[笑顔の理由]


 自分が心の底から笑わなくなったのはいつからだろう。バスターはまだ子供と言ってもいい年頃に家を出て、様々な道を辿って、結局は軍人となった。彼にとって軍人という職業は合っていたらしく、士官学校も優秀な成績で卒業し、出世街道を飄々と歩いてきた。だが、いつの間にか「笑う」ということからは疎遠になっていた。もちろん、同僚とのたわいもない話などでは、笑うこともあった。だが、顔は笑っていても、目が笑っていないことは自覚していた。人間の汚い部分を嫌というほど見てきてしまったせいだろう。だが、それは自分の選んだ道。仕方のないことだとバスターは思っていた。

 転機はTETRAにテストパイロットとして配属になってからだった。自分の感情に素直でよく怒る代わりによく笑いもするガイ。初めて感情を搭載した「笑い」を知るロボノイド・クリエイタ。寡黙だが、クルーの様子には人一倍目をかけているテンガイ。そして何よりも、純粋無垢で天真爛漫な少女であるレアナ。「災厄の日」以前も以降も、彼らと生活を共にしている間に、バスターは変わっていた。それには自分では気付いていなかったが、ある日のレアナの言葉に、はっとしたのだった。
「バスターって、よく笑うようになったよね」
 TETRA内の調理室兼食堂で食後のお茶を飲んでいたとき、レアナは紅茶を飲みながら何気ない様子で言った。部屋の中には彼女とバスターの他にガイもいたが、そのガイは反論するような口調でレアナに返した。
「ああ? 何言ってんだよ、レアナ。バスターは別に無愛想じゃねえじゃねえか?」
 バスターは二人に対して何かを言おうとしたが、その前にレアナの言葉が再び返された。
「違うよ。バスターは……なんて言ったらいいのかな。無理して笑わなくなったみたいな気がするの」
「無理して?」
「うん。ねえ、自分でもそう思わない? バスター?」
 ガイは怪訝そうな顔をしたが、レアナはバスターに同意を求めた。バスターはコーヒーカップを持ったまま、その水面をじっと見つめていたが、やがて口を開いた。
「さあな……俺は別に自分が前とは変わってないと思うけどな」
「ほらな、レアナ」
 ガイがバスターの言葉を受けてレアナに問いかけると、レアナは小首をかしげた。
「そうかなあ……あたしはそう思わないけど……」
「本人が言ってるんだから、そうなんだろうよ。あんまり深く考えるようなことじゃねえし」
 ガイはそう言うと、自分のぶんのコーヒーをぐいっと飲み干し、食堂から出て行った。バスターもそれ以上何も言わず、ガイが出て行ったすぐ後にやはりコーヒーカップを片付けて出て行った。レアナは一人、ぽつんと食堂に取り残される形となったが、冷めかけたティーカップを両手で持ちながら、何か考えるように座っていた。

 その夜、バスターはトレーニングルームで筋力トレーニングに励んでいた。TETRA内には人工的に重力が作られているとはいえ、やはりここは無重量の宇宙空間内の密室。筋トレに励むのはクルーにとって大事な日課だった。夜9時には寝て朝の6時には起きるという早寝早起きの習慣がついているガイはいつも起き抜けを筋トレの時間帯にあてているため、既に自室で夢の中にいたが、宵っ張りと言うか就寝時間が遅めなバスターは、夜に筋トレを行うことが日課となっていた。

