[結晶のゆくえ]


「レアナ、もう食べないのか?」
 いつもの朝食の席、バスターは隣に座るレアナが食事にほとんど手をつけていないことに気づいた。
「うん……。よかったら、これ、バスターとガイで食べて……」
「それは構わないけどよ……クリエイタにちょっと診てもらえよ。頼めるか? クリエイタ?」
 バスターがテーブルを挟んで向かいの席、ガイの隣に座っているクリエイタに声をかけた。
「ハイ カマイマセンヨ レアナ イキマショウカ」
「うん……。お願い、クリエイタ」
 レアナは立ち上がると、クリエイタと共に食堂を出て行った。その足取りはどこか頼りなく、バスターは気が気ではなかった。

 レアナが残した分も含めて朝食をかきこむように食べた後、バスターは医務室の前の通路で腕を組み、壁に寄りかかるように立っていた。
「バスター、レアナはまだ診察中か?」
「ガイか……ああ、まだだ」
「お前が心配するのも分かるけどよ、あんまり一人で抱え込むなよ」
 バスターの表情は堅く、レアナを心底から心配していることが一目で分かった。だが、それをガイに指摘されたことが意外だったのか、バスターは顔を上げてガイを見つめた。
「俺、そんなに暗い顔をしてたか?」
「ああ。俺様でなくたって誰が見たってこっちが心配になってくるくらいだぜ?」
「そうだな、あまり心配しすぎるな、バスター……とは言っても、無理かもしれんがな」
「艦長!? 艦長も来てたのか」
 ガイが背後からの声に慌てて振り向くと、そこにはテンガイが立っていた。
「クルーが病気かもしれんのに、責任者であるワシが放っておくわけにはいかんだろう?」
「まあ、そりゃそうだけどよ……お、クリエイタが出てきたぜ、バスター」
 ガイに言われるまでもなく、バスターは医務室から出てきたクリエイタに駆け寄った。
「クリエイタ、レアナの具合はどうなんだ?」
 突然に声をかけられたクリエイタは一瞬、驚いた表情を見せたが、すぐに落ち着いた表情を取り戻してバスターに答えた。
「ハイ。レアナ ハ ダイジョウブ デスヨ。タダ……」
「ただ?」
「どうした? クリエイタ?」
 口ごもったクリエイタに対し、バスターだけでなくテンガイも声をかけてきた。クリエイタは戸惑った様子を見せたが、やがて心を決めたのか、自分の周りのバスター、ガイ、テンガイらに演説でもするかのようにかしこまって答えた。
「……コレ ハ レアナ ノ イエ レアナ ト バスター ノ キワメテ プライベート ナ モンダイ デ アリ……ミナサン ニ ドウ セツメイ スルベキカ ワタシ モ マヨッタノデスガ……」
「なんだ? 俺様と艦長には言いにくいことなのか?」
「エエ……モウシワケ ナイノデスガ……」
「ならばバスターにだけ話せばいい。ワシとガイはこの場から外れる。バスターとレアナの内密な問題に部外者が土足で踏み込むわけにはいかんからな。お前もそれは分かるだろう? ガイ?」
「ま、まあ、そりゃそれくらいは俺様だって分かるけどよ……」
