[かけらの形]


「バスター、起きてる?」
 自室でくつろいでいたバスターの耳に、レアナの声が届いた。
「ああ、まだ寝てねーぞ。なんだ? なにか用なら入れよ」
 そう言ってバスターが扉を開けると、レアナが両手で盆を持っていた。盆の上には、小皿に載せられた菓子らしいものと、ポットウォーマーをかぶったポット、それにカップが載っていた。
「あー、よかった。ガイってば、もう寝ちゃってるんだもん」
 レアナはほっとした様子で中に入ると、部屋のなかほどに備え付けられているテーブルの上に盆を置いた。バスターは菓子をしげしげと見た。見れば、それは和菓子のようで、うっすらとピンク色をしていた。
「ガイの奴、夜の9時には寝ちまうもんなあ。よっぽど長官のしつけが厳しかったんだか……」
「あはは、ガイってばやっぱり子供だねえ。いっつもあたしのこと、子供扱いするけど、あたしのほうが本当はおねえさんなんだから」
 レアナは笑い、ポットのお茶を2つのカップに注いだ。それはいつもバスターたちが飲んでいる紅茶で、和菓子とは少しミスマッチのようにもバスターには思えた。
「お姉さんったって、ひとつしか違わねえじゃねえか……ところで、これ、何だ?」
 バスターはレアナの言葉に突っ込みを入れながら、皿の上の和菓子について質問した。レアナは紅茶の入ったカップをバスターのほうへ差し出すと、ちょっと不満げに口をとがらせた。
「でも、おねえさんには変わりないもん。あ、これ? これね、桜もち……といっても、本物じゃないんだけどね」
「桜もち?」
「うん。いま、4月でしょ? 艦長がね、桜の季節だなあって言ったの。桜、知ってるでしょ? ピンク色のきれいな花がいっぱい咲く木で……」
「知ってるさ。士官学校の近くに桜並木があったんだ。そういや、今頃咲く花だったな、桜って」
「そうだったの。でね、艦長が花見が出来ればよかったなって」
「花見?」
「桜の花の下でお酒のんだりごちそう食べたりするんだって。バスターは、やったことある?」
 花見の風習は、レアナにはピンと来ないようだった。それは彼女と同じく日系ではないバスターも同様だった。バスターはレアナの隣の椅子に腰掛けて紅茶を一口飲むと、頭を振って否定した。
「俺はやったことねえなあ……それって艦長の出身の地域の風習か?」
「そうみたい。艦長も、長官に教えてもらってから毎年いっしょにやってたって言ってたから、正確にはガイや長官の住んでたところのお祭りみたいだけど」
「へえ……で、その花見と、このお菓子はどういう関係なんだよ?」
 バスターは和菓子をひとつつまんだ。柔らかく、ふわふわとした手触りだった。レアナはパチンと手を合わせ、思い出したように口を開いた。
「あ、そうそう。そしたらね、クリエイタがごちそうは無理でも、何かお菓子でも作りましょうかって言ったの。だったら、桜もちがいいって艦長が言ったから、あたしとクリエイタで、夕食のあとに作ってたんだよ。時間かかっちゃって、こんな夜になっちゃったけどね。でもねー、桜もちに使う『ドーミョージコ』ってのがなかったし、中に入れるあんこもアズキがないから作れなかったし、桜の葉っぱなんてないし。けっきょく、ふつうのおまんじゅうの中にカスタードクリーム入れたお菓子になっちゃったの。せめて色は桜色にしてみたんだけど……どう? おいしい?」
 そう一気に話し終えると、レアナはバスターの顔を覗き込むようにして尋ねた。バスターはレアナが言うところの「桜もちもどき」な菓子を一口かじると、カスタードクリームの風味を味わって飲み込んだ。
「うん、美味いじゃねえか。本物がどんなのかは俺は知らねえけど、上出来だと思うぜ?」
 バスターの感想に、レアナはにっこりと笑った。
「よかったあ。艦長もこれはこれでおいしいって言ってくれたんだよ。バスターとガイと3人で食べようと思って持ってきたのに、ガイ、もう寝てるんだもん。ガイのぶんは明日にとっとけばいいよね」