 シットアップベンチの上に寝て腹筋運動をしていたバスターは、人の気配を不意に感じた。ガイはとうに寝たはずだし、テンガイも筋トレは朝方に行うタイプであるから違うはずである。ロボノイドであるクリエイタは、ここに来る必要はない。となると、当てはまる人物は一人しかいない。バスターの予想通り、レアナが部屋の入り口に立っていた。
「どうした? お前も筋トレか?」
 バスターは腹筋運動を一時中断して尋ねたが、レアナは首を振った。TETRAのクルーである以上、レアナも筋力トレーニングは行っていたが、女性ということもあり、バスターやガイほどきつくは行っていなかった。しかし、夕食後の日課として、彼女が出来る限りの運動は毎日欠かしてはいなかった。だからバスターはレアナも遅めのトレーニングに来たのかと思ったのだ。
「ううん……バスターを探してたの」
 レアナの意外な言葉にバスターはベンチから身を起こして、またがるように腰掛けた。レアナはバスターのすぐそばの床に直に座り、膝を抱え込んだ。
「夕ご飯のあと、あたし、言ったでしょ? バスターが笑うようになったって」
「ああ。それがどうかしたのか?」
「こんなこと言うとバスター、怒るかもしれないけど……初めて会ったころのバスターって、なんだか少し心配だったの。だって、笑ってても、なんだか無理して笑ってるみたいだったんだもの」
 レアナの言葉に、バスターはどきりとした。胸中を見透かされたような気分だった。
「……でも、こうやっていっしょに任務を行ったり、暮らしてるうちに、バスターの笑顔が変わった気がするの……なんだかね、昔、見せてくれた笑顔みたいに」
「昔みたいに?」
「うん。ほら、あたしたち、子供のころに一度だけ会ったことあるでしょ? あのときもバスターは笑ったけど、そのときの笑顔に戻ったみたいな気がするの。今のバスターの笑顔って」
 レアナが言う通り、バスターは子供の頃にレアナと出会っていた。そのとき、彼女と一緒に大木に登ったり、将来の話をしたりした。確かにそのとき、まだ子供だったバスターは笑っていた。屈託なく、心の底から出た自然な笑みで。
「なんでだろうね……ひょっとして、ガイの影響なのかな? ガイって、素直ですごくわかりやすいもんね」
「……お前だって、呆れるくらい素直じゃねえか。それに、俺から見たら、お前の笑いも変わった気がするぜ?」
 バスターに反論され、レアナは「え?」と言ったような表情になった。バスターは脱いだままだったパイロットスーツの上を着ると、レアナの前にやはり直に腰を下ろした。
「お前、前はどこか無理して明るく振舞ってるみたいなところがあったぜ? でも、このごろはそうじゃなくなったみたいだな」
「あたしが……?」
「俺もお前も、いつの間にか素直になったってことかな。もしかしたら、お前が言うところのガイの影響の他に、こんな状況になっちまって、他人に愛想振りまく必要がなくなったからかもしれねえけど……もっとも、お前は元から素直すぎるけどな。それ以上は度を越さないほうがいいぜ?」
 バスターがそう言うと、レアナは「そうかもね」と答え、自然と笑顔になっていた。それは、バスターが指摘したとおり、決して無理をした笑顔ではなかった。バスターがその笑顔を眺めていると、レアナはバスターのほうを指差した。
「ほら、今のバスターの笑顔、あたしが言ったとおりだよ?……あたしたち、もしかしたら似たものどうしなのかなあ?」
「おいおい、俺はお前みたいにのんきじゃねーぞ?」
「あー、ひどーい! バスターがせっかちなんだよお?」
「まあまあ、それは置いといて……おっと、もうこんな時間か。俺は寝るけど、お前はどうする? レアナ?」
「あたしも今日はもう寝るよ。いっしょに部屋まで行こうよ」
 二人は立ち上がると、それぞれの自室の前まで歩いていった。バスターが扉を開けて自室に入ろうとしたとき、隣室のレアナがバスターに声をかけた。
「ねえ、バスター?」
「なんだ?」
「あたし、バスターが言うように無理してたのかもね……でも、そうじゃなくなったのは、バスターが言ったとおり、バスターやTETRAのみんなのおかげだと思うの……ありがとうね」
「お、おう……いや、俺は別に……じゃあな」
「うん、おやすみ」
 レアナはそう言い残し、彼女の自室に入っていった。バスターは扉を開けっ放しにしたまま、しばらく考え込んでいた。
「俺のおかげ?……俺も、レアナに礼を言うべきだったのかもな……言いそびれちまったな……」
 バスターは独り言を言うと、自分も部屋に入っていった。TETRAは1年もの間、衛星軌道上にいたというのに、人間関係でのトラブルがほとんど起こらなかったのは、クルー達が心からの笑顔を絶やさなかったからかもしれない……。



あとがき


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