[守るべきものはいま、そこにある未来と希望]


 朝を迎えたTETRAの食堂。テンガイ、バスター、レアナらがそれぞれの席に座り、テンガイとバスターは熱いブラックコーヒー、そしてレアナは紅茶をそれぞれ口にして、その風味に各々が和んでいると、食堂の扉が開き、ガイが入ってきた。
「よう、おはようさん」
 ガイはそう言って自分の席に座り、コーヒーサーバーに用意されていたコーヒーを自分のカップに注いで口をつけた。ガイが食堂へやって来た時間が少し遅かったとはいえ、それはいつも通りの朝の光景だったが、ガイはどこか眠たげだった。
「ねえ、ガイ。もしかして寝不足なの? なんだか眠たそうだよ? そういえば昨日もそんな風じゃなかった?」
 テンガイやバスターもガイを見て同じことに気づいていたが、口火を切ったのはレアナだった。レアナの問いかけに、ガイはコーヒーカップをテーブルに置くと、せわしなく頭をかいた。
「いや……まあ……寝不足っつうか……べ、別に大丈夫だぜ? 心配かけたな、すまねえ」
 いつものガイらしからぬ歯切れの悪い返答に、レアナもその隣に座るバスターも首をかしげた。コーヒーをすすっていたテンガイだけは表情を何一つ変えなかったが、ガイの反応に彼の心情を察したのか、バスターとレアナに声をかけた。
「時にはそんな日もあるだろう。さて、朝食の用意も出来たようだし、温かいうちに食べようではないか」
 テンガイの言葉でその一件は終わり、クルー達はクリエイタがワゴンに載せて運んできた朝食をめいめいに受け取り、やはりいつも通りの朝食が始まった。バスターもレアナも、ガイにそれ以上尋ねることはしなかった。

