[ただひとつの……]


 西暦2521年4月下旬の朝のTETRA艦内。一隅に設けられたトレーニングルームで、二人の若者が汗を流していた。TETRAに乗り込んでいる青年と言えば、二人しかいない。バスターとガイだった。
「バスター、お前が朝にトレーニングするなんて、めずらしいな。いつもは寝る前だろ?」
 ガイはフレンチプレスに励みながら、彼の向かいでベンチプレスを続けているバスターに声をかけた。バスターはベンチプレスの動きを休めず、その姿勢のまま返事をした。
「昨日、疲れちまって、早くに寝たからな。今日はその分の取り返しってところだ」
「ああ、昨日は大変だったもんなあ。いきなり空調が故障しちまうなんて。一日で直ってよかったけどよ。こんな宇宙じゃ、空気は水や食料と同じくらい貴重品だもんな。地球上じゃ考えもしなかったけどな」
「ああ、そうだな」
「だからお前もタバコ控えろよな、バスター?」
 ガイの言葉に、バスターは少しの間、手を止めたが、再び手を動かし始めると反論した。
「……俺は俺の部屋でしか吸わねえし、吸うときはエアクリーナーもつけてる。それに、俺が吸ってるやつは煙があまり出ないタイプなんだ。俺だって、気を使ってるさ」
「でもよ、だいたい、お前が俺様より2つ年上でも、未成年には変わらねえじゃねーか」
「そりゃまあ、そうだけどな」
「それによ、レアナだって、タバコの匂いは嫌いなんじゃねえのか?」
「……なんでそこでレアナの名前が出てくるんだよ?」
 バスターはベンチプレスを持ち上げるのを止め、ガイのほうを向いた。そんなバスターに対し、ガイはけろっとした顔で返事をした。
「だって、お前ら付き合ってんだろ?」
「!?……な、なに言いだすんだ!?」
 寝そべっていた台からずり落ちそうになっているバスターを尻目に、ガイはフレンチプレスの動きを止めて、ニヤッと笑った。
「見てりゃわかるって。お前ら、仲いいもんなあ」
「な……仲がいいったって、お前とレアナも気が合うんじゃねえのかよ?」
「まあ、レアナとはウマが合うけどな、俺様も。でも、お前と一緒のときのレアナって、なんか違うんだよなあ。お前にも同じことが言えるけどよ」
 バスターは台から起き上がると、そのまま腰掛けてガイと正面から顔を合わせた。そばに置いていたタオルで汗を拭いたが、その汗はトレーニングによるものだけでなく、ガイとの会話から出た汗も含まれていた。
「あのなあ……そりゃ、レアナのことは嫌いじゃねえよ。バカみたいに素直だしさ……けど、その……あいつと一緒だと、なんかペース狂っちまうんだよな」
「そういうのを恋っていうんじゃねえのか? バスターさんよお?」
 相変わらずニヤニヤと笑った顔で、ガイは言葉を返した。バスターの顔はみるみるうちに赤くなっていた。そのことに自分自身で気付いているのかどうかはわからなかったが、バスターはしどろもどろになって立ち上がった。
「あああ、あのなあ! なんでお前がそこまで分かるんだよ!?」
「何ヶ月、一緒に生活してると思ってんだよ? 見てりゃ分かるって」
 バスターの反論はさらりと受け流されてしまった。完敗だった。バスターは諦めたようにベンチに座り直した。
「まあ……レアナは、その、いい子だと思うさ。けど……」
「けど?」
「俺は自分の気持ちを伝えてねえし、レアナの気持ちだって聞いてねえんだからな……あいつが俺を嫌ってないってことは分かるけどよ」
「嫌ってるどころか、レアナは大好きだろうよ。お前のことは」
「お、お前なあ……なんでそんな恥ずかしいこと、臆面もなく言えるんだよ?」
 バスターの問いに、ガイはちっちっちと人差し指を立てて振った。
「素直になれって、バスター。お前にはレアナ以外いないんだからさ」
「レアナ以外って……そりゃ、あいつはたったひとりの生き残りの女だけど……」
「そういう意味じゃねえよ、バスター。人類にとってじゃなく、お前にとって、たったひとりの女だって言いたいんだよ、俺様は」
「俺にとって?」
「だからよ、もうちっと素直になって、レアナを大事にしてやれっての……いなくなってから後悔したって、遅いんだからよ……」
 それまで元気だったガイの言葉が、急に精気を失った。バスターは不可解に思ったが、やがて、思い出したことがあった。バスターはガイが大切にしているロケットに入っていた少女の写真のことに思いあたった。あの少女はもしやガイの……恋人? バスターは慎重に言葉を選んで尋ねた。
「ガイ、お前、もしかして……その、辛い経験というか……そういう恋をしたことがあったのか……?」
 ガイはドキリとした様子で、体を動かした。バスターは黙ってガイの返事を待った。少しの間を置いてから、ガイは口を開いた。
「恋ってほどのもんじゃねえよ……けど、俺にとって大事だった奴がいたことは確かだ。そいつがいなくなったときみたいな辛さは……もう味わいたくねえと思ったさ。親父とお袋があの日に死んだときとは、また別の痛みだった……」
 トレーニングルームはしんと静まり返った。バスターは何かかけてやれる言葉はないかと探し続けていたが、だしぬけにガイが大きな声を出した。
「ま、今さらくよくよしたって仕方ねえけどよ! バスター、お前は後悔しないようにしとけよな? レアナにも、後悔させないようにな?」
「ガイ……」
 ガイが無理して笑顔を作っていることは明らかだった。だが、それを指摘することは、ますます彼に辛い思いをさせることになるだろうとバスターは思った。だからこそ、自分も明るく返した。
「……ああ! 俺は後悔はしねえよ。わかってるさ」
「なら、いいって。この前の桜もちも、お前ら二人っきりで食べたんだろ? いやー、俺様が早寝早起きタイプでよかったなあ?」
「あ、あれは……出来たてをレアナが持ってきてくれたから、一緒に食っただけだ! なんなら、お前を叩き起こしてもよかったんだぜ?」
「あいにく、俺様は非常警報レベルAでもない限り、熟睡するタイプだからなー。そう照れるなって、バスターくんよお?」
「おいおい、俺はお前より2つも年上なんだぞ!? 「くん」じゃねえよ!」
「レアナとのことに関しちゃ、その年下の俺様よりも奥手だと思うけどなあ?」
「……う。わーったよ!わーったって!」

 一時は静まりかえっていたトレーニングルームは、にわかに騒がしくなった。バスターは、熱血で無鉄砲なばかりだと思っていたガイの意外な一面を見たと思った。そしてガイの思いやりの心を受け取った気がした。ガイが辛い過去を体験しており、その辛さを知っているからこそ、レアナのことをバスターに忠告したのだと。ガイの言葉通り、後悔はしないとバスターは自分自身に誓った。バスターの中のレアナへの想いが、いっそう強くなったような――そんな感触も感じていた。春の日の朝の、思いがけない出来事だった。



あとがき


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