[ひとときの珈琲時間]


 沈黙が支配し、バスターがコンソールのキーボードを叩く音だけが小さく響くTETRAの中央電算室。バスターはその中で黙々と現在の航海データや過去の戦闘データなどをチェックし、ミスやエラーなどがないか確認する作業を行っていた。そこへ、静けさを打ち破るように明るい声が響いた。
「バスター! どう? お仕事の調子は?」
 声の方向へバスターが顔を向けると、電算室の入り口にはトレーを持ったレアナが立っていた。バスターが作業の手を休め、入口に立つレアナのほうへと近づくと、彼女が両手で掲げている小さめのトレーの上にはブラックコーヒーで満たされた一人分のマグカップが載っており、そのかぐわしい香りが漂ってくるのがバスターにも分かった。
「ああ、こっちのほうは順調だぜ。差し入れのコーヒーか。サンキュー、レアナ」
「ううん。バスターはこの電算室で、艦長とガイは艦橋でそれぞれお仕事しているんだし、あたしだってこれくらいはしなくっちゃダメだもの」
「そんなに気を使う必要もねえけどな。それにメインで作業をしてなくても、こうやってその疲れを癒してくれるサポートだって、大事な仕事だと思うぜ?」
 バスターはそう言うと部屋の隅に置いてあった予備の椅子を引っ張り出してきて自分の椅子の横に置いた。レアナをその予備の椅子に座らせ、バスター自身は自分の椅子に座ると、バスターはレアナから受け取ったコーヒーをすすった。
「うん、旨いな。艦橋にいるはずのガイと艦長にも持ってったのか?」
「うん。クリエイタが持ってってくれたはずだよ」
「そうか。お前もクリエイタも気が利くな」
「言ったじゃない。あたしだってあたしに出来ることくらいはしなきゃ。あ、でも、クリエイタならここの作業もあたしよりお手伝い出来るし、クリエイタがこっちに来たほうがよかったかなあ? ごめんね、バスター。そんなことにも気づかなくて」
 申し訳なさそうな顔をして、しゅんとうつむくレアナの姿に、バスターは優しく微笑んで彼女の頭を撫でた。
「それなら俺もさっき言っただろう? そんなに気を遣う必要なんてねえって。ここは俺一人でじゅうぶんさ。クリエイタの手伝いが必要なのは艦橋のほうかもしれねえし。けど、そうやって人に気を遣いすぎるところ……まったく、お前らしいな」
 コーヒーを飲み干したバスターは口元に笑みを浮かべてそう言うと隣に座るレアナを椅子ごと引き寄せてその体に腕を回して彼女を抱き、レアナも抗うこともなくバスターの体にその身を寄せた。しばし無言で抱き合うと、そうするのがごく自然な行為であるかのように、二人は顔を近づけて唇を重ねていた。
「レアナ……」
「バスター……あ……ん……」
 静かな部屋の中で、バスターとレアナは強く抱き合ったまま、お互いの唇の感触を味わうだけでは終わらないほどの深いくちづけを何度も繰り返して熱く愛を交わしていた。どれくらいの時間が過ぎた頃か、バスターがレアナの唇をようやく解放する形で離すと、レアナは頬をほんのりと赤く染めながらもバスターのたくましい胸に改めてその身を寄せた。
「……コーヒーの味がした」
 レアナがそうつぶやくと、バスターは笑って、今度は半ばからかうかのようにレアナの髪をくしゃっと撫でた。
「お前が淹れてくれたコーヒーのな。旨かっただろう?」
 バスターの言葉に、レアナの顔はますます赤くなったが、バスターの胸に身を寄せたまま、レアナはこくりとうなづいた。
「……うん。あたし、コーヒーは苦手なのに……今のはおいしかった……」
「なら良かったぜ。なんならいつも、こうやって飲むか?」
「やだ、バスターったら……もう……」
 バスターの冗談にそう答えながらも、レアナは嬉しそうだった。バスターと唇を深く重ねて愛し合えたことが、それだけ彼女にとっては思いがけず訪れた至福のひとときであった証拠でもあるようだった。
「さてと……ここでの作業もあともうちょっとだし、終わらせちまうか」
 バスターはそう言って立ち上がり、背伸びをして椅子に座りっぱなしで凝り固まった体をほぐしたが、レアナは椅子に座ったままで、この部屋から立ち去るような気配はなかった。そんなレアナの様子を見て、バスターは不思議そうに尋ねた。
「どうした? 戻らないのか?」
「うん。ここで作業が終わるのを待ってるよ。あたしの仕事はもう終わってるし」
「それは別に構わねえけど……何か特別に面白いものがあるわけでもねえぞ?」
「それでもいいの。終わったらいっしょに戻ればいいでしょう? だめ?」
 無邪気に小首をかしげてそう尋ねるレアナの姿に、バスターが否定で返す理由もなかったし、そもそも自分をここまで慕ってくれているレアナを無下にすることなど、バスターには出来るはずもなかった。
「……じゃあ、なるべく急いで終わらせるからな。待っててくれよ」
「ゆっくりでいいよ。大事なお仕事でしょう? もしもあたしにもお手伝いできることがあったら、遠慮なんてしないで教えてね」
「ありがとうよ。けど、お前のアシストが要るような深刻な事態にはぶち当たりそうもなさそうだし、手持ち無沙汰な時間を過ごさせちまう確率が高いけど……それでもいいのか?」
「全然いいよ。あたしのことは気にしないで」
「そうか。それじゃあ、ちょっと待っててくれよな」
 そう言うと立ち上がったままだったバスターは体をかがめてもう一度、レアナの愛らしい唇に今度はそっと軽くくちづけを落とすと、自分の椅子に座ってコンピュータと向き合い、作業を再開した。そんなバスターの姿を椅子に座ったまま横から眺めながら、レアナは愛しいバスターの熱を帯びた唇の名残と同時にコーヒーのわずかな味が残る自分の唇を指でそっとなぞった。
「バスターってば……」
 レアナはバスターに聞こえるか聞こえないかほどの小さな声で嬉しそうにつぶやいて、にこにこと笑い、その様子はいかにも幸せそうだった。バスターと深く熱いくちづけを交わしたひとときの秘め事は、そう易々と比ぶるものなどないほどの喜びをレアナに与えていた。
 一方、チェック作業に戻ったバスターも、どこか嬉しそうに笑みを浮かべたまま作業を続けていた。一杯の心のこもったコーヒーに加え、レアナと深いくちづけを介して愛し合った短くとも濃密な時間は、レアナだけでなくバスターにも同じように大きな喜びを与えていた。
 相思相愛、もしくは比翼連理といった言葉がそのまま当てはまるほど心から愛し合っているバスターとレアナにとっては、交わした行為がいっときのくちづけだけであったとしても、二人が得る喜びと幸福は計り知れないものだった。
 TETRAの一隅でもたらされた、バスターとレアナ、心から愛し合う二人が愛の秘められた愛のひとときは、まさに淹れたてのコーヒーのように熱く濃厚な極上のロマンスに満ちた時間だった。



あとがき


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