[愛すべきある朝の風景]


 朝を迎えたTETRAの食堂にガイが顔を出すと、テーブルのいつもの席にテンガイが座って、タブレットを操作してその画面を読んでいた。きっとこのTETRAを管理しているコンピューターと繋がっているもので、TETRA内に異常が発生していないかを確認しているのだろうとガイは思った。
「おはよう、艦長、今日も朝から熱心だな」
「ガイか。うむ、今日も何よりだ」
 それは見慣れたテンガイのいつもの姿であり、毎朝の恒例の行事のようなものだったので、ガイは特に気にも留めずにテンガイと挨拶を交わした。だが、他にここに居るべき人物が二人とも見えなかったので、ちょうど厨房から淹れ立てのコーヒーを持ってきたクリエイタに、ガイは話しかけた。
「クリエイタ、バスターとレアナはまだ来てないのか?」
 コーヒーの入ったカップをテンガイの前に置くと、クリエイタはアイモニターに笑顔の表情を浮かべて、ガイに返事をした。
「オハヨウ ゴザイマス ハイ フタリ トモ マダ キテ イマセンヨ」
「そうか。いつもなら二人ともとっくに来てるのにな。寝坊してるのか?」
 ガイはそう言いながら自分の席に着いた。そして厨房へ戻ったクリエイタが運んできたコーヒーをガイが受け取って飲もうとしたとき、食堂の扉がスッと開いた。
 そこにはガイが口にした二人であるバスターとレアナが立っており、二人は揃ってテンガイとガイに朝の挨拶をした。
「おはようさん。ちょっと遅れちまったな」
「艦長、ガイ、クリエイタもおはよう。でも遅刻しなかったみたいだから、よかったね」
 二人が一緒にやってきただけならそれも見慣れた朝の光景だったが、ガイはバスターとレアナの姿を見て、口に含んだコーヒーを思わず吹き出しそうになった。レアナはバスターの左腕に両腕を絡ませて寄り添っており、しかも二人の手は指も絡ませ合って握りしめられていて、それはまさに「手に手を取って」という状況だった。
 バスターとレアナの仲が親密なものであることはガイだけでなく、TETRAの他の乗組員であるテンガイとクリエイタも知っているはずだったが、テンガイもクリエイタも、バスターとレアナが仲睦まじく腕を絡ませていることに気づいていないのか、いや、鋭い観察眼のあるテンガイや、クルーに常に配慮しているクリエイタが気づいていないはずはなかった。だが、二人とも見て見ぬ振りをしているのか、平常な様子だった。
「バスター、レアナ、今日も変わりないようだな」
「オハヨウ ゴザイマス バスター レアナ」
 バスターとレアナは絡ませていた腕と手をゆっくりと自然に離して、自分達の席に並んで座ると、クリエイタが持ってきたコーヒーと紅茶をそれぞれ飲んだ。甘味料を加えた甘い紅茶は、コーヒーが飲めないレアナへのクリエイタのいつも通りの配慮だった。
 紅茶を半分ほど飲むと、レアナは席を立って朝食の準備にいそしむクリエイタの手伝いをしようと厨房へと赴いた。それもまた、毎朝のレアナの日課だった。レアナが厨房の奥へと姿を消したのを確認すると、ガイは向かいの席に座ってコーヒーを飲むバスターに、かろうじて聞こえる程度の小声で話しかけた。
「おい、バスター。今日は……その……い、いや、なんでもない!」
 バスターがレアナと手を繋いで来たことにガイは触れようとしたが、ガイが思っている以上に親密で深い関係にあるはずの二人の仲に詮索することはあまりに野暮だとガイは気づき、言葉を途中で止めた。
 そんなガイの様子に、バスターはいぶかしげな顔をしたが、ガイが何を言わんとしていたのかということに気づき、さあっとその顔が彼自身の髪の色のように赤くなった。そのまま飲みかけのコーヒーカップをテーブルに置くと、バスターは照れ隠しのように頭をかいた。
「あー……その、だな……レアナはほら、子供っぽいところがまだあるからな……」
 バスターのはっきりしない物言いに、ガイは彼に問いかけようとしたことを、しまったと後悔した。いくら同じTETRAで生活している仲間同士とはいえ、人の恋路に口を出すなんて、それこそ馬に蹴られても文句は言えない。そう気づいたガイは慌てて、顔の前で両手を振った。
「い……いや! 本当になんでもないんだ! 俺様が野暮だったんだ! 男の誓約も忘れて!」
「お、おい、ガイ。そんなことは大声で……」
「ねえ、『おとこのせいやく』ってなあに?」
 ガイが思わず口に出してしまった言葉をバスターが注意しようとしたとき、間の悪いことにバスターとガイがその言葉を一番聞かれたくない相手――レアナが厨房から人数分のランチョンマットとカトラリーをトレーに載せて運んできた。バスターとガイはびくっと慌てたが、時すでに遅しであった。
「レ、レアナ、いや、それはだな……」
「ねえ、なんのことなの?」
 うっかり大声で発言してしまったガイがしどろもどろになり、バスターがさらに顔を赤くして頭を抱えていると、思わぬ人物が言葉を発した。