 バスターとレアナがいつからか夜を共に過ごすほど親密な仲になっていることは、ガイも、テンガイも、クリエイタも、このTETRAに乗っている者ならば皆が知っている公然の秘密だった。愛し合う男女であるバスターとレアナが夜を共に過ごすことの意味も、もちろん三人とも理解していた。
「では決まりだな。食堂に戻るぞ、ガイ」
「あ、ああ、分かった、艦長。おい、バスター」
「なんだ?」
「お前とレアナの問題だから俺様は突っ込めないし、そんな気もないけどよ……その、レアナをいたわってやれよな」
「ああ。そんなこと、分かってるさ」
 そう言葉を交わすと、ガイとテンガイはその場から離れ、食堂へと戻っていった。
「クリエイタ、レアナは具体的にはどういう病状なんだ? それに、俺も関係があるって?」
 あとに残されたバスターがもどかしげにクリエイタに尋ねると、クリエイタは意を決したようにバスターの詰問に答えた。
「バスター……レアナ ハ ニンシン シテイマス」
「なんだって!?」
 驚くバスターの顔はカアッと赤くなった。つい昨晩もレアナと激しく愛し合った記憶がバスターの脳裏にはありありと蘇っていた。
「ハイ。 タダシ……ソウゾウ ニンシン デス」
「想像妊娠!?」
「ソウデス。ゴゾンジ デスカ?」
「その……子供が欲しくて自分は妊娠しているっていう強い思いこみから体までが妊娠しているように変化することだよな?」
「ハイ ソノトオリ デス。デスカラ アナタ ト レアナ ノ キワメテ プライベート ナ モンダイ ナノデスガ……」
 クリエイタが確認を求めるようにバスターを見つめると、バスターは顔を真っ赤にしながらもクリエイタの言葉の意味を理解した。想像妊娠とはいえ、レアナが妊娠するとしたらその腹の子の父親は彼女と夜を共にして愛し合っている自分しかいない。だからこそ、クリエイタは自分とレアナのプライベートな問題だと言い、ガイと艦長には敢えて詳しく言わなかったのだ。
「レアナ、そんなにも……クリエイタ、レアナにはそのことは伝えたのか?」
「ハイ。アナタ ノ クチカラ ハ イイニクイ デショウ? バスター?」
「そ、そうか……。言いにくいことを言ってくれて、ありがとうな、クリエイタ。本当なら俺が伝えるべきことなのに……」
「イエイエ。ワタシ ガ イウノガ イチバン テキニン デショウシ。クルー ノ タイチョウ カンリ モ ワタシ ノ シゴト デスカラ。トク ニ レアナ ハ モウ ナンカゲツ モ ゲッケイ ガ トマッタママ ナノデスカラ ケサ サイショニ シンサツシテ ニンシン カト ゴシン シタトキ ハ ホントウ ニ オドロキ マシタガ……ソレヨリ モ バスター?」
「なんだ?」
「レアナ ノ ソバ ニ イテアゲテ クダサイ。ソレ ガ デキルノハ アナタダケ デス」
 クリエイタの言葉に、バスターはハッとして自分を取り戻すとごほんと咳払いをして、腰に手をやった。
「も、もちろんじゃねえか。言われるまでもねえよ」
 そう言うと、バスターはどこかギクシャクと固まった動きながらも医務室に入っていった。バスターが医務室に入ったのを見届けると、クリエイタはガイやテンガイがいるはずの食堂へと戻っていった。あとはバスターに任せるしかない、自分も部外者だとわきまえているように。

