[男の誓約]


 一日が終わって夜も更け、TETRA艦内が静けさに包まれた頃、ガイはふと目を覚ました。
「喉が渇いたな……」
 ガイは起きあがると、寝巻き代わりのTシャツに短パンという自分の姿を眺めた。
「ま、これでいいか……こんな夜中だしな」
 ガイは誰に言うでもなく独りごちると、自分の部屋から出ていった。
 ガイが食堂の扉を開けると、予想しなかったことに明かりが点いており、先客がいた。パジャマ姿のバスターだった。バスターは自分の席に座ってマグカップで何かを飲んでいたが、食堂に入ってきたガイを見て、マグカップをテーブルに置いた。
「どうした、ガイ」
「いや、喉が渇いちまったから、何か飲もうと思って……お前こそどうしたんだよ、バスター?」
「お前と同じだよ。喉が渇いたから目が覚めちまっただけさ」
「なんだ、似たもの同士ってわけか」
 ガイがそう言って笑うと、バスターも釣られるように笑った。
「そうだな。けど、ちょうど良かった。ちょっと作りすぎちまったんでな」
「何をだ?」
「今、持ってきてやるさ」
 怪訝な顔をしたガイを尻目に、バスターは厨房のほうへ行くと、温かなそうな湯気とほのかな匂いを放つ液体で満たされたマグカップを持って戻ってきた。
「しょうが湯だ。体が暖まるぞ」
 バスターはそう言うと、ガイに持っていたマグカップを手渡した。
「へえ……しょうが湯か……懐かしいな」
 ガイの言葉に、バスターは片眉を上げて意外そうな顔をした。
「知ってるのか?」
「ああ。ガキの頃、風邪を引いたときにおふくろがよく作ってくれたんだ」
 ガイはそう返すと、マグカップの中身を一口飲んだ。
「……うん。おふくろが作ってくれた奴よりも甘くないけど、これはこれで美味いな。おふくろが作ってくれた奴はきっと、俺様がガキだったから甘めに作ってくれたんだろうな」
 ガイが笑って懐かしそうにそう言うと、バスターも笑みを浮かべた。
「そうか。それなら良かった」
 ガイはもう一口、熱いしょうが湯を飲むと、自分のぶんのしょうが湯を飲んでいるバスターに声をかけた。
「けど、俺様から見れば、お前がしょうが湯の作り方なんて知っていたほうが意外だぜ」
「そうか?」
「だって、これは地球連邦の中でもお前の出身地の飲み物じゃなく、俺様の出身地の飲み物だぜ? 誰かに教えてもらったのか?」
「レアナにきっかけをもらったんだ」
「レアナに?」
 驚いた顔を見せたガイに対し、バスターは笑って返事を返した。
「そうだ。もっとも、レアナが作ってくれたのはしょうが湯じゃなくシナモンジンジャーミルクだったから、このしょうが湯はその応用だな。レアナが参考にしたっていう厨房のレシピノートを見てみたらしょうが湯の作り方も載っていたんで作ったみたんだが、思いのほか美味く出来たな」
 バスターの口から出た言葉に納得したガイだったが、バスターの格好をよくよく見れば、パジャマの上下を着ていたものの、上衣のボタンは外されたままで、鍛えられた胸筋や腹筋の大部分が露わになっていた。
「お前、そんな格好で冷えないのか?」
 自分の格好も似たようなものだとは全く考えていないガイの素朴な問いかけに、バスターは自分の姿を見下ろしたが、なんでもないような口調で返した。
「ここに来るのに裸のままじゃさすがに夜中でも問題だからパジャマを着直したんだが、ボタンを留めるのが面倒だったんでな。なに、これを飲んだらすっかりあったまっちまったし」
 そう言うと、バスターはマグカップを掲げるように持ち上げて笑った。
「そ、そうか……」
 バスターの言葉通りなら、彼は自室ではパジャマを脱いで裸だったということになる。続けてガイの頭に浮かんだのは、バスターと寝起きを共にしているはずのレアナのことだった。
「そ、そういや……レアナは一緒じゃないんだな」
「ああ。レアナならすっかり熟睡しちまってるからな」
「そ……そうか」
 バスターが自室では裸で、同じ部屋にいるレアナはその部屋のベッドで眠っている――そこから連想したバスターの部屋の中の光景に、ガイは知らず知らずのうちに顔を赤くしていた。
「ガイ? どうした? 顔が真っ赤だぞ?」
 ガイの顔色の変化に気がついたバスターが不思議そうな表情で尋ねると、ガイはすぐさま頭を下げた。
「い、いや……す、すまん! 不埒なことを想像しちまった」
「不埒なこと?……あ、ああ……」
 ガイの返答に最初はどうしたのかといった顔をしていたバスターだったが、ガイが自分とレアナのことを考えたのだと気づいた彼もまた、顔を赤くしていた。
「そ、そんなこと、お前が謝ることじゃねえよ。俺のほうが開けっぴろげだったんだ。こっちこそ、すまなかった」
「いや! そういうことはお前達の最高機密レベルのプライバシーなのに、そんなことを詮索しちまった俺様がデリカシーがなかったんだ! 悪かった!」
「そ、そこまで謝らなくても構わねえって。俺だってこんな格好でうろついていたのは配慮に欠けていたんだしよ」
 バスターはすっかり恐縮しながら、マグカップをテーブルに置くと、外したままだったパジャマのボタンを次々と留めていった。
「……けど、レアナがここにいなくて良かったぜ」
