[P.S.]


眩し過ぎる光が視界を奪う
熱があらゆる方向からなだれ込んでくる
「やめてーっ!!」
「ガイィィィーッ!」
聞き慣れた声が叫んでいる
その声も……遠ざかっていく…………


「親父……」
 誰に対するでもなく、虚空に向かってガイはひとり呟いた。常に闇が周囲を覆う衛星軌道上では夜明けも夕暮れも見ることは出来ないが、それでも当然の如く、一日の生活リズムは定められている。連邦標準時で――地球連邦が人類のほぼ全てと共に消滅してから、既に1ヶ月が経っていたが――23時を過ぎた深夜、ブリッジにはもちろん人気はない。計器類の奏でる静かなリズムだけが響き、パワーランプが時折点灯する中、ガイは冷たい床の上に仰臥していた。
「誰かいるのか?」
 聞き覚えのある野太い声が静寂を破る。ガイは身を起こし、振り返らずとも判る声の主に対して、片腕を上げた。
「おう」
「ガイ? こんな時間に何してる」
 声の主――テンガイが特に咎めるでもない口調で尋ねる。ガイは相変わらず前方を眺めたまま答えた。
「……どうも寝れなくてさ。ここだとでっかく外が見えるし。見るったって、星しかないけどよ」
 へへっ、と口の端を曲げ、洗いざらしの髪にがしがしと手をやる。その手を下ろしながら、ガイはようやく顔だけをテンガイのほうへ向けた。
「艦長こそどうしたんだよ。もうとっくに寝てる時間じゃねえのか?」
「お前と似たようなものだ。見回りがてらの散歩だな」
 確かにここなら眺めはいい。そう続けながら、テンガイも床に直に腰を下ろした。あぐらをかき腕を組んだその姿は、さながらダルマを連想させる。何が起こっても起き上がることが出来る艦長にはぴったりかもしれない。
「……なあ、艦長」
 ガイの斜め後ろに位置するテンガイからは、前方に向き直ったガイの表情を確認する事は出来ない。だが、その声は明らかに先刻までとは異質で、低く沈んでいる。怪訝な顔つきで、けれども静かにテンガイは短く答えた。
「なんだ」
「どうしようもなく親不孝な奴なんじゃねえのかな、俺は」
「……藪から棒にどうした」
 あくまで冷静に問いかけるテンガイの側を向くでもなく、ガイは視線を所在なげに、自分の手元に下ろした。
「ガキの頃から俺は親父のことが誇らしかったし、お袋も俺の自慢だったんだ。なのに、結局俺は、親父にもお袋にも何もしてやれないままになっちまった……。考えたこともなかったんだよ、二人ともこんな形で死んじまうなんて」
 両膝の上に置かれた拳は知らずのうちに固く握られている。その拳を睨むように見つめながら、ガイは続けた。
「……あのときだって、俺は親父の目の前まで辿りついたってのに、助けることが出来なかったんだ! 今だって何も出来ないまま、ただうじうじしてやがる……情けねえよ……!」
 半ば叫ぶような告白を終えてガイは沈黙し、そのまま深淵に沈みかけようとした。だが、背中越しにかけられた声がそれを阻んだ。
「お前は間違っとる」
 テンガイの力強く厳しい声だった。びくりと身を動かしたガイが振り返ると、テンガイは先ほどと変わらぬ姿勢で座していた。
「……お前が両親を……五十嵐と柔さんを誇りにしていたこと。それだけでじゅうぶん親孝行な行いだろう。二人ともお前がそう思ってくれているだけで、幸福だったに違いない。それにいちばん親不孝な行いは何か、知っとるか」
「……何なんだ?」
「いちばんの親不孝はな、親より先に死んで悲しませることだ。お前がもしあの時、無茶でも起こして巻きこまれておったら、それこそ五十嵐は死んでも死にきれなかったに違いない。そんなことをしでかさなかっただけでも、お前は親不孝な奴などではないと思うがな」
 そこまで一気に語ると、改めてテンガイは傍らのガイを見据えた。鋭い眼光がガイを捉える。
