[翼のうた]


 遥か頭上に鳥籠がつりさがっている。だが、その大きさは並のものではなく、人間の大人が入っても、余裕がありそうな大きさだった。その中で何か白いものが起き上がった。鳥?……いや、それは人だった。背中に真っ白な翼を持った少女だった。そしてその少女は自分がよく知る人物――レアナだった。レアナは扉を開けようと、籠を懸命に揺らしていた。やがてガチャリ、という金属音と共に、扉は開いた。レアナはおそるおそる、扉から身を乗り出した。飛ぶつもりなのか……? しかし、そこで広げられた彼女の翼の異常に気付いた。両の翼が……途中で切られている! あれでは飛ぶことなど叶わないだろう。やめろ、と叫びたかった。なのに声が出なかった。その瞬間、ぐらりと籠が大きく揺れた。バランスを崩したレアナは、目の前で地上にまっさかさまに落ちていった……。そのとき、ようやく声が出た……「レアナ!」

「きゃあ!」
 バスターが目を覚ますと、彼の横に座っていたレアナが小さく悲鳴をあげた。どうやら、知らぬ間に眠ってしまっていたらしい。バスターは自分の見慣れすぎた部屋のベッドにもたれかかって床に座り込んだまま、片手で顔を拭った。嫌な汗が額を覆っていた。レアナが読んでいた本を小脇に置き、心配そうにバスターの顔を覗き込んだ。
「ど……どうしたの? バスター。急にあたしの名前呼ぶなんて……びっくりするじゃない」
「い、いや、なんでもない。何か夢見てたみたいだけど、忘れちまった」
 バスターはとっさに嘘をついた。あんな夢、忘れるはずがない……大きく息をつくと、バスターは自分の顔を見つめているレアナへ視線を移した。翼を切られ、しかも籠に幽閉されていたレアナ……あれはなんだったのだろう? バスターは隣のレアナの肩に手を伸ばし、彼女を自分のほうへ寄せた。まるで彼女の実体がそこにあることを確かめるかのように。
「……ねえ、本当になんでもないの? バスター?」
 レアナは抵抗もせず、バスターの肩にもたれかかると、やはり心配げに尋ねた。いきなり自分の名を呼ばれたのだから、無理もないかもしれない。けれどもバスターは、答えることが出来なかった。いま見た夢があまりにも不吉だったのだから。バスターはかぶりを振ると、レアナを安心させようと笑顔を作った。
「本当になんでもねえよ。俺もなんでお前の名前呼んだのか、わからないしな」
「そう……」
 レアナはまだ納得のいかなそうな顔だったが、バスターに2度も「なんでもない」と言われては仕方がないと思ったのか、小さくため息をついた。バスターはそんなレアナをじっと見つめていたが、彼女がさっき小脇に置いた本が目に入った。
「なあ、それ、何の本だ?」
「え? これ? やだな、バスターが貸してくれた本じゃない。そんなことまで忘れちゃったの?」
 レアナはくすっと笑って返した。バスターは話題を変えようとしたつもりだったのに、しまったと思った。
「そ、そうだったか? 何の本だっけ?」
「SF短編のアンソロジーだよ。でも、書かれたのが古い本だから、いま読むと古いところもあるって、バスター、言ってたじゃない」
「ああ、そうだったな……全部読んだのか?」
「ううん、まだ途中。でも、このお話がすごいなあって思ったの。キョクアジサシっていう渡り鳥のお話」
 また鳥か……バスターは内心で呟いたが、もちろんそれを声には出さなかった。レアナは面白そうにページを繰り、話を続けた。
「バスター、忘れちゃってるかもしれないから言うね。あのね、恋人と別れ別れになった女の人が、鳥の足につけられた婚約指輪を見つけて、恋人が遠いところでまだ生きているっていうことを知るの。その鳥がキョクアジサシなの。それでね、この鳥は毎年、北極と南極を往復する、世界最強の渡り鳥なんだって。すごいねえ」
 レアナは心から感心したようで、嬉しそうにあらすじを話した。バスターはそのレアナの様子に、何かハッとするものを感じた。
「……なあ、レアナ。お前……その鳥のこと、うらやましいのか?」
「え?……うーん、そうだね、そうかも。だって、地球のはしっこからはしっこまで飛べるなんて、自由に世界中を回れるんだよ? すごいと思わない?」