「レアナ? いるんだろう?」
「バスター……?」
 白いカーテンで仕切られた向こう側、診察用ベッドのほうへバスターが声をかけると、レアナの力ない声が返ってきた。バスターがカーテンの内側に入ると、レアナが固く素っ気ない診察用ベッドに横になっていた。ベッドの横に置かれていた簡素な椅子にバスターが座ると、レアナは悲しげな顔で口を開いた。
「バスター……あのね……」
「お前の体のことならクリエイタから聞いたぜ……本当のことを知って、辛かっただろう……」
「ううん……あたし、バカみたいだよね……。勝手にバスターの赤ちゃんができたって思いこんじゃって、みんなに……バスターに、こんな心配をかけちゃって……」
「お前は何も悪くなんかねえよ。そんなにも俺の子供が欲しかったんだろう? お前との子供が欲しいのは俺だって同じなんだ。なのに、どうしたって負担がかかるのは子供を体に宿して母親になるお前のほうなんだし……おまけに、想像妊娠までしてしまうほど、お前を思い詰めさせてしまって……本当にすまなかった」
「バスター……」
「レアナ……いまはこんな状況だから……お前の体が子を宿すことを拒否してしまっているのかもしれない。クリエイタに聞いたぜ? 月経だって、もう何ヶ月も止まったままなんだろう? だけど、いつかきっと……俺達の子供はお前の体に宿るはずさ。だから……そんなに思い詰めるなよ? な? だいいち、俺は、その……」
「なあに?」
「……お前が愛しくてたまらなくて……それで、夜もあんなに激しくお前を愛しちまうんだ。俺達はあんなにも愛し合ってるんだから……俺達の子供も必ずお前の体に宿って産まれてきてくれるさ。俺とお前の子供なんだ、きっと目に入れても痛くないほど可愛いだろうな」
「バスター……!」
 レアナは起き上がると、バスターに飛びつくように抱きついた。その青い瞳には涙のつぶが光っていたが、表情は喜びにあふれていた。バスターが自分を深く愛してくれているだけでなく、まだ見ぬ我が子のことまでもう愛してくれているという喜びに、レアナは感動していた。
「バスター……! あたし……あたし……」
「落ち着けよ、レアナ」
 バスターが幼い子供をあやすかのように抱きしめたレアナの背中をぽんぽんと叩くと、レアナはますますしがみつくようにバスターに抱きつき、涙声で返事をした。
「うん……うん……」
「落ち着いたか?」
「うん……」
 バスターが差し出したベッド脇に備え付けられていたティッシュでチンと鼻をかむと、涙に濡れた瞳をレアナは両手でごしごしとこすった。
「ありがとう……ごめんね……バスター……」
「俺にだって産まれてくる子供の父親になる大きな責任があるんだからな、お前が謝ることなんてねえさ。ん……」
「あ……ん……」
 バスターは自分にしがみつくレアナを抱き寄せて膝の上に乗せると、そのまま彼女の唇に自分の唇を重ねた。それはとろけそうなほどに甘いくちづけだった。レアナも抱かれたままバスターにしがみつく腕に力を込め、二人はお互いの心音が伝わってくるほど強く抱き合ったまま、深く唇を重ね合っていた。
「ふう……」
 心ゆくまでレアナとの甘いくちづけを味わったあと、彼女の唇を解放したバスターは、安心したかのように一呼吸ついた。それでもバスターはまだ膝の上のレアナの華奢な体を大切に抱きかかえていたし、レアナも変わらず、バスターに抱きついたままだった。
「ね、バスター……ガイや艦長もあたしの想像妊娠のこと、知ってるの?」
「いや、クリエイタが気を利かせてくれたから、俺しか知らねえよ……って、レアナ、顔が真っ赤だぞ」
「だって……ガイや艦長は知らないってわかってホッとしたけど……それでも二人にどんな顔をすればいいのか……わかんないんだもの……」
「堂々としてればいいんだよ。下手にもじもじするよりもそのほうがいいさ」
「でも……」
「お前一人の問題じゃなく、俺だって問題の当事者なんだからな? たとえ今回のように思い込みであっても、お前が身ごもったら、その子の父親は間違いなく俺なんだし。違うか?」
 バスターの問いかけに、レアナはぶるぶると頭を強く横に振った。
「ううん、バスター以外の人があたしのお腹の赤ちゃんのお父さんになるなんて……そんなこと、絶対にあり得ないよ」
 バスターと過ごす熱く激しい夜を思い出したのか、レアナがますます顔を赤らめて返答すると、バスターは優しく笑って彼女の髪をくしゃっと撫でた。
「だろう? クリエイタはプライベートな問題だって念を押してくれたから、艦長はその辺の機微を分かってくれてるだろうし、ガイだってこんなプライベートでしかもデリケートな問題には突っ込んでこねえさ。それに、いつだって俺が一緒だ。ダメか?」
「……ううん!」
「そうだろう?」
「バスター……大好き! 大好きだから……!」
「俺もだよ……愛してる、レアナ」
 そうやり取りして笑いあうと、バスターとレアナは改めて見つめあい、それが自然な流れであるかのようにもう一度、唇を重ねていた。先ほどに勝るとも劣らぬ濃厚なくちづけだった。
 心から愛し合う二人を止めることは誰も出来ない、そう言わんばかりに二人は抱き合って深く激しいくちづけを飽きることなく何度も繰り返していた。唇を一瞬だけ離しても、惜しむようにどちらともなくすぐにまた深く重ね合って。
 バスターとレアナの愛の結晶たる二人の子供もいつかきっとレアナの体に宿る――そう確信出来るほど、今この瞬間も深く激しく唇を重ねて求め合う二人の愛は確かなものであり、まごうことなき真実だった。



あとがき


BACK
inserted by FC2 system