[ささやかにグラスを傾けながら]


 連邦標準時で夜にさしかかった頃、夕食も終わり、テンガイが自分の部屋に戻ろうとしたとき、不意にバスターが声をかけてきた。
「艦長……ちょっと、いいか?」
 テンガイが振り返ると、バスターが神妙な顔をして立っていた。そのすぐ後ろにはレアナがいたが、バスターがレアナの手を握って笑いかけると、レアナも笑い返した。笑顔のまま、レアナはバスターとテンガイを追い越して、先に食堂の扉のほうへと歩いていった。
「艦長、おやすみなさい。バスター……あとでね」
 そう言ってレアナが食堂から出ていくと、既にガイとクリエイタは出ていった後だったので、あとにはバスターとテンガイだけが残っていた。
「バスター、ワシに何か用か?」
「あ、ああ。大した用じゃねえんだけど……」
「なら、ワシの部屋で話そう。一緒に来い」
「ああ、分かった」
 二人はそう言葉を交わすと、並んで食堂から出ていった。

「お前とこうしてサシで酒を飲むのは久しぶりだな」
 テンガイの部屋の小さなテーブルを挟んでバスターとテンガイは向かい合わせに座り、テンガイが封を切ったばかりのスコッチを二つのグラスに注ぎながら言った。
「そうだな。前は……艦長のほうから誘ってくれたんだよな」
「そうだったな。お前は相変わらずレアナのことを大切にしてやっているようで、何よりだ」
 テンガイがグラスの片方をバスターのほうへ置きながらそう言うと、バスターはかあっと顔を赤くした。
「か、艦長……!」
「照れることもないだろう。いまや、レアナはお前の妻も同然なのだからな」
 テンガイの言葉に、19歳の年若いバスターの頭には一つ年下の18歳のあどけないレアナと共に過ごす日々の熱い時間がありありと浮かび上がった。バスターの顔はさらに赤くなり、彼の赤い髪の色と見分けがつかないほどだった。
「つ、妻って……! そ、そりゃまあ、間違っちゃいねえけどよ……」
「で……今日はどうした?」
 テンガイがスコッチのグラスを傾けながら平然とした表情でそう尋ねると、バスターは赤くなった顔を冷ますようにぶんぶんと大きく振り、自分のグラスを取って握りしめた。
「あ、ああ……。艦長……こんな状況でこんな風に言うのは不謹慎かもしれねえが……俺はこのTETRAにクルーとして乗り合わせたことを……幸福だと思ってるんだ。俺と艦長は血が繋がってるわけじゃねえし……もちろん、それはレアナやガイ、それにクリエイタとも同じなんだが……こんな家族同然につき合える面々と一緒だからこそ……一年近くを絶望もせずに過ごせたと思うんだ」
 バスターの告白を聞いたテンガイは冷静にグラスのスコッチをあおり、真面目な表情のまま、バスターに返答した。
「そうか。ワシもお前達のことを実の息子や娘のように思っているぞ」
 テンガイの返事を聞いたバスターは素直に笑みを浮かべ、テンガイと同じように自分のグラスのスコッチを一口、飲んだ。
「ハハッ、ありがてえな。俺にとっても……艦長は理想の親父だと思うぜ」
「それは嬉しい言葉だな」
「だから……本当はもっと早くに言うべきだったのかもしれねえけど……シルバーガンのテスト飛行にあたって、テストパイロットの俺やレアナやガイをこの船のクルーとして選んで乗せてくれた艦長には感謝してるんだ……ありがとう……」
 いつもの飄々とした彼らしからぬ、いたって真面目な態度でバスターがそう礼を言うと、テンガイは表情は変えず、だが、どこか嬉しそうに答えた。
「お前にそんなことを言われると、ワシも気恥ずかしいな」
「そうか? 艦長はいつだって泰然自若じゃねえか。いまだってそうさ」
 バスターがニヤッと笑い、グラスを握った手でテンガイを指し示すと、テンガイは黙ってグラスをまた傾けた。
「ワシも無駄に年を重ねたわけではないからな。話はそれだけか?」
「ああ。大したことじゃなかったんだが……艦長にはちゃんと礼を言っておきたかったんだ。わざわざ時間を割いてくれて悪かったな」
「かまわん。お前にとっては大事なことだったんだろう? それに、ワシはこうしてお前と話せる時間を面倒なことだとは、これっぽっちも思っておらんよ」
「艦長……すまねえ……」
 バスターが申し訳なさそうに頭をかくと、テンガイは冷静なまま、返事を返した。
「同じことはレアナやガイやクリエイタにも言ってやれ。お前の『家族』だろう? 特に……レアナにはワシ以上に感謝をしておけ。いや……レアナにはもうじゅうぶんすぎるくらいに、お前の気持ちは伝わっておるかな?」
 そう言ったテンガイが初めて笑うと、バスターはまた顔を赤くした。
「か、艦長……! な、何を……!」
「すまん、からかう気はなかったんだが……そら、ちょうど一瓶、空になった。この一杯を飲んだら、早くお前の部屋に戻ってやれ。レアナが待ってるのだろう?」
 テンガイがバスターのグラスに瓶に残っていたスコッチを残さず注ぎ足すと、バスターはますます顔を赤くしてうろたえた。
「か、かか、艦長! だ、だから……ったく、艦長はなんでもお見通しだな……」
「相思相愛の男女ほど、端から見ていても歯がきしむほど甘いものもないからな」
 テンガイがしれっとそう言うと、バスターの顔はみるみる真っ赤になり、しどろもどろになった。
「艦長! ああ……そうさ! 俺達の仲はこれ以上ないほど、それこそ歯がきしむどころかとろけそうなほど甘々さ! 夜なんて……甘すぎて跡形もなく溶けちまいそうなほどだぜ!」
 バスターは開き直ったようにまくしたてると、赤い顔のまま、グラスのスコッチを飲み干した。空になったグラスをドンと派手な音を立ててテーブルに置くと、バスターは赤い顔で立ち上がり、無言でサッと立派な敬礼を決めて、そのまま部屋から逃げるように足早で出ていった。
 勢いとはいえ、レアナとの深い仲を自分から暴露してしまった羞恥心から、バスターはもうこの場にはいられなかったようだった。たとえ自分とレアナの関係は、このTETRAでは既に公然の秘密だということを知っていても。
「いかん……ワシとしたことが酒に飲まれて、つい調子に乗りすぎたな……悪いことをした……。だがな、バスター……ワシもお前達のような息子や娘とこの年になってめぐり会えて……本当に幸福だぞ……」
 一人、自室に残されたテンガイはしみじみとそうつぶやくと、自分のグラスに残っていたスコッチを一気に飲んだ。一人の父親、三人の息子と娘、そして一体のロボノイドという血の繋がりのない家族が乗り合わせる船であるTETRAの夜は、今日も何事もなく更けていった。



あとがき


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