 それまで黙っていたテンガイが、唐突にガイの名を呼んだ。ガイは思いも寄らぬ声に、言葉を詰まらせた。
「へ? な、なんだよ、艦長」
「プライベートにはあまり口出しせんことだ。ましてやそれが男女間の間柄ならなおさらな」
 ガイは図星を指されたようにうっとなり、がりがりと髪をひっかいた。
「了解了解。しかしこうなると、あいつら、本当に幸せものだよなあ」

 当のバスターとレアナは、まだ通路の影にいた。バスターはレアナの髪を指で梳くと、彼女の体温を全身で感じていた。
「そう、そんな夢が……」
 レアナはバスターが見た夢の内容を聞き、今のバスターの様子に合点がいった表情をしていた。
「あたしは……こんな状況だからいつどうなるのかわからないけど……もしも、もしものときは……バスターといっしょだよ。絶対に……」
 バスターは何も言えず、ただただレアナを抱きしめていた。だが、これだけはと心の中で誓った。この少女を守るためなら、自分は何だってすると。この温かみを失うことには耐えられないからと――。



あとがき


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