[君の寝顔]


 微かに甘い匂いがした。それもただ甘いだけでなく、どこか優しく、懐かしい匂いだった。

 バスターが目を覚ますと、すぐそばに人の気配と、柔らかな感触を感じた。首をめぐらせてその人物を見てみると、レアナだった。レアナが横たわったバスターに膝枕をしていたのだ。
 レアナはバスターが目を覚ましたことに気付くと、にこっと笑った。
「おはよう、バスター。少しは疲れ、とれた?」
 寝起きの頭で見渡してみると、そこはバスターの自室だった。丁寧にブランケットも体にかけてあった。
「おはよう……って、お前、なんでこんなとこにいるんだよ?」
 バスターが心底不思議そうな顔をして問いただす様子に、レアナはくすくすと笑い声をたてた。
「覚えてないの? あたしがここに入ってきたら、バスターってば、机につっぷしてたんだよ? コーヒー飲んでる途中で、眠くなっちゃったみたいだね。いくら声をかけても起きないし……やっぱり、すごく疲れてたんだね。今朝からみんなてんてこまいだったもんね」
「……その俺が、どうしてここで寝てるんだよ?……おまけにお前がいて、その、お前の膝枕まで借りて……」
 バスターは少し頬を赤らめた。それに釣られたように、レアナの顔も紅潮を帯びたが、すぐに答えを返してきた。
「バスター、制服の上を脱いで作業してたでしょ? なのに、バスターってば、その上着を忘れてっちゃうんだもん。だから届けに来たら、バスターが椅子に座ったまま寝てたってわけ」
 そう言われてみれば、バスターはパイロットスーツの上着を着ていなかった。TETRAの空調に異常が生じたため、今日は朝からクルー全員でその修理にあたっていたのだ。なにしろここは真空の宇宙空間。空調の異常は生きるか死ぬかの大問題なのだ。バスターは、空調の異常からきた暑さに耐えかねて上着を脱いでいたことを思い出した。
「ああ、なるほど……そういや、俺、コーヒー飲んでたんだよな……でも、なんで椅子に座ってたはずの俺が、床に寝てるんだよ?」
「それは……あたし、バスターをベッドに移そうとしたんだよ? でもバスターを椅子から下ろすのに精一杯で……だから、こうしてるの……イヤだった?」
 レアナは少し不安気な様子で尋ねた。自分がしたことがおせっかいだったかもしれないと思ったのかもしれない。だが、バスターは普段の彼が滅多に見せない、けれどレアナには時折見せる優しい口調で言葉を返した。
「イヤなわけないだろうが……何言ってんだよ、お前は。お前だって疲れてるのに、俺のためにしてくれたんだろ?」
 レアナは顔を赤らめながらも、ほっとした表情になった。バスターの言うとおり、空調修理で疲れているのは、レアナも同様のはずだった。膝枕をしたまま、不意に、バスターの伸ばした右手がレアナの髪に触れた。切り揃えたレアナの髪がサラサラと音を立ててこぼれた。
「”貸し”作っちまったな。何かで返さなきゃな」
「”貸し”?……そんなことないよ。あたしが好きでやったことだもん……でも、ひとつだけ、お願い聞いてくれる?」
「お願い? なんだよ?」
「あのね……バスター、あたしにも膝枕、してくれる?」
 思いもよらなかったレアナの言葉に、バスターは「へ?」と呟いた。
「……やっぱり、ダメ?」
 レアナは不安そうな表情で、バスターに再度聞き返した。だが、バスターは次の瞬間、起き上がってレアナを抱き寄せていた。
「ダメなわけないだろうが……でも、本当にそれだけでいいのか?」
「……うん」
 バスターの胸に顔をうずめ、レアナは微かに、しかしはっきりと答えた。その言葉を受けたバスターは、レアナを抱き上げ、ベッドの上に座らせた。
「バスター?」
「あんな床の上じゃ寒いだろ。こっちのほうがあったかいに決まってるだろうが」
 そう言うと、バスターは膝枕をしやすいように足を組み直した。レアナはおそるおそる、バスターの組まれた膝に頭を置いた。バスターはレアナにさっきまで自分が被っていたブランケットをかけながら、彼女の匂いを再び感じた。甘く、優しく、どこか懐かしい匂いを。
「バスター……バスターって、やっぱりあったかいね」
「お前もな。その……寝てたからよく覚えてねえけど、お前の匂いがしたよ」
「匂い?」
「別に変な匂いじゃねえよ。なんて言ったらいいか……とにかくお前の匂いだよ」
 レアナは顔をバスターのほうへ向け、微笑みを返した。バスターは一瞬、その瞳に吸い込まれそうになった。
「……バスターも、すごくいい匂いがするよ? あたし、この匂い、大好きだよ」
「……そうか」
 バスターはもう一枚のブランケットを上半身から被ると、ベッドに隣接している壁に寄りかかった。再びレアナの髪の毛を指で梳いてみても、レアナは何も反応しなかった。昼間の疲れもあったのだろうが、すっかり安心しきっているらしく、よく聞けば穏やかな寝息が聞こえていた。
「俺が狼になるかも……だなんて、夢にも思ってないんだろうな……」
 ひとり呟くと、バスターも次第に眠りの深みへと落ちていった。

 翌日の早朝、バスターは眠ったままのレアナを抱いて、そっと彼女の部屋に運んでいった。何もなかったとはいえ、年頃の男女が同じベッドで寝ていたなんて知れたら、ガイあたりに何を言われるかと危惧した末の決断であった。しかし、間の悪いことに、レアナの部屋を出たとたん、早朝の掃除をしていたクリエイタと鉢合わせしてしまった。
「バスター? ドウシタノデスカ?」
「い、いや、その……頼むクリエイタ! やましいことは一切してない! けど、このことはガイや艦長には内緒にしてくれ!」
「エ……エエ。カマワナイデスガ……バスター、ジブンノキモチニハ ショウジキニ ナッタホウガイイデスヨ?」
 クリエイタはアイモニターににこりとした表情を浮かべた。バスターはクリエイタがまさかそんなことを言うとは思っていなかったので、ひどく驚いた。が、いつもの表情に戻ると、クリエイタの頭をごしごしと撫でながら、笑いながら答えた。
「ロボノイドのお前にまで気を使わされちまうなんてな。俺も奥手すぎなのかもな。そりゃ、やましい心がないって言ったら嘘になるけどよ……でも、レアナのことは大事にしたいんだ。だから……な?」
「ソウ……デスカ。バスター ラシイデスネ」
 クリエイタの言葉に、バスターは惑いの表情を見せた。
「そ、そうか?……俺らしい、か。俺もレアナやガイのおかげで、丸くなったのかもしれねえな……さてと、じゃあ、俺はまた一眠りするぜ。じゃあな、クリエイタ」
 バスターはそう言い残すと、レアナの隣の自室に戻っていった。クリエイタはその一連の様子を見て、ぽつりと言葉をもらした。
「ニンゲントハ フシギナモノデスネ……ワタシニモ アノ フクザツナカンジョウヲ リカイデキルトキガ クルノデショウカ……?」
 クリエイタは通路に設けられた窓越しに宇宙の闇を見つめた。彼が「人間の感情」を心の底から理解して、励ますための嘘までつくのはまた後の出来事……そう、西暦2521年7月13日の夕暮れ時に……。



あとがき


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