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「大して美味くねえはずのレーションでも、少し手を加えるだけで随分、変わるもんなんだなあ」
 TETRA内部の通路で、ガイはドリンクボトルに入ったアイソトニックドリンクを飲みながら呟いた。
「でしょ? あたしとクリエイタでちょっと味付けなんかを変えてみたの」
 ガイの顔を覗きこむように、後ろを歩いていたレアナがニコニコと答えた。
「クリエイタは味覚は持ってねーだろー?」
「だからー、あたしと一緒に味付けしたって言ってるでしょ? 味見はあたしがしたの。でもクリエイタのデータにもちゃんと今日の味付けや調理方法なんかはインプットされてるから、今度は誰かが味見しなくても、同じように出来るよ」
「あ、そーいう訳か……」
「でも、レーションにも手をつけなきゃならねえほど、俺達の食糧事情は悪化してるってわけだぜ」
 レアナの更に後ろを歩いてきたバスターが、多少皮肉まじりな口調で言った。実際、TETRAの保管している食料は皆、保存の効くものばかりだが、嗜好品以外はそれらをギリギリまで節約しながらバスター達クルーは生活してきた。しかし、今では保存食の最たるものであるレーションにまで手をつけなければならなくなっていた。
「あとどれだけ持つかどうか……2ヶ月かそこらって辺りじゃねえのか?」
 バスターはそれだけ言うと、通路に取りつけられた強化ガラスの窓越しに見える地球に目をやった。地球はいつもと変わらず、青く輝いていた。
「『地球は人類にとってゆりかごだ。だがゆりかごで一生を過ごす者はいない。』なんて、ツィオルコフスキーは唱えていたけどよ。そのゆりかごから追い出されたみてえなもんだものな、俺達は……」
「誰だよ? そのツィオルコフスキーって奴は?」
 ガイの率直な質問に、バスターは半分、呆れながらも答えてやった。
「コンスタンチン・エドアルドヴィッチ・ツィオルコフスキー。19世紀末のロシアの科学者で『宇宙旅行の父』って言われた、いわば俺達にとっちゃ偉大すぎるくらいの人物だ。『奴』なんて言ったらバチがあたるかもしれねーぞ。だいたい、月にも同じ名前のクレーターがあるだろうが」
「あー……そういや宇宙史学で習ったような……長い名前だから忘れちまってたぜ」
 ガイは髪をポリポリと掻くと、照れ隠しのようにドリンクを飲んだ。レアナはそんな二人のやりとりを見て、クスッと笑った。
「あたしでも名前は知ってる人だよお? 忘れちゃダメじゃない、ガイ」
「俺様は歴史学は苦手だったんだよ! だいたい、そんな長い名前のほうが悪いんだろーが」
「そういう問題かよ」
 ガイの言い訳に、バスターもレアナに釣られるように笑っていた。照れ臭くなったのか、ガイは残り少なくなったドリンクを音を立てて飲み干した。
「そーいう問題にしといてくれよな!……さて、メシも食ったし、今日はもう休むか。じゃあな、バスター、レアナ」
 そう言い残すと、ガイは自室のある居住スペースのほうへと歩いていった。バスターはガイのそんな後ろ姿を見届け、軽口を叩いた。
「やれやれ……あいつらしいな、まったく」
「でも、あたしはツィオルコフスキーの言ったことには反対だよ」
 バスターの背後に回っていたレアナが、不意に言葉を漏らした。バスターが振り返って見ると、レアナは窓から見える地球に目をやっていた。
「……地球は人間にとって大事な星だよ。それに確かにゆりかごで一生を送る人なんていないよ。でも、あたしたちが帰ることの出来る場所はあそこだけじゃない。たったひとつだけの故郷じゃない……」
 そこまでまくしたてると、レアナはぽろぽろと涙をこぼした。見かねたバスターが右腕を差し出すと、ギュッとその差し出された右腕にレアナはしがみついた。
「そうだな……ツィオルコフスキーに文句のひとつも言ってやりたいところだよな」
「……もうすぐ……食糧の在庫がなくなったら、あたしたち、嫌でも地球に降りなきゃいけないんだよね」
「ああ……それ以外に道はねえからな」
「だけど、地球にはあの敵が徘徊していて、きっとあたしたちをまた攻撃してくるよ。地球に帰れても、そんな戦いをしなきゃいけないなんて……地球はあたしたちが嫌いなの? 追い出したいの? そんなの悲しすぎるよ……」
 レアナを右腕に抱いたまま、バスターは言葉が見つからなかった。今の地球の状況は、明らかにレアナが言った通りだったからだった。
「確かにそうかもしれねえな。でもな、レアナ。地球やあの『石』の真意なんて分からないけど、それでもお前が言ったように、こんなだだっぴろい宇宙じゃなくて、あそこだけが俺達の帰れる場所なんだ。だから、戦いは避けられねえと思うけど……それでも、そのときが来たら帰ろう。みんな揃って……な?」
「みんな……?」
「そう、みんなだ。全員で地球の土を踏もうぜ」
「……うん!」
 レアナは涙に濡れた顔をごしごしと袖で拭うと、満面の笑みを浮かべて威勢よく答えた。レアナのその様にバスターはホッとし、同じように笑みを浮かべた。
「さてと、俺もコーヒーでも飲んでから休むとするか……レアナ、お前は?」
「あたしも今日はもう寝るよ。でもコーヒーガブガブ飲んじゃだめだよ? じゃ、おやすみ、バスター」
 そう言ってレアナは自室のほうへと歩いていった。バスターはコーヒーや紅茶のパックが置いてあるブリーフィングルームのほうへと足を向けたが、次の瞬間、思ってもみなかった人物から声をかけられた――他でもない、自室に戻ったはずのガイだった。
「よお、バスター。お前ってレアナが相手だと妙に素直だなあ?」
「ガ、ガイ!? もう寝たんじゃなかったのか!?」
 悪戯っぽく笑うと、ガイは空になったドリンクボトルを振った。
「これの中身がなくなっちまってたのに気付かなくてさ。新しいドリンクを持ってこようとしたら、お前とレアナが何か神妙な話してるじゃねーか。出るに出れなかったってわけだ。雰囲気もアレだったしな」
「あ、アレってなんだよ!?」
「ご想像に任せてやるよ。ついさっき、そこの角でレアナにも会ったけど、俺様とすれ違うとき、顔を赤くしてたぜ? いいねえ、色男は」
「おおおお、お前な!」
「そう照れるなって」
 バスターは赤面したまま何を言うべきかしどろもどろになってしまい、ガイはそんなバスターの様子を面白げに眺めていた。しかし、ガイが先ほどよりも真面目な口調で言葉を発した。
「全員で地球の土、踏みてえよな。ツィオルコフスキーにも言ってやりたいぜ。『地球はゆりかごだけじゃない。そこに生きる俺達全員が最後に帰る場所だ』ってな」
 ガイの言葉に対し、赤面していたバスターは落ちつきを取り戻し、落ちついてこう返した。
「その通りだよな。たまにはいいこと言うじゃねーか、お前も」
「『たまには』っていうのは何だよ!?」
「その通りじゃねえか。でもよ、絶対に地球に帰ろうぜ……全員でな」
「おう。当たり前じゃねえか」
 バスターとガイは向き合ったまま、互いに口元に笑みを浮かべた。背後の窓から見える地球は、変わらぬ青さだった。



あとがき


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