[約束の場所]


「バスター、ちょっといい?」
 シルバーガンの地上テストもひと段落ついたころの昼食後、レアナがバスターに話しかけてきた。
「ああ、別にかまわねえけど。なんだ?」
「あのね……「グリーンプラント」のこと、覚えてる?」
「「グリーンプラント」?……ああ、あそこか」
 グリーンプラント。そこは深緑地や温室を一般に開放しており、植物の研究や栽培を行っている施設だった。バスターが10歳ごろにレアナと初めて出会った場所であり、思い出深いところだった。
「で、そのグリーンプラントがどうかしたのかよ?」
「あ、あのね……明日はテストはお休みでミーティングだけでしょ? 一応非番だし、だから、バスター、一緒に……行かない? 前に乗せてもらったバイクで行けば、ここからそう遠くないと思うの」
 確かに2、3日前、、落ち込んでいたレアナを元気付けようと電動バイクを飛ばし、彼女を海まで連れて行ったことがあった。海をほとんど見たことのないレアナは、ただでさえ子供っぽいのに、更に無邪気になって、波打ち際で遊んでいた。その様子は、砂浜でしゃがみこんでいたバスターにも微笑ましい風景だった。
「グリーンプラントか……確かにバイクでなら、この基地から日帰り出来るな。じゃあ明日、行くか、レアナ?」
 レアナはぱあっと明るい表情になり、心底嬉しそうだった。
「ありがとう、バスター! あたし、お弁当も作るからね」
「お前、料理出来たのか?」
「失礼ねー。クリエイタに結構色々教えてもらったもん」
 そう言って頬をぷっと膨らませたが、その仕草さえ愛らしかった。
「悪かったって。楽しみにしてるからな」
「うん。あたしも楽しみにしてるからね!」

 翌日――朝のミーティングを済ませたあと、バスターはジャケットをTシャツに羽織り、足元はライダーブーツに、レアナはロングスリープのTシャツ、下はキュロットという私服に着替えた。レアナは今朝作った昼食を入れたナップザックを背負い、バスターの大型のレーサーレプリカ電動バイクに乗り込んだ。その様子をガイに冷やかされもして、毎度のことなのにバスターは顔を赤くして反論していたが、それも微笑ましい光景だった。バスターとレアナはそれぞれにヘルメットを被ると、バイクのエンジンを入れ、あっという間に基地から離れていった。
「ふーん」
 ガイは誰に言うでもなし、呟いた。隣にいたクリエイタが不思議そうな顔をしていたが、ガイはまたも「ふーん」とこぼした。どうやらそこには色んな感情がないまぜになっているようだった。だが嫉妬のような負の感情はないところが、ガイらしくもあった。

 朝方に出発して、グリーンプラントに着いたのは昼前。そこは、数年前と同じようにも思えた。まるで時が止まったように。バスターが感慨深そうに周囲を見回していると、レアナの声が響いてきた。
「バスター! こっちこっち!」
 レアナの場所へ行ってみると、そこには二人で登ったあの大木が鎮座していた。子供の頃はもっと大きく見えたように思えたが、今、見てみると、そう巨大な木でもなく思えた。
「これって、あれだろ? 俺とお前が登った木」
「そうだよ。ね、もう一度登ろうよ」
「そりゃ構わねえけど……ケガだけはするなよ?……俺、艦長にこっぴどく怒られちまうし、それに……」
「それに?」
 レアナは不思議そうに首を傾げた。
「俺の前でお前がケガするなんて、そんなことは御免だからな」
 それだけ言うと、バスターは木の表面をなぞりはじめた。レアナはほんのりと顔を赤らめていた。

 木を登るのは、数年前に子供だったころよりもずっと楽だった。軍人としての訓練のたまものか、体力は確実に上がっているのだから。ただ、パイロットとしてはエリートだったが、筋力トレーニングなどはほとんど行わなかったレアナは、少し息を切らしていた。子供の頃より背が伸びたが、その体を支える力は比例的に上がらなかったのだろう。そんなときにはバスターはちょうどいい枝ぶりのところで彼女を待ち、手が届く距離になると、彼女を引っ張り上げてやった。レアナは額に汗が光っていたが、バスターの手助けが嬉しいらしく、笑顔でそれに応えていた。