「……ガイ、ああいう出来事に直面して、ましてやお前のように目前で親を亡くして、1ヶ月そこらで気持ちを落ち着けることが出来んでも無理はない。ただ……この歌の意味は聞いたことがあるか?」
 一呼吸置き、テンガイは独特の抑揚でひとつの歌を詠み上げた。
「長らへば またこのごろや しのばれむ 憂しと見し世ぞ 今は恋しき」
「…………知らねえ」
 苦手な国語の知識を総動員して、それが遥か昔に詠われた”和歌”と呼ばれるものだということはかろうじて判ったものの、その意味まで読み解くことはガイには出来なかった。そもそも最初は、聞いたこともない言語のようにさえ思えてしまったほどだ。あっさりと解答放棄したガイに対し、テンガイは半分呆れたように小さくため息をついた。
「……聞いたワシが悪かった。お前が古文に詳しいはずがなかったわい」
 軽くずれたゴーグルをいじると、気を取り直し、テンガイは続けた。
「1500年程前に詠われた和歌でな、”時の流れが全てを解決し、苦しみも過去の思い出となれば懐かしくなる、人の心というものはそういうものだ”……こういう意味だ」
 ガイはハッと何かに気付いたような表情になった。だが何も言わぬまま、続くテンガイの言葉に耳を傾けた。
「全てがそうだとは思わんが、ワシもその考えには賛成だ。不思議なものでな、どんな辛いことがあっても時が経てば、いつの間にかそれを受け入れて生きていられる。人間のそういう点は、大昔から変わらんのだろう。……どれだけかかるかはわからんが、お前もいつか受け入れることが出来るはずだ。たとえ今すぐは無理であってもな」
「…………」
「……久しぶりに喋りすぎたな」
 黙ったままガイが目を向けると、テンガイはごそごそと懐から小ぶりの瓶を取り出してきた。やはり一緒に取り出した杯に中身の清酒をなみなみと注ぐと、テンガイはその杯をガイのほうへ差し出した。
「おいおい、いいのかよ? まだ未成年だぜ、俺は」
「構わん。今晩は特例だ。それにワシなんぞ、今のお前ぐらいの時分には白乾児(パイカル)をあおっとったもんだぞ」
 言うが早く、テンガイは瓶から直に酒を喉へと流しこむ。ガイもつられたように笑い、少なからぬ好奇心にも背を押されて、杯を受け取った。
「酒専用に改造されてるような艦長の胃袋と一緒にされちゃあ、かなわねえよ」
 軽口を叩きながら杯の中身を景気良く呑みこむ。が、数秒もせぬうちにガイは思いきりむせかえり、顔をしかめた。沁みこむような熱さが喉から胸にかけて広がっていく。
「くっはあー……」
「大丈夫か? お前にはまだ強すぎたかもしれんな」
 案ずるテンガイに対し、ガイは強がるように笑い、手をひらひらとさせた。まだかろうじてろれつは回っていた。
「へ…へーきへーき! いきなりだったからむせちまった。もう大丈夫だって!」
「無粋な一気呑みなんぞするからだ。ゆっくり呑め」
 1杯目より控えめに注がれた酒を、今度は少しづつ口にしていく。だが結局、ガイは3杯しか呑むことは出来なかった。酒に慣れないガイにとっては、たった杯3杯分の清酒でも強力なパンチだった。
 その最後の3杯目に口をつけていたに頃は、ろれつもあやしくなり始め、記憶もかなり曖昧になっていた。しかし、ただひとつ――だしぬけにテンガイが呟いた台詞――だけは、強烈にガイの頭に焼きついていた。それは普段の艦長に似合わぬひっそりとした声をもって、だが確かにガイに向けて語られた言葉だった。
「ガイ……死んだ者への情念に囚われ続けて生きるようなことはするな。こんな言い方は酷かもしれんが……そんな生き方は残された者の自己満足でしかない。それよりも……お前も含めて生きている者、これから生きる者のために、現在と未来を見ろ……」


