[ホシの浜辺]


 7月の遅い夕暮れが暮れかけた頃、連邦軍試験飛行場の片隅にある格納庫。バスターがその場所を訪れると、彼が探していた人物がいた。格納庫の壁によりかかるようにしてぽつんと座る小柄なシルエット。バスターは迷うことなく声をかけた。
「レアナ?」
「?……あ……バスター」
 レアナは不意に自分の名を呼ばれたことに少し驚いたような様子で立ちあがった。
「どうしたんだよ、こんな時間まで」
「……ううん。なんでもないよ」
 そう言ってレアナは笑ったが、その笑みに違和感があることを、バスターは見逃さなかった。
「無理するなよ」
「え……そんな、無理なんて……」
「もしかしてあれか? 昨日のこと、まだ気にしてるのか?」
「……うん」
 バスターの問いに、レアナは観念したように素直に頷いた。
「やっぱり、そうか……」

「各機フォーメーションをそのまま維持。次の指示を待て」
「了解」
「了解ィ」
「……了解」
 バスター、ガイ、レアナが次々と復唱したが、いつもと違うレアナの調子に、バスターとガイはすぐに気付いた。
「レアナ、どうした? 具合でも悪いのか?」
「そうだぜ。なんか悪いもんでも食ったか?」
 二人がそれぞれ声をかけると、少しの間を置いてレアナが返事を返した。
「ちょっと風邪ひいて熱が出ちゃったみたいで……でも心配しないで」
 その声を聞いて、そういえば今日は朝からあまり元気がなさそうだったことをバスターは思い出した。あまり無理するなと言いかけたとき、テンガイの声が機内に響いた。
「全機急降下せよ。フォーメーションは崩さないように」
「了解」
 3機のシルバーガンはそれぞれ降下を始めた。しかし、間もなく、レアナの駆る2号機の動きが乱れた。予期しない2号機の動きに、バスターの1号機とガイの3号機も咄嗟に隊列を崩した。だが、2号機はスピードを緩めず、1号機との間隔はもはやすれすれとなった。
(……このままじゃ、やばいぞ!? レアナ、まさか……失速か!?)
 バスターがそう危惧した瞬間、通信回線から、レアナの声が入ってきた。
「……え!? きゃあっ!」
 その声とともに2号機はみるみる速度を落とした。1号機との距離も開き、衝突の危険は免れた。バスターは自分が抱えた不安が外れたことに安堵のため息をついた。レアナの声が再度聞こえてきた。
「バスター! だいじょうぶ!?……ごめんなさい!ごめんなさい……!」
「ああ、全然OKだ。どうしたんだ? 一体?」
「……あたしの……ミスだよ」
「え?」
「……スピード出しすぎたことに気づかなくて……座標も読み違って、1号機がすぐそばまで来てやっと気づいたの……こんなミスするなんて……」
「……レアナ」
「2号機、機体自体には異常はないのだな?」
 テンガイが割って入ってきた。通信回線は開きっぱなしであったので、先のバスターとレアナの会話も聞いていたようだった。
「は、はい。機体は正常……異常ありません」
「そうか。では2号機はそのまま降りてこい。今日のテスト飛行は中止だ」
「え、でも……」
「そんな体調ではさっきのような事態や事故を起こしかねん。わかったか?」
「……はい。了解……」

「体調管理も任務遂行のためには大事なことだ。それはわかっているな?」
 テンガイにそう言い渡され、結局レアナはその日は安静にするよう命じられた。その安静とクリエイタから処方された薬が効いたらしく、翌日にはレアナの体調はすっかり回復した。
 だが、バスターの目にはどこかまだ元気がないように見えた。それが気になり、一日の任務終了後、いつの間にか姿が見えなくなったレアナを探していた。そして、先ほどその探し人を見つけ出したのだった――。