 やがて、頂上の枝に辿り着いた。そこは子供の頃の記憶よりも狭い場所であったが、そこから見える風景は何も変わっていなかった。緑の絨毯のようなグリーンプラントの野外エリア、日光を乱反射するクリスタルドーム、そして何よりも、ここから見える空の大きさは変わらなかった。青い青い空が、どこまでも続いていくように見えた。
「やった……ね。バスター」
 レアナは多少息切れしていたが、降りられないほどではないようだった。ここで少し休めば、すぐに体力が戻ってくるだろう。バスターはレアナが頂上の枝から滑り落ちないように、彼女の手をしっかりと握っていた。
「来てよかったね、バスター」
 レアナは満面の笑みでバスターに笑いかけた。バスターも笑って返した。
「ああ、ここは昔通りなんだな……」
 爽やかな風が心地よく、二人は手をつないだまま、緑の絨毯や頭上の蒼穹を眺めていた。

「さて、そろそろ降りるか」
「うん。もったいない気もするけどね」
 レアナが残念そうに枝から枝へと足を移した。そのとき、迂闊にも脆弱な枝に体重をかけてしまった。枝がパキッと折れる乾いた音がしたのと同時に、レアナは頂上から今にも落ちかけた。
「レアナ!」
 バスターは咄嗟に手を伸ばし、レアナの腕を掴んだ。パラパラと乾いた小枝が落ちる音が響き、バスターは引っ張り上げたレアナを抱きしめていた。二人はしばし無言だったが、レアナが小さな声で囁いた。
「……こわかった」
 バスターは黙ってレアナを抱きしめ、頭を撫でた。
「こわかった……バスターがいてくれなかったら……バスター……」
 レアナはバスターの胸に顔を押し付け、小さく泣いた。まるでこの木に、この二人だけの場所に裏切られたかのように。バスターはしばらくの間、レアナがなすままにしていたが、不意にレアナの両頬に手を当て、レアナの顔を自分のほうへ向けた。
「バス……ター?」
 それは一瞬の出来事だった。バスターはレアナを引き寄せると、すっと唇と唇を合わせ、すぐに離した。レアナには何が起こったのか、理解出来なかった。ただ、昂っていた心が、すーっと落ち着いたような気がした。
「あの……バスター……」
「俺たちはもう子供じゃないんだ。だから枝が重さに耐えられなくなっていても、不思議じゃない。そんな怖がることはねえんだよ。な、レアナ」
「バスター……」
「降りようぜ。俺が先に降りるから、お前はその後をついてこい」
 バスターはレアナの言葉を遮るように言い、レアナもそれに従った。レアナから見て、バスターはいつものバスターに見えた。しかし、バスターの胸では鼓動がトクトクと足早に音を立てていた。それがバスターの内面を代弁していた。

 思い出の木から降りた後、バスターとレアナはなんとなく無言のまま昼食のサンドイッチを摂った。レアナは何と言って話しかけたらいいのかわからなかったが、時折バスターが「美味いな、これ」などと言ってくれるのは素直に嬉しかった。そんなやり取りをして夕暮れの連邦軍基地に戻る頃には、頂上での出来事も、レアナの心の中にそっとしまいこまれた。
「やっと着いたな」
「運転おつかれさま、バスター」
 二人はバイクを降り、ヘルメットを外した。基地はすっかり夕焼けで赤くなっており、赤方偏移の世界とはこういうものなのかというほどだった。
「バスター」
「ん? なんだ?」
「今日はありがとうね。お休みの日につきあってくれて……すごくうれしかった。ありがとう」
「気にするなよ。俺だって楽しかったんだから」
 バスターは笑みを浮かべて答えた。その笑みはいつもの皮肉っぽいものではなく、あの少年時代にレアナの保護者に見せたのと同じ、屈託のない心からの笑顔だった。その思い出のバスターと現実のバスターとが重なったことがレアナは不思議に思うと同時に、なぜか嬉しかった。
「あと……てっぺんで……あたしに……してくれたよね。あれも……よかった?」
 レアナが顔を真っ赤にして尋ねると、バスターも火が点いたようにボッと赤くなった。しかし、バスターはきっぱりと言った。
「好きでもない女にあんなことしねえよ」
 そう言い残すと、バスターはバイクを片付けに行った。バスターは自分に好意を持ってくれている――レアナはそう思うと、ひどく嬉しかった。いくら一般常識に疎い彼女とはいえ、キスが意味するものくらいは知っているのだから。そしてそれがあの木の上だったことも、なぜか嬉しかった。あそこは二人にとって大事な場所、特別な場所なのだから。
 風が出てきたので、今日はヘアバンドで留めていないレアナの髪はふわっと風になびいた。レアナはそっと、自分の唇に指先で触れた。ほんのわずかだったが、あの感触は忘れられなかった。



あとがき


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