 ボタンを留め終えたバスターは、冷めかけたマグカップの中身を飲み干して呟いた。
「あいつのことだから、いくら無防備で警戒心がなくても……その、俺と一緒に夜を過ごしていることを、ガイ、お前に想像されちまったなんて知ったら、いつかみたいに顔を真っ赤にして、この場から逃げてっただろうからな」
 バスターの言葉に、自分も残りのしょうが湯をすすりながら、ガイもうなずいた。
「……そうだな。でも、バスター、本当にすまなかった」
「もういいって。お前の気持ちはじゅうぶん伝わったからよ」
「いや! いや! 俺様は……こともあろうにお前と一緒にいるときのレアナの姿まで連想しちまったんだ。お前に殴られても文句も言えねえ……! おい! 今、この場で殴ってくれてもいいんだぜ!?」
「……い、いや、そんな……って、お前、そんなところまで想像したのか!?」
 ベッドの上のレアナの無防備であられもない姿までガイが想像してしまったのだということに気づいたバスターは、一転して大きな声をあげた。だが、頭を振ると、右手を前に出し、ぶるぶると振った。
「……こ、このことは今日、いま限りのことだ。それで終わらせよう。いいな?」
「いいのか!? 本当に殴ってくれても構わねえんだぜ!?」
 ガイはなおも引き下がろうとしなかったが、バスターはそれを遮るように手を振り続けた。
「い、いいんだ。そんなことしたって俺が後味が悪いだけだし、そもそも俺ももっと考えた格好で部屋から出てくるべきだったし、レアナのことを聞かれたときにだって配慮に欠けていたんだからな。だから、この話はもうこの場で終わりだ。その代わり……」
「その代わり?」
「……二度といま思ったことは思い返すなよ。それが殴る代わりの交換条件だ」
「あ、ああ! もちろんだとも! 男同士の約束だ!」
 ガイはそう叫ぶと、すっと右手を差し出した。それが握手を求めているサインなのだと気づいたバスターもまた、右手を差し出し、二人は固く握手を交わした。
「……これで何もかもおしまいだ。いいな?」
 バスターが念を押すと、ガイは勢いをつけて何度もうなずいた。
「お、おう! 俺様は全部忘れるからよ! それは信じてくれ!」
「……もちろんだ。お前が自分が言った言葉を裏切るような男じゃないことは分かってるさ」
 バスターはそう返し、ニッと笑った。その笑みのおかげか、緊張していた場の空気は和み、ガイも釣られるように笑っていた。
「……何やってるんだろうな、俺達」
 バスターが笑ってそう言うと、ガイも笑ったまま言葉を返した。
「そりゃ、もちろん、男同士の約束……いや、誓約ってところか?」
「誓約か。大げさだな、お前も」
「そりゃそうだろう!……絶対にレアナには内緒にしてくれよな?」
「もちろんだ。こんなことがばれたら、顔を真っ赤にしたレアナに俺だって殴られかねないしな」
 バスターとガイは握り合っていた手をほどくと、パアンと音を立てて、お互いの手のひらを打ち合った。それが、二人の誓いの成立を意味していた。
「よし! それじゃあ……片づけるか」
「そ……そうだな」
 バスターは空になった二つのマグカップを持つと、厨房へ行き、その後をガイが追った。マグカップを洗って片づけると、二人はクルーの自室のある居住エリアへと足を運んだ。ガイの部屋の前まで来ると、バスターはガイの肩をポンと叩いた。
「……じゃあな、ガイ。男同士の誓約、忘れるなよ?」
「もちろんだぜ! バスター、お前も秘密は守ってくれよ?」
「当たり前だろう、そんなこと」
 バスターが口元に笑いを浮かべて返答すると、ガイもまた笑っていた。ガイが自室のスライド式の扉を開けて中に入ると、バスターも同じように、自分の部屋へと戻っていった。
 バスターの部屋のベッドにはレアナが横たわっており、裸の肩をブランケットから覗かせたまま、穏やかな寝息を立てていた。バスターはベッドの端に腰掛けると、穏やかなまなざしでレアナを見つめ、彼女の淡い色の柔らかな髪の毛を優しく撫でながら、どこか困ったように微笑んだ。
「やれやれ……むさくるしい男同士でお前に言えない秘密が出来ちまうとはな……」
 バスターはそう呟くと、先ほど慌てて留めたパジャマの上衣のボタンをさっさと外して上衣を脱ぎ捨てて、たくましい裸の上半身をさらすと、レアナが何一つその身にまとわぬままで眠るベッドの中にそっと潜り込んだ。そして剥き出しだったレアナの肩をブランケットの中に収めながら、バスターは彼女を愛しげに抱きしめた。
 まさに今この瞬間、レアナが生きている証である心臓の鼓動と柔らかな体温とが素肌を通じて直にバスターの体に伝わってきて、腕の中のレアナをいとおしいと思う感情がいっそう大きくなるのを、バスターは心の底から感じていた。
 バスターとガイがそれぞれ自室に戻ったことで、少しだけ騒々しかったTETRA艦内の一角は、再び静寂を取り戻した。レアナには秘密の――バスターとガイ、男同士のささやかな誓約の中に隠された、他愛もない、けれど、どこか微笑ましげな出来事だった――。



あとがき


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