「……確かに、ちょっとやばかったけどよ。でも、結局大事なくて済んだんだし。気にするなよ、あんまり」
「……うん。でも……」
「でも?」
 うつむいたレアナの顔を覗きこむようにしながら、バスターは尋ねた。
「でも、いくら熱でぼーっとしていたからって、あんなミスするなんて。艦長も言ってたもの、体調管理も大事なことだって。それにテストパイロットは危険な仕事だから人一倍注意しなきゃいけないっていうことも言われてたのに……あたし、そんな基本的なこともできなかったんだよ?」
「ケアレスミスだったんだろ?……それは誰にだってあり得ることじゃねえか」
「けど、バスターやガイがすぐに反応してくれたから、事故にならなかったんだよ? 注意力不足でもなんでも……」
 そのままレアナは黙り込んでしまった。しばらくの間、バスターもつられたように黙っていた。だが、思い出したように顔を上げると、ぽんとレアナの肩に手をおいた。
「レアナ。夕メシの後、ヒマか?」
「え?……うん、別に予定ないけど……」
 唐突な質問に不思議そうに顔を上げたレアナに対し、バスターは歯を見せて笑ってみせた。
「じゃあ、キマリだ。ちょっと付き合えよ」
「付き合うって……どこか行くの?」
「まあな。あとは秘密だ」
「……?」

 二人が夕食を終える頃には、既に日はとっぷりと沈んでいた。試験飛行場ゲートには、そこで待っているようにと言われたレアナがいた。ゲート付近の金網にもたれかかるようにして立っていると、小さなエンジン音めいたものが聞こえてきた。
(誰か来る……バスター?)
 レアナがぼんやりと考えていると、そのバスターの声が耳に入ってきた。
「待たせたな」
 声のほうへ顔を向けると、そこには大型のレーサーレプリカ電動バイクが鎮座していた。バイクにまたがった人影のヘルメットの裾からは、はみ出た赤毛が見て取れた。
「バスター!? これ……バスターのなの?」
「ああ。普段乗っているのはこっちだな」
 ヘルメットのバイザーを上に上げ、バスターはレアナに向けて顔を見せた。
「こっち? まだ持ってるの?」
「レース用のな。オートレース専用だから、普段乗るのは無理なんだよ」
「ふうん……」
 レアナは実際のところ、オートレースがどんなものなのかも知らなかったが、一応それなりに納得したようだった。
「さ、後ろ乗れよ。これかぶってな」
 どこからか調達してきたらしいもうひとつのヘルメットをレアナに渡すと、バスターはタンデムシートへ促した。レアナはヘルメットをかぶると、恐る恐るといった様子でタンデムシートに腰掛け、フットステップに足を乗せた。
「しっかりつかまってろよ。飛ばすぞ」
 そう言ってバスターはアクセルを握った。
「ねえ、どこに行くの?」
 バスターの体にしっかりと腕を回し、レアナが再度問うた。しかしバスターはこう言ったきりだった。
「秘密だって。着いてからのお楽しみってな」