「なあ、バスターよお」
 一日の時が流れて夕食も済み、クルーにとっては夜の自由時間がめぐってきたTETRA。その中の一角にあるトレーニングルームでは、バスターとガイが筋力トレーニングに励んでいた。TETRA内は人工重力で制御されているとはいえ、軍人として鍛えられた体を維持するためにも、そして筋力の衰えを予防するためにも、バスターもガイもほぼ毎日、欠かさずこなしている日課だった。
 その筋トレも一段落つき、それぞれが保冷ボトルの中の水を飲んで体内に水分を補給しているとき、ふとガイが声をかけてきたのだった。
「ん? なんだ?」
 ボトルから顔を離して口元を拭ったバスターが、向かいの筋トレマシンに座るガイのほうを見ると、ガイは神妙な顔でボトルを握りしめていた。バスターがそんなガイの様子を怪訝に思っていると、ガイはボトルを握っていないほうの手である右手で髪の毛をがしがしとかき、はあと大きくため息をついた。
「大事な女の一人も幸せに出来なかったんじゃあ……男失格だよな」
「はあ!?」
 ガイの口からそんな言葉が出てくるなど微塵も思っていなかったので、バスターは思わず大きな声をあげていた。だが、ガイの表情は真剣そのもので、いまさっきの言葉も冗談などではないことは充分すぎるほど、バスターに伝わっていた。
 首にかけていたスポーツタオルで額の汗を拭くと、バスターは怪訝な表情のままで返事を返した。
「なんだ、藪から棒に……お前、特定の恋人でもいたのか?」
「いや……その……大事な女って言っても、子供の頃に別れ別れになっちまった幼なじみなんだけどな」
「子供の頃の……か。けど、それでも大事な存在だったことは間違いないんだろう? それにお前の様子を見るに……単純に別れ別れになって、『石』が俺達以外の全人類を消したあの日に死んだってわけでもなさそうだしな」
 バスターが至って真面目に問い返すと、ガイもまた、タオルで顔を拭った。
「まあ……そうだけどな。子供の頃に別れ別れになったあと、反政府ゲリラのテロに巻き込まれて死んじまったんだ……」
「そういう理由が……だけど、お前だってそのときはまだ子供だったんだろうし、その幼なじみを守ることも、ましてや幸せにすることも出来なかったなんて、いまさら悔やむことでもないだろう?」
 バスターの言葉はまさに正論であり、ガイは口ごもってしまった。沈黙が幾らか場を支配したあと、ガイはようやく口を開いた。
「そうだぜ、お前の言うとおりなんだ……。俺様がいまさら悔やんだってどうしようもないことなんだけどよ……。最近、どういうわけか知らねえけど、あいつが夢によく出てくるんだ。取り立てて俺様を責めるようなわけでもなく、それどころか微笑んで俺様を見つめてるんだ。そうやって夢の中であいつに出会うたびに、助けられなかったことをすまないって思っちまうんだ……」
「そうか……。お前が今朝、寝不足っぽかったのも、その夢の影響か?」
 今朝の朝食の席でのガイの様子を思い出したバスターがそう尋ねると、ガイは素直に黙ってうなづいた。
「なるほどな。でも、お前のその幼なじみはお前のことを責めてるわけじゃねえと思うぜ。きっと……お前には少しでも生き延びてほしいんじゃねえかな? こんな状況になっちまった以上はさ」
 バスターはそこまで言うとボトルの水をごくりと飲みこみ、ガイを見つめ返した。
「それに、お前の夢の内容も、お前が幼なじみを助けられなかった過去を思い出してそれに囚われちまってるからじゃねえのか? 過去を忘れろとは言わねえよ。けど、こうして生きている以上は、前を見て生きようぜ。お前がそんなへこんでいたんじゃ、お前の幼なじみだってあの世でも心配だろうし。心配だから夢に出てくるんじゃねえのか? たとえ相手がもうこの世にいなくても、大事な相手なら心配かけるなよな」
「バスター……」
 ガイはぼうっとバスターを見つめていたが、やがてまた頭を勢いよくかきむしった。そしてもう一度バスターのほうを見ると、その顔にはいつもの彼らしい笑みが浮かんでいた。
「……ありがとうな、バスター。そうだよな、俺様がこんなしょぼくれてたんじゃあ、あいつだっておちおちあの世で心安らかになんていられねえよな」
 明るい調子でそう言葉を続けるガイの姿に、バスターは自身の心もホッと安堵するのを感じた。
「しっかし、お前はやっぱり頼りになるな。人生経験も豊富だし、さすが俺様より二歳も年上だけはあるな」
 ガイの率直な謝礼の言葉に、バスターは思わずぷっと吹き出していた。
「おいおい、たった二歳だろう?」
「そりゃそうだけどよ。でもそれが二歳差であっても、やっぱりお前は頼りがいがあるぜ。年の功ってやつか?」
「年の功って……俺達の祖父でもおかしくない年齢の艦長ならともかく、俺はお前とは二歳しか違わないのにそれはねえだろう。それに、それを言ったらレアナだってお前より一歳年上なんだぜ?」