 明くる日の昼下がり。テトラ内格納庫の一隅では、レアナの感心しきった声が響いていた。
「ガイって、やっぱりそういうの上手だよねぇ」
 手近な工具箱の上に座って頬杖をつく彼女の目前では、クリエイタがガイの手で修理を受けている最中だった。称賛を受けたその人であるガイもまんざらでもない様子で、ただし手は変わらず動かしたまま、誇らしげに答えた。
「おう。昔っからこういう機械いじりは好きだからな!……よっしゃ。クリエイタ、左腕動かしてみろよ」
「支障 アリマセン」
 答えながら、クリエイタがくるくると左側のマニピュレーターを繰ってみせる。レアナはまるで自分のことのように、嬉しそうにパチパチと手を叩いた。
「よかったね〜、クリエイタ」
「ま、簡単なもんだぜ!」
「あれぇ? でもクリエイタの腕まげちゃったの、ガイでしょお?」
 少し悪戯っぽい口調でレアナがすかさず問う。レアナ自身の中に悪意がかけらも存在しないように、もちろんその言葉にも悪気など全くないのだが、それがある種、却って始末が悪いこともある。
 当のガイはというと、自信たっぷりに親指を立てたポーズのまま、ぎくりと固まってしまった。
「お前な、急に痛えとこ突くなよ!?」
「だって、ガイが転んで後ろにいたクリエイタの上にしりもちついちゃったからでしょ? クリエイタの腕がくにゃって曲がっちゃったの」
 ガイの抗議も虚しくレアナの悪気ない追い打ちが続くが、実際、彼女の目撃証言の通りなので反論も出来ない。足元を滑らせた上にうっかり尻餅までついてしまった理由にしても、ゆうべ艦長と呑んだ酒が残っていたから、などとは言うに言えない。もっともクリエイタの曲がった腕を見た驚きと焦りで、その酔いもすっかり吹っ飛んでしまったのだが……。
「イエイエ……イイノデスヨ。 コウシテ チャント 直シテ モラエマシタシ」
 冷や汗を流しっぱなしのガイを気遣い、アイモニターに笑顔を浮かべたクリエイタが穏やかに口を挟む。
「く〜、すまねえ、クリエイタ!」
 大袈裟なまでに感激するガイに景気良く背中を叩かれ、クリエイタは思わずよろめく。またも転倒しそうになるところを慌てて踏ん張るコミカルなその様に、レアナが笑みをこぼした。
「またクリエイタ転んじゃうとこだよ、気をつけなきゃ」
「悪りぃ悪りぃ! ほら、そっち向いてろ。関節カバーつけっからよ」
 謝りながら体勢を立て直したクリエイタの肩を掴み、再び作業に戻る。そばではレアナが相変わらず楽しそうに作業を眺めていた。
「ガイ、すっごく元気だねえ」
 レアナのだしぬけの、加えてしみじみとした口調の言葉に、ガイは手を止めて顔を上げた。
「なんだよいきなり。俺様はいつも通りだぜ?」
「だから、いつもの元気なガイに戻ったってこと。ずっと元気なかったもの。……でも、あんなことがあったんじゃ、しょうがな……あ……ご、ごめんね」
 自分を恥じるように、レアナがしゅんとして頭を下げる。ガイはレアナが謝った理由が判らなかったが、それが自分を気遣ってだということに、一瞬遅れで気付いた。
「あ? いや、まあ、謝ることなんてねえよ。別にもう気にしちゃいねえしさ」
 虚勢ではなく、本心からだった。確かにガイ自身が不思議なほど落ちついていた。心が大きくざわめくことも、落ちこむこともなかった。
”どれだけかかるかはわからんが、お前もいつか受け入れることが出来るはずだ。たとえ今すぐは無理であってもな”
 昨晩のテンガイとのやり取りの一節が浮かぶ。……俺や艦長が思ってたよりもずっと早く、吹っ切れたんだろうか? まだ、ひょっとしたら、受け入れきれていない部分もあるかもしれない。けど、それでもとりあえずは……クリアできたんだろうな、きっと……そんな確信を、ガイはぼんやりと感じていた。
「ほんと?」
「ああ。……俺だけがとんでもない目に遭ったんじゃねえんだし、しょげてばっかりじゃあな。いつまでもウジウジしてたんじゃあ、あの世から親父が怒鳴ってきそうだしよ……済んだことを悔やんでばかりいるな……って。それに俺様がしっかりやらなきゃあ、何だって始まんねえしな!」
「なんだぁ? やけにでかいこと言ってるじゃねえか」
 突然のからかいを耳にし、ガイは慌てて声の発せられた方向へ目を向ける。格納庫の入り口、レアナのちょうど後方に、バスターがいつの間にか立っていた。
「また飛び出していきなりとっ捕まってる……って、パターンは勘弁だぜ?」
「うるへー! ありゃうっかり油断しちまったんだよ!」
「ほお〜? ……ま、確かにパワー回復ってとこだな、とりあえず」
「へ?」
「不景気な顔にようやく景気が戻ってきたって訳か。何にせよ、好景気なのはいいことだぜ」
 そう言うと、バスターはニッと笑ってみせた。先ほどまでの揶揄を含んだそれとは、正反対の笑顔だった。ふと目をやると、二人に挟まれる形で掛け合いを眺めていたレアナも、同じように満面に笑みを浮かべている。ガイは妙に照れくさいような、くすぐったいような気分だった。
「こんな風にお喋りしてるのも、久しぶりだよね」
 本当に嬉しそうなレアナの言葉に、そうだっけなとバスターが笑い、クリエイタもにこにこと笑顔を湛える。ひとり照れくさそうな顔をしていたガイにもそれは伝播し、普段はひっそりとした場所である格納庫内に幾つもの笑い声が反響した。
 屈託無く笑うガイの中に、見失っていた宝物を探し当てられたような思いが生まれていた。


艦長……すまねえ……
俺はやっぱり……いちばんの親不孝者に……なっちまった……
自分のことまで……気が回らなかったってのは……最後まで……俺らしいかもな……
けど……俺はもう……死なせたくない……
生きていてほしいんだ……艦長にも……あいつらにも……
……俺の……もうひとつの……家族には……
だから……俺がいなくなっても……笑っててくれよ……あの時みたいに…………



あとがき


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