「レアナ、もしガイが女子で女子同士、お前と二人だけの秘密を持っていたら、バスターには言えんだろう?」
 テンガイはタブレットをテーブルに置き、レアナに話しかけていた。
「え、艦長……うん、そうだね」
「だろう? ガイが口にした『男の誓約』も同じことだ。年の近い男同士、女子には言えんこともあるだろう。その辺を察してやれ」
 テンガイがそこまで言うと、レアナはトレーを片手で持ち、もう片方の手を口元に当てて考え込んでいたが、クスッと笑うと、笑顔でテンガイに返答した。
「……うん! 誰にだって秘密にしたいことはあるもんね。あたしは男の人じゃないから男の人のことはわかんないこともあるけど……あたしも男の人にはあんまり知られたくないなあってことはあるもの」
 それだけ言うと、レアナはバスターとガイの顔を改めて交互に見た。
「ごめんね、突っ込んだりして。でも……フフッ」
 レアナがまた笑い出したので、落ち着きを取り戻したガイが不審に思って話しかけた。
「い、いや、いいんだ、大声で言った俺様も悪かったし。けど……なんで笑ってるんだよ?」
「ごめん、ガイが女の子だったらって思ったら、面白いなあって思っちゃったから。全然想像できないんだもん」
 口元に手を当てて笑っているレアナの返答に、ガイは拍子抜けしたような声をあげた。
「はあ!? ま、まあ……俺様も自分が女になった姿なんて想像できねえけどよ……」
「ハハッ、まったくだぜ、ガイ」
「なんだよ、バスターまで笑うことねえだろ!?」
「悪りぃ悪りぃ。けどよ……やっぱり笑えるぜ?」
「何がやっぱりだよ!? まったく!」
「ミナサン タノシ ソウ デスネ」
 出来上がった朝食をワゴンに載せて、クリエイタが相変わらずアイモニターに笑顔を浮かべたまま運んできた。
「だってね、クリエイタ……フフフッ」
「あー! レアナ、もうやめてく……」
「さて、朝食も出来上がったのだし、この件はこれで終わりだな。いいな? バスターもガイもレアナも?」
「はーい」
 テンガイの言葉に素直に返事をするレアナを尻目に、ガイとバスターは胸を撫で下ろしていた。
「ふう……助かったぜ」
「それはこっちの台詞だぜ、ガイ」
「悪かった、悪かったって……」
 ガイとバスターのそんなやり取りを微笑んで眺めながら、レアナはもう口は挟まず、ランチョンマットとカトラリーを並べ終えると、バスターの隣にちょこんと腰を下ろした。そうやって自分の席に座り終えたクルー達の前に、クリエイタは運んできた朝食を順に配っていった。物資節約のために質素ではあったが、最低限の栄養はきちんと考えられた食事だった。食事を配り終えると、クリエイタはガイの隣の自分の定位置に収まった。
「さて、では頂くとするか。クリエイタ、ご苦労だったな」
「イエイエ コレ ガ ワタシ ノ ニンム デスカラ」
 テンガイとクリエイタのやり取りの後、バスター、レアナ、ガイも揃って食事の前の言葉を交わした。
「サンキュー、クリエイタ。頂くぜ」
「ありがとう、クリエイタ! いただきます!」
「じゃあ俺様も頂くとするぜ、クリエイタ」
 そうやっていつもと同じ朝食が始まった。まだニコニコとしているレアナに釣られるように、冷静さを取り戻したバスターも笑みを浮かべている一方で、ガイは自分の失態を取り繕ってくれたテンガイにそっと話しかけた。
「艦長、その……礼を言うぜ……すまねえ」
 そんなガイに対し、テンガイは一旦、スプーンを動かす手を止め、ガイのほうをじろりと見た。
「人には誰でも公にはしたくないこともある。それをうっかりとはいえ自分からばらそうなどとは、もう思わんことだな」
「へーい……はあ……艦長のおかげで助かったぜ」
 テンガイが再び手を動かして食事を食べ始めると、ガイもいつもの彼らしく、勢いよく自分の分の朝食を食べ始めた。そんな様子を、クリエイタもまた、笑顔で見守っていた。
 上座に着いているテンガイがテーブルを囲む面々を見渡すと、少しばかりの騒動はあったものの、そこにはいつも通りの和やかなTETRAの朝食の光景が広がっていた。そんな朝食の席に集うクルー達がそれぞれ築いた人間関係が、テンガイの脳裏には浮かんでいた。
 年の近い親友同士と言えるバスターとガイ、仲の良い姉弟のようなレアナとガイ、そしていつしか深く愛し合う仲となったバスターとレアナ。テンガイはもう一度、自身の子供同然の三人の顔を見渡すと、静かながらも威厳ある父親のように心の中で願っていた。どうか彼らがこのTETRAの中だけでなく、いつか訪れる地球に降りる日に待ち構えているであろう試練も乗り越えて、幸福であり続けられることを――。



あとがき


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