 唐突なバスターの質問だったが、レアナは笑って答えた。その笑顔を見て、バスターはようやく気付いた。レアナは軍という籠に閉じ込められ、翼を切られた鳥だったのだということに。先程の夢はレアナが置かれた状況そのままだったのだということに。バスターは声を微かに震わせて、レアナに再度問いかけた。
「レアナ……お前、寂しくなかったか……?」
「え?」
「その、だって……お前、小さな頃から軍の施設に居たわけじゃないか。同じ年頃の友達とかもいなかったんだろう? 自由に外出も出来なかっただろうし、強制的にパイロットの訓練を受けさせられて……本当は、軍なんかから逃げたかったんじゃないか……?」
 バスターの問いに、レアナは少し顔をうつむかせた。笑顔は消え、どこか戸惑ったような表情だった。だが、顔を上げると、レアナはまた笑って答えた。
「うん……少しはさびしかったかもしれないね……でも、いじわるされたわけじゃないし、それにね、パイロットになったおかげでみんなと会えたんだから……艦長に、ガイに、クリエイタ。それに、バスターとこうしていられるんだから……」
「だけど、自由に生きられなかったんだぜ?……軍どころか、地球があんなことになった今じゃ、もう軍の言いなりになる必要なんかねえけど……もっとも、自由ったって、今の状況じゃこのTETRAで宇宙にいるしかねえけど……それでもか?」
「……そうだね。あたし、自由には生きられなかったかもしれない。もしかしたら……こんなこと、言っちゃいけないと思うけど……今のほうが少しだけ……うれしいのかもしれないね。だって、連邦軍がある限り、あたしはその命令を聞かなくちゃいけなかったし。それに……」
「それに?」
「バスターとせっかく出会えたのに、はなればなれにされちゃうかもしれないことが……いちばん、こわかったの。あの日までは……」
 レアナが言う「あの日」。それは昨年、正確には西暦2520年7月14日のことだろうとバスターはすぐに気付いた。地球上から人類が一瞬で消え去った日……。
「そんなこと言うなよ」
 バスターはきっぱりとした口調で言った。レアナは体をびくりと震わせ、すまなそうに答えた。
「あ……ごめんね。やっぱり、こんなこと……連邦軍がなくなってうれしいなんて……」
「そんなことじゃねえよ」
 バスターは再び、同じようにきっぱりと言った。レアナはバスターのほうへ顔を向けた。バスターは真剣なまなざしでレアナを見つめていた。
「もし軍が存在していたとして、そのせいでお前が自由になれないんだとしたら……そのときは、俺がお前を連れてっていたぜ? 軍の手の届かないところまで、お前が自由に生きられる場所まで」
「バスター……でも、そんなことしたら、バスターまで連邦軍にいられなくなったんだよ?」
「そんなこと、どうだっていい。お前が自由に生きられるのなら、軍から追われるくらい、どうでもいいことだったに決まってるさ」
「……ありがとう、バスター……そう言ってくれただけで……あたし……」
 レアナはそれ以上、言葉を出せなかった。あふれる涙を拭うのに精一杯だった。バスターはもう一度レアナを抱き寄せ、彼女の頭をなでた。レアナの柔らかな髪がさらさらとバスターの指の間を流れ落ちていった。

 それからしばらくして、レアナは泣き疲れたように穏やかな寝息を立てはじめた。バスターは自分とレアナがもたれかかっていたベッドからブランケットを剥ぎ取ると、彼の肩にもたれかけて眠るレアナの体にかけてやった。そして、バスター自身もうとうとと眠りに就いていった。

 バスターはまた夢を見ていた。さっきの夢と同じく、翼を切られたレアナが籠から落ちかけていた。声を出そうとしたバスターは、自分にも翼があることに気付いた。それは真っ白ではなく、鈍色と言ったほうが近かった。しかし、大きく、力強い翼だった。バスターは地面を蹴ると、レアナが閉じ込められていた籠に目掛けて飛び立った。そして、今まさに空中に落ちようとしていたレアナを受けとめた。バスターはレアナを抱き、レアナもバスターにしっかりと掴まったまま、二人は飛んでいった。どこまでも続く空の向こうまで――。



あとがき


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