「ああ、そういえばそうだったな。あいつはあの通り、子供っぽいからすっかり忘れてたぜ。俺様より年上どころか、四つ五つくらい年下じゃねえかって思うときもあるからな」
 ガイが素の表情でそうこぼすと、バスターは再度、ぷっと吹き出した。
「それはそうだが……そんなことをレアナ本人が聞いたら、また怒られるぜ?」
「ハハッ、そうだな。『あたしのほうがおねえさんなんだから!』ってどやられちまうぜ」
「ハハハッ。そんなことムキになって言ってると、ますますお姉さんどころかお前よりも年下に見えちまうのにな。ハハハッ……まったく、昼間はそんな子供っぽいくせに……あ……」
 ガイに釣られるように笑っていたバスターだったが、ふと何かを思い出したような表情に変わると、次の瞬間にはその顔はうっすらと赤く染まっていた。
「おい、バスター。なに赤くなって、あ……」
 バスターの様子にガイは不思議そうな顔をしたが、バスターがうっかり漏らした「昼間はそんな子供っぽいくせに」という言葉を思い返したガイは、思い当たる節に気づいてしまった。
 バスターは思い出してしまったのだ。ガイは決して知らないし、知り得る機会など絶対にあり得ない、バスターだけが知るレアナのもうひとつの顔を。レアナが愛するバスターだけに見せる大人の女性としての夜の顔を。
 ガイはさすがにそんな詳細にまでは考えは及ばなかったが、バスターとレアナのごくプライベートで親密な関係にあやうく首を突っ込みかけてしまったということには、いくら彼が男女の関係という案件に疎いとはいえ気づいていた。ガイはバスター以上に顔を赤く染め、しどろもどろでつっかえながらも、バスターになんとか声をかけた。
「え、えーと、その……お、俺様は何も気づいてねえし、何も知らねえからな?」
 ガイのあまり上手いとは言えない気づかいの言葉をいかにも彼らしいと微笑ましく感じながらも、バスターはますます顔を赤くして顔をぶんぶんと横に振った。
「い、いや、お前がそんな気を遣うようなことじゃねえよ。俺がうかつ過ぎたんだ……。さ、さて……俺は部屋に戻るか」
「あ、ああ。筋トレも今日のノルマはもう達成出来たもんな。俺様も引き上げるわ」
 ぎこちない雰囲気のままで筋トレマシンを片づけていたバスターとガイだったが、不意にガイが口を開いた。
「な、なあ、バスター」
 バスターが振り返ると、ガイは神妙な顔で腕を組んでいた。
「そ、そのだな……お前にとって何よりも大切な存在は、お前のすぐそばにいるんだ。俺様みたいにもう手の届かないところへ行っちまったわけじゃねえ。だから……その手を離すなよ。大切にしてやれよな」
 バスターはしばしの間、ぽかんとした表情を見せていたが、そのうちに真面目な表情になったかと思うと、ニヤッと口元を曲げて笑った。いつものバスターらしい、自信に満ちた笑みだった。
「ああ、分かってるさ。あいつの……レアナの手を離したりなんて、絶対にするものか」
「その自身たっぷりなところ、お前らしいな。けどよ、その……俺様や艦長やクリエイタから、いまじゃお前らは見たらこの船だけでなく、人類の生き残りの希望なんだからな。幸せでいてくれよな」
「そうか……俺達のことを、そう見てくれているのか。ありがとう、ガイ」
 笑ったまま、素直にそう礼を述べると、片づけが済んだトレーニングルームからバスターは出ていった。片手を後ろ手に上げてガイのほうへと振りながら。
 そんなバスターを見送ったあと、残されたガイもトレーニングルームの照明を消して部屋から出ていった。

 自分は大事な少女を守れなかった。けれども、今度こそはいまの自分にとってもっとも大切な存在であるTETRAクルーをこの身に代えても守ってみせる。とりわけ、バスターとレアナの幸福が打ち砕かれるような事態は何があっても阻止してみせよう。
 そして、夢の中に少女がまた現れたらこう伝えるのだ。お前を守れなかったことを悔やんでないと言ったら嘘になる。だけど、お前を助けられなかったぶんも含めて、自分はいまの自分にとって最も大切なもの――TETRAの仲間達を、この命をかけても守り抜いてみせるからと。自分はそんな無鉄砲な生き方しか出来ないけれども、どうか自分のこの命がある限りは、そっちの世界から見守っていてくれと。
 確かな歩みでTETRAの通路を進んで自室を目指しながら、ガイは心の底で固く誓っていた。いまもなお尊敬し続ける自身の父親、最後まで人類の未来を気にかけて守ろうとした稀代の名君であったいまは亡き地球連邦軍長官、五十嵐=剛の血を受け継ぐ若き一粒種として。



あとがき


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