 レアナはそう言いながら3個ほど取り分けると、自分もひとつつまみ、ぱくりと食べた。
「ほんとだ。おいしい。うれしいな、うまくできて」
「クリエイタが一緒だったからじゃねえか?」
 バスターが桜もちをもうひとつ食べながらほんの少し意地悪く言うと、レアナはぷっと頬を膨らませた。
「もう、そういうこと言うんだったら、これ以上あげないよー?」
「悪かった、悪かったって。お前も頑張ったんだろ?」
「そうだよー。クリエイタがいろいろ教えてくれたのはほんとだけどね」
 レアナは笑顔に戻り、桜もちをひとつ食べ終えて、紅茶を飲んだ。素直なレアナの反応を見て、バスターは自分が彼女にはどうにも敵わないような気分を覚えた。レアナの純粋な部分は自分が遥か昔に失くしてしまった部分だからなんだろうか、そう思いながら、紅茶をすすった。
「……そういえば、桜って言えば、士官学校の同級生に聞いたことあるな」
「え? どんなこと?」
「桜の下にはよ、人の遺体が埋まってるんだってよ。だからあんな色で咲くんだってホラーみたいに言ってたな。俺、それを聞いてから、あの並木の花が早く散っちゃわねえかとずっと思ってたよ」
「ふうん……ちょっとこわい話だね」
 レアナはほんの少し脅えたような表情になって両手でカップを包み込むように持ち、そこに視線を落とした。しかし、次に出た言葉は意外なものだった。
「……でも、こわいばっかりの話じゃないと思うよ、あたしは」
「え?」
 精神年齢が低いせいか怪談の苦手なレアナの口から出た思ってもいなかった台詞に、バスターは紅茶を飲む手を止めた。
「だって、桜の下にうめられた人の体は、その桜の一部になったってことでしょう? それは、その桜の命の一部になったってことじゃないの?」
 レアナは隣のバスターのほうへ顔を向けると、真剣なまなざしで語りだした。
「それにね、桜はもちろんだけど、植物って根をはって生きてるでしょ? そうやって生きている生き物の一部になるってことは、地球の一部になったのと同じことなんじゃないのかな?」
「……そうだな」
 バスターはただ黙って、レアナのまなざしを受け止めていた。一呼吸おくと、レアナは更に続けた。
「……死んだ人は、たとえ桜の下にうめられなくて、その人の体がどこにうめられても、ううん、もし燃やされて灰になったとしても、それは地球の中に戻るってことじゃないかなあ。それで、ほんの少しでも、また土の一部になって帰ってくるんだよ」
 そこでレアナは言葉を切ると、両手で包んでいたカップの中の紅茶をくいっと飲んだ。バスターはレアナの意外な一面を見た気がした。ただ幼く天真爛漫だと思っていたが、レアナはちゃんと少しづつ成長しているのだと思い直した。
「……でも」
 カップの中の紅茶を飲み干したレアナは、それをテーブルの上に置くと、目を下に落とした。
「あの閃光でいちどに死んじゃった人たちは……どうなったんだろうね。魂はあの世に行くんじゃないかって、それで生まれ変わってくるんじゃないかって艦長は言ってたよ。でも……生きてたときの体はどうなっちゃったんだろう。せっかく地球に生まれてきたのに……その星のかけらにもなれないなんて……」
 バスターは急にしんみりとなった雰囲気に戸惑ったが、無意識のうちにレアナの膝の上に置かれた手を握っていた。レアナもその手を黙って握り返したが、不意にバスターの体に自分の体を寄せてきた。バスターはいきなりの行動に多少面食らったが、それでもレアナの肩に手を置いて「どうした?」と尋ねた。
「……バスター、あたしのおとうさんとおかあさんの話したこと……覚えてる?」
 それは以前、レアナが軍の施設に入ることになった経緯を、彼女自身がバスターに話したことだった。レアナは両親は生きていると信じていた、いや、信じようとしていたが、その後、バスターは自分の父親が彼女の両親を間接的にとはいえ、政治的陰謀で消したことを知ってしまった。しかし、その自分の父の罪を告白しても、レアナはバスターには罪はないと彼を責めなかった。思えばあのとき、自分はレアナへの想いを痛いほど自覚したことを、バスターははっきりと思い出していた。