 それから約1時間後――二人を乗せたバイクは試験飛行場からの道筋を快調に走っていたが、やがて目的地に着き、道路脇にその車体を寄せた。
「着いたぞ」
 ヘルメットを脱ぎながらバスターが後ろを振り返ると、同じようにヘルメットを外したレアナが乱れた髪に手をやっていた。
「ふあー……こわかったあ」
「バイクに乗るの、やっぱり初めてだったか?」
「うん。あたし、自転車も乗ったことないもの。研究所からは自由に外には出られなかったし……」
 思いがけずしんみりとしかけた場を繕うように、バスターは少し慌てて声をかけた。
「ま、まあ、それは置いとくとして。あっち見てみろよ」
「?……海!?」
 レアナが目をやると、そこは砂浜が広がる海岸だった。夜の海はざざん……ざざん……といった波の音だけが響き、水平線の上には満天の星空が広がっていた。レアナはしばし、言葉を忘れたかのようにその風景を見つめていた。
「結構、夜の海もいいもんだろ。穴場なんだぜ、ここ」
「うわあ……ねえ、浜辺に降りてもいい?」
「ああ。そこから降りられるぜ」
 すっかりはしゃいだ様子で、レアナは海岸へと駆けていった。そんなレアナの後をバスターはゆっくりとついて行った。
「バスター! 早く早くー!」
 レアナは波打ち際で波と戯れていた。そんな彼女の姿を見ているうちに、自然とバスターは笑みをこぼしていた。そして自分も波打ち際に佇み、頭上の星を見上げていた。ちょうどべガ、デネブ、アルタイルから成る夏の大三角形が目に入った。
「バ・ス・ター?」
 名前を呼ばれて顔を向けると、冷たい海水がバシャっと顔にかかった。レアナが手で海水をすくい、バスターに向けてパシャパシャとかけてきた。
「おいおい、何すんだよ。濡れちまうじゃねーか」
 バスターは抗議の声を上げたが、レアナは笑って返した。
「いいじゃない。せっかく海に来たんだよお?」
「いくないって。それにお前まで濡れてるじゃねえか。また風邪ぶり返しちまうぞ」
「平気だよ。もう熱もないし。だいじょうぶ」
「やれやれ……」
 バスターは濡れた髪をかきあげた。レアナは変わらず波と遊んでいた。そんな彼女の様子は、格納庫で見つけたときとは別人のようだった。
「レアナ」
「なあに?」
 バスターの呼びかけに、レアナは足元の波から視線を上げた。
「やっぱりお前は、そうやってるほうが似合うよ」
「……?」
 きょとんとした様子のレアナの頭に手をやると、バスターは髪をくしゃっとして笑った。
「そうやって笑ってるほうが似合うってこと。もちろん、無理した笑顔じゃなくてな」
「え? ええ? そ……そう?」
 バスターの言葉に急に照れたようで、レアナの頬は見る見るうちに赤くなった。明かりといえば海岸沿いの道路に設置された街灯くらいだったが、それでも互いの表情を見るにはじゅうぶんだった。

「ねえ、バスター」
 波遊びも一段落し、二人は砂浜に並んで座っていた。
「なんだ?」
「あのね……ありがとう」
「なんだよ、改まって」
「だって……あたしを励ましてくれようとしてくれたんでしょ?」
「あー……その……な」
 バスターは視線をそらし、がしがしと髪をかいた。その仕草を目にしたレアナは、くすっと笑った。
「あたし、すごくうれしいよ……1時間前までは、あんなにしょげてたのにね……現金だね」
「現金でいいじゃねえか……作戦、成功ってところか?」
「うん、大成功だよ!」
 レアナは笑ってバスターの膝に手を載せた。バスターも同じように笑い、レアナの手に自分の手を重ねた。そのまま、バスターは空を見上げた。
「お……今日は火星が見えるな」
「え? どこどこ?」
 レアナも視線をバスターと同じ方角へ向けた。バスターが星空を指差して説明する。
「ほら、あの辺り……いて座の中の赤い星だ。わかるか?」
「えーと……あ、ホントだ……ねえ、向こうから地球を見たら、どんな風に見えるのかな。やっぱり、あんな風に小さくなっちゃうのかなあ」
「そうだな……きっと今見える星みたいに小さいだろうけど……赤い火星とは違って、青くて綺麗なんじゃねえかな」
「見てみたいね」
 同意を求めるようにレアナは呟いた。
「ああ。けど、どうやってあんな遠くまで行くんだよ? シルバーガンで飛んでくつもりか?」
「あ、それいいかもね。宇宙テストの最中に、飛んでいっちゃったりして」
 そう言うと、レアナはいたずらめいた表情でバスターに笑いかけた。バスターも自然と笑っていた。重ねたお互いの手の温もりが、染みるように伝わってきた。

「さ、帰るか。あんまり遅くなると明日が困るしな」
「うん」
 二人が乗ったバイクが走り去ると、海岸にはまた静寂が戻った。波音は変わらず静かに響き、星空の瞬きも変わらなかった。
 


あとがき


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