[Silent Night]


「レアナ、どうかしたのか?」
 背後から急に声をかけられて、多少面食らったものの、当のレアナには振り返らずともすぐにその相手が分かった。

 自分達テトラクルー以外の人類を襲った未曾有の大惨事。それから約2週間目に差しかかったある晩、レアナはいつもの安眠状態の彼女にとってはどうしたことなのか、なかなか寝つくことが出来ず、パジャマに上着をひっかけて自室の外に出て、何をするでもなく通路を歩いていた。そこへ先ほど声を掛けてきた主――バスターと出会ったのだった。
「ううん、なんでもないよ。バスターこそどうしたの?」
「俺は喉がちょっと渇いてさ。それで飲み物でも何か飲もうと思って出てきたんだ」
 見れば、バスターの手元には温かな湯気を立ち上らせるカップがあった。
「喉が渇いたって……でもそれ、コーヒーだよお? ますます寝れなくなっちゃうじゃない?」
「俺はカフェインに慣れてっから、これぐらい平気だよ。お前だったら1カップも飲まないうちに寝れなくなっちまうかもしれないけどな」
「えー! そんなことないもん!……コーヒーは飲んだことほとんどないけど」
 悪戯めいたバスターの口調に、レアナはムキになって反論した。しかし、他人に嘘をつくことが出来ない彼女のこと、最後には本音がつい出てしまったようだった。
 バスターはそんなレアナの態度が予想通りとはいえ面白かったのか、しばらくはククッと笑っていたが、やがて神妙な面持ちに変わり、通路の壁にもたれかかる姿勢でコーヒーに口をつけた。
「あれから2週間か……長いようであっという間だったな……」
「……そうだね」
 同じようにバスターの隣にもたれかかりながら、レアナもまた、生気のない声で返答した。
「あの『石』……俺達までも根絶やしにするつもりなんだろうか……どのみち、生き延びたところで、俺達は『最初』から一からやり直しだけどな。どちらにせよ、俺達に明るい明日はないのかもな。全く、とんでもない性悪な物体だぜ……」
「やり直せるだけ、大丈夫だよ。絶対に……」
 レアナの予想だにしなかった言葉に、バスターはカップから口を離し、隣のレアナのほうへ視線を向けた。レアナは表情こそ笑っていたが、そこにはどこか寂しさが感じられた。
「だって、だって……人間はまだ、みんな死んじゃったわけじゃないんだよお? あたし達にはまだ、やり直せるチャンスがあるじゃない。いくらそれが難しくても……あの『石』に勝てるかどうかも分からないけど……それがどんな小さなことでも、やり直しが出来るかもしれないのなら……それが最初から出直さなくちゃいけなくても、それでじゅうぶんじゃない……」
「レアナ……」
 レアナは必死に涙を堪えているように俯いてしまった。そしてバスターの腕に自身の腕をからませると、か細い声で小さく問うた。
「しばらく……このままでいい?」
 バスターは答える代わりに、レアナの肩を抱きよせてやった。耐え切れずにこぼれたレアナの涙が、2人の服にぽつぽつと染みを作っていた。
「……お前、この涼しめの空調の中じゃ寒くないか? パジャマにそんなカーディガンを羽織っただけで?」
「だいじょうぶ、平気……それにこうしてると、あったかいもの……」
 涙を腕でぬぐいながら、レアナは打って変わって努めて明るい口調で返した。その言葉から受けた照れ隠しをするように、バスターは半ば冷えてきたコーヒーを飲んだ。涙の跡が残るものの、その様を笑顔で見あげていたレアナは、笑って声をかけた。
「ねえ、そのコーヒー、あたしにも少し分けて?」
「え? い、いいけどよ。これ、俺の飲みかけだし、もう量も少ないし……それにもうだいぶ冷えちまってるぜ?」
「それでいいの。ね、いい?」
「そりゃ、お前がいいって言うのならそれでいいけど……ほら。全部飲んでいいからな」
 バスターからコーヒーカップを受け取ると、レアナはそれを両手で包み込むように持ちながら、ゴクリと一口を飲んだ」
「にっがーい……バスターって、いつもブラックだよね」
「俺の嗜好が甘いものを受けつけないんでな。それより大丈夫か? 眠れなくなっちまうんじゃないか?」
「ううん。苦いけど……まだあったかいもの。それにね、このコーヒーは特別なの」
「特別?」
「うん。上手く言えないけど……特別なんだよ」
「たまに変わったこと言うよな、お前って」
「そお? 変わってなんかないよお?……ありがと。これ、苦かったけど……おいしかった」
「おう。サンキュ」
 バスターがカップを受け取ろうと片手を差し出して器を受け取ると、レアナはそのひとまわり大きな手を包むように両手で覆い握り締めた。
「ね、いつか、やり直せるときが来たら……そのときは絶対に諦めたりなんてしないでおこうね。約束だよ?」
 レアナはいつもの見慣れた明るい表情で、バスターの顔を見つめた。バスターは空いているもう片方の手で、レアナの髪をくしゃっと撫でた。
「当たり前だろ?……絶対に約束を破ったりしねえからさ。安心しろよ」
「よかった……やっぱりバスターはそういう人だよね……たまにきついことも言うけど……でも優しいよ」
「そ、そんなことねえよ」
「そうだよ。優しいよ……じゃ、おやすみなさい。バスターも、早く眠れるといいね」
 バスターの両腕に回していた手をほどくと、レアナはすぐそばの自室の前まで歩み寄った。もっとも、バスターとレアナの個室は隣同士なので、バスターの部屋も目前だったのだが。バスターはほんの少しの間、空のコーヒーカップを見つめていたが、レアナの言葉にすぐに顔を上げ、言葉を投げかけた。
「レアナ」
「なあに?」
「……その……ゆっくり休めよ」
「……うん。バスターもね」
 レアナが自室に入って行ったときとほぼ同時に、バスターもまた、自分に割り当てられた部屋へと入っていった。

 静かな静寂が、再び艦内の通路に訪れた。



あとがき


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