[ふたつの鼓動、ふたつの魂]


「バスター、起きてる?」
 ノックと、続けて鳴ったインターフォンの音で目が覚めた。パイロットスーツの上着を脱いだだけで眠っていたのだが、全身が汗でぬれている感触を覚えた。その感触に嫌悪感を感じながらも、バスターは部屋の扉を開いた。そこには声の主、レアナがいた。レアナはパジャマ姿で、いつも髪を留めているヘアバンドを外していた。レアナは髪を下ろすと少し大人っぽく見えるせいか、バスターは少しドキリとした。
「なんだ? どうしたんだよ?」
 ぶっきらぼうな口調はいつものことだが、レアナは少し脅えたように体を震わせた。だがすぐに、努めて明るい口調で言った。
「あ、あの……眠れないから、お話でもしようかなって……」
「それだけか?」
「う、うんと……バスターのことも気になったの。バスター、この2、3日、なんだか落ち込んでるみたいだったから……それで……」
「……心配してくれたのか?」
「うん……あの、で、でも、おせっかいだったよね。あたしがこんなこと言ったって仕方ないのに。ごめんね。あたし、帰るから」
 そう言ってレアナは自分の部屋に戻ろうとしたが、バスターに片腕を掴まれた。レアナが振り返ると、いつも飄々としているバスターらしからぬ、思いつめたような表情をしていた。
「邪魔なんかじゃねえよ……俺も眠れなかったところなんだ。いいぜ、入れよ」
「そ、そう?……じゃあ、おじゃまします……」
 バスターに気圧されたように、レアナはバスターの部屋の中に戻ってきた。椅子にはバスターの上着がかかったままだったので、レアナはベッドの縁に腰掛けた。バスターは椅子にかけたままだった上着を備え付けのテーブルの上に置くと、レアナと向かい合うように椅子に座った。
「……もう1週間になるんだね、あれから……」
 レアナは恐る恐る口を開いた。あれから1週間というのは、地球上の人類が、謎の「石のような物体」によって殲滅させられてから1週間ということだった。バスターは「ああ」と短く返事し、手を組んでその上に顎を乗せた。
「なあ、レアナ……」
 顎を組んだ手の上に乗せたまま、バスターが話しかけてきた。レアナが視線をバスターの顔に戻すと、バスターはやはり思いつめた表情をしていた。
「俺は冷血な奴なんだよ」
 いきなり思いも寄らぬ言葉をかけられて、レアナはびっくりしてバスターの顔を見つめた。そこには生気がなく、まるで老人のようだった。
「な、なんで……なんで、そんなこと言うの? バスター?」
「知りたいか?」
 バスターは一度ため息をつくと、両手で額をおさえた。
「あの石のせいで地球が……いや、人間が全滅して……もちろんその中には俺の友達もいたし、父親や母親もいたはずだ。それが皆、いっぺんに死んじまったんだ。なのに……「悲しい」って気持ちがわいてこないんだよ」
「バスター……」
「なあ? 普通じゃねえだろ? 血縁も友達も皆、死んだってのに。俺は、こんな冷静でいるんだ……自分がすさんだ奴だってことはわかってたけど、ここまでの奴だったとはな」
 それだけ言うと、バスターは目を押さえて自嘲的に笑った。レアナは黙って話を聞いていたが、すっと立つと、バスターの前に座り込み、手を握った。
「ねえ……きっと、バスターの心は驚いちゃって、どうしたらいいのかわかんないんだよ。もう少し落ち着けば、亡くなったお父さんやお母さん、それにお友達のことを思って悲しいって感じるようになるんじゃないかな……そう思わな……きゃあ!」
 不意にバスターはレアナを抱きしめると、そのまま彼女を抱き上げ、ベッドに倒れこんだ。レアナのみぞおちに顔を寄せると、彼女を強く抱きしめた。
「バ、バスター……?」
 まったく思いも寄らなかった出来事に、レアナは戸惑いながらバスターの名を呼んだ。しかし、バスターはレアナを抱きしめたまま、レアナの心音を確かめるかのように動かなかった。意を決して、再びレアナはバスターの名を呼んだ。
「バスター……どうしたの?」
「お前……あったかいな。それに……こんなにもやわらかいんだな」
 バスターの言葉にレアナは顔を赤く染めた。バスターに抱きしめられたことは前にもある。しかし、いくら相手がバスターと言えど、こんな風に異性と体を密着させたことなど、もちろん初めての経験だったし、そんな言葉をかけられたことも初めてだった。レアナが半ばパニックになっていると、バスターがまた声をかけてきた。
「俺は……お前とは心の構造が違うのかもしれねえな……いや、きっとそうなんだろうな。だから……」
「ち、ちがうよ……!」
 バスターが顔を上げると、レアナがバスターのほうを見つめていた。顔はまだ赤かったが、そのまなざしは悲しそうな色を帯びていた。
「心が……心がちがうっていうのは、当たり前だと思うの。だって、あたしはバスターじゃないし、バスターだってあたしじゃないんだから……でも……でも、バスターが冷血動物だなんてことは絶対にないよ! 絶対に!」
「レアナ……」
「だって……バスターもあたたかいもの。心臓の音だって、ちゃんと聞こえるもの……ね、耳を澄ましてみて……聞こえるでしょ?」
 バスターは自分の胸に片手をあてた。トクントクンという規則正しい音が手を伝って響いてきた。同時に、レアナの心音も、耳を伝ってきた。バスターにはレアナのその音すらいとおしく思え、レアナのみぞおちに顔をうずめ直した。
「ああ、聞こえるな……」
「それが……それが、バスターがちゃんとした心を持って生きている証拠なんだよ。あったかい血が流れているっていう証拠なんだよ……」
 そう言うと、レアナは自分の胸に乗せられたバスターの頭に、本当に大切な存在であるように両腕を回した。レアナは両目を瞑り、静かに祈るような表情を湛えていた。その二人の様子を他者が見たら、まるでピエタのようだと思うかもしれない――それぐらい、二人は聖なる存在であるかのようだった。だが、二人は聖像とは違う。血の通ったれっきとした人間だ。互いの体温を黙って感じ取り、愛しいと思っていた。
 やがて、バスターがレアナの胸から頭を離し、額をレアナの額にくっつけた。紅潮していたせいか、レアナの額の温度は少し熱を帯びているようにバスターは感じた。あとほんの少し顔を近づければ、キスしてしまう――それくらいに顔が近づいたとき、されるがままになっていたレアナが話しかけてきた。
「バスター……」
「イヤか?」
「イヤっていうんじゃないの……ただ……恥ずかしいの……」
 レアナの顔はこれ以上ないほど真っ赤になっていた。その様が何とも言えず愛らしく、バスターは思わず笑ってしまった。もう一度だけ額同士を合わせると、バスターはレアナから身を離した。そしてレアナの腕を掴むと、引っ張りあげるように彼女を自分のほうへ抱き起こし、再びレアナを強く抱きしめた。まるで彼女が自分の傍にいることを確かめるかのようだった。
「もう……自分を冷血だなんて思わないでね……ね?」
「ああ……わかってるさ。目が覚めた気分だ……」
「よかった……ねえ、バスター。あたしはバスターのあったかさを知ってるんだからね。だから……自分に自分が冷血だなんてウソをつかないでほしいし、あたしにもウソはつかないで……お願い」
「ああ……」
「お父さんのこととかも……きっとそのうちに整理がつくから……だから、そう信じて……」
「信じるさ……もちろん」
 バスターは目を瞑り、彼に抱かれたレアナも目を瞑った。

 お互いが愛しかった、何よりも。



あとがき


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