「ああ……覚えてるさ」
「おとうさんとおかあさんがずっと昔に死んじゃったってことは悲しいけど……でも、あたしのおとうさんとおかあさんの体は、地球のかけらになってるんだよね?……そう思ったら、ほんの少しだけど、よかった……って……」
 レアナはバスターの胸で泣いていた。バスターは自分の胸で泣くレアナの肩を抱き、子供をあやすように背中をさすった。しばらく二人はそうしていたが、やがてレアナは自分の制服の袖で涙を拭った。そして顔を上げると、少し赤く腫れた目でバスターに視線を向けた。
「……ごめんね。バスターのおとうさんは、あたしのおとうさんやおかあさんと違って、たぶん、あの閃光のときに……死んじゃったのに……長官や、ガイのおかあさんも……」
「気にするなよ、そんなこと。お前が悪いんじゃねえんだ」
 バスターはすぐ間近のレアナの髪を手ぐしでそっと撫で、優しげな笑みを浮かべると、レアナを抱き寄せた。
「それにな、体は消えちまっても、艦長が言うように魂は生まれ変わってくるんなら、それも地球に帰ってきて、かけらになるってことじゃねえのか? 生き物は体だけじゃねえんだ。心もあってこそ、生きてる……そうだろ?」
 バスターがレアナの顔を見ると、レアナはさっきと変わらぬ赤くなった目でバスターを見返した。
「うん……そうだね……体だけじゃなく、魂もいっしょなんだよね……かけらには変わりないんだよね……」
 レアナはしみじみと言うと、バスターの胸に再度、顔を寄せた。その顔に笑顔が戻っているのを確認したバスターは、ほっとしてため息をついた。
「ほら、桜もち、まだお前の分、残ってるぞ。食わねえんなら、俺が食っちまうぞ?」
 バスターは少しおどけた口調で、テーブルの上の桜もちを指差した。
「あ、そうだっけ……でもいいよ、あたしのぶんのいっこ、バスターにあげるよ」
「へ? いいのか?」
 バスターは冗談のつもりだったので、レアナが真面目に受け取るとは思っていなかった。きょとんとした様子のバスターを尻目に、レアナは笑って続けた。
「バスター、また新しいことを教えてくれたから。それにね、この桜もちがバスターに食べられるってことは、あたしが作ったものがバスターの一部になるってことでしょ? そうでしょ?」
 レアナはくすくすと笑い、バスターを見つめた。見つめられたバスターは、釣られるように笑顔になって返した。
「そうだな。じゃ、お言葉に甘えて、ひとつ貰うからな?……ついでにガイのぶんも食っちまうか」
「それはダメ! バスター、調子にのっちゃダメですよお?」
 まるで教師のような言葉遣いで注意するレアナの様子が、バスターにはまたおかしかった。笑い続けながら、バスターはレアナの肩をポンポンと叩いた。
「わかってますって。でも……今日はガイが早寝早起きなおかげでよかったな」
「え? どうして?」
「わからなきゃいいんだよ。さて、じゃあ残りのぶん食って、寝るか」
「どうして?……変なの。うーん……でも、まあいっか」
 空になったバスターと自分のカップに新しいお茶を淹れ、レアナはバスターが桜もちを食べるのをにこにこと見ていた。レアナの視線を感じながら、バスターは口をもぐもぐと動かしながら思いにふけった。
(こいつには本当、びっくりさせられることばかりだけど……俺はそこに惹かれてるのかな……ガラでもねえや……)
「あれ? バスター、なんで赤くなってるの?」
「い、いや。紅茶が熱くてさ。そのせいだろ。なんでもねえよ」
 バスターは口の中の桜もちを、その熱いはずの紅茶で流し込んだ。連邦標準時で午後10時ごろ。西暦2521年4月のある夜の出来事だった。



あとがき


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