[希望のまなざし]


 ガイが首にかけたタオルで顔の汗を拭きながらトレーニングルームから出て、TETRAの通路を歩いていると、ふと通路に大きく設けられた窓から外を眺めているバスターの姿があった。
「バスター? どうしたんだよ、こんなところで」
バスターは先に筋力トレーニングを終えてトレーニングルームを出て行ったはずだったので、ガイが何気なく声をかけると、バスターは視線を窓から声の方向へと向けた。
「ガイか。いや、ちょっとな」
 そう言ったバスターの姿は先程までトレーニングルームで筋力トレーニングを行っていたときと変わらないトレーニングウェア姿で、手には水の入ったボトルを持っており、ガイと同じ格好だった。
「筋トレで喉が渇いたんでな。この中の水も全部飲んじまったから、食堂で補給してきたんだが……ここに来たら、あの風景が目に入ってな」
 バスターは左手に持ったボトルを見せると、右手の親指でクイッと窓を指差した。ガイが窓の外を見てみると、そこには青く光る地球が静かに佇んでいた。
「なんだ、俺様と同じか。俺様も水を飲もうと思ってたんだ。ボトルは空っぽになっちまったしな」
 そう言い返すと、ガイはそういえば以前にもこの場所で地球を眺めるレアナと出会ったことを思い出し、ククッと笑った。
「なんだ? どうしたんだよ、急に笑ったりして?」
 怪訝な表情でバスターが問いかけると、ガイは笑いながら頭をかいた。
「いや、悪りぃ、悪りぃ。前にレアナもここにいて、お前と同じように地球を見てたのを思い出してさ」
「レアナが?」
「そうだぜ。お前のトレーニングが長引いてるから、寂しがってトレーニングルームに行こうかどうか迷ってたんだ。パジャマ姿でな」
 ガイの言葉を聞いて、バスターが何かに気づいたような顔をした。どうやら、思い当たる節を見つけたようだった。
「ああ……多分、あのときだな。お前に言われて来たって言ってたからな」
「なんだ、レアナのやつ、俺様のことまで言ってたのか?」
「あいつがパジャマ姿でトレーニングルームに来たことなんて、そうそうないからな。小さな子供みたいな顔をして、俺を待ってたって来たんだぜ?」
 そう言うバスターの様子がどこか照れたようだったので、ガイはすかさず言葉を返した。
「でも、お前はお前で嬉しかったんじゃねえの?」
 ガイの言葉に、ポーカーフェイスは得意なはずのバスターの頬がわずかだが朱に染まった。
「か、からかうなよな。そりゃまあ……あんな子供みたいにぴったり離れないんじゃ、寂しい思いをさせて悪かったとは思ったけどよ」
「ほお〜、そんなに仲良くしたのか?」
 ガイが顔に笑いを張り付けたまま意味ありげに尋ねると、バスターは顔を更に赤くしたまま、両手を振って慌てたように言葉を続けた。
「か、勘違いするなよな! 仲良くったって、その……あんな顔して迎えに来られたら、無視するわけにはいかねえだろ!」
「分かってるって。お前がレアナを邪険にするわけねえもんな」
「だから! お、俺は別に……」
 いつもは冷静なバスターが慌てる様が面白く、ガイはニヤニヤと笑っていたが、ふと、先ほどまでバスターが眺めていた地球が視界の隅に入った。
「で? レアナをまたほっといて、こんなところで油を売ってていいのか?」
 ガイの視線が自分から地球に移ったことに気づくと、バスターは幾らか冷静さを取り戻し、ガイと同じように地球のほうへ目をやった。
「油を売ってたつもりはねえんだけどな……ここで地球が目に入ったら、なんとはなしに目が離せなくなっちまったんだ」
「地球なんて、この船に乗っていれば見飽きるくらい目に入るだろう?」
 ガイが地球を眺めながらそう返すと、同じように地球を見ていたバスターが言葉を返した。
「まあ……それはそうなんだけどな。レアナがあの晩に言ってたことを思い出してな」
「何を言ったんだよ?」
「地球にはたくさんの敵がいるんだろうってさ……それを不安がってたんだ。俺はその場では怖がる必要なんてないって否定したんだが、レアナの言葉を思い出したら、確かにそうだなって思ってさ。ここから見える景色は一年前から変わらないのによ……って、おい! なんでまた笑うんだよ!?」
 ガイがハハッと声をあげて笑ったのを見て、バスターはまた慌てたように声をあげた。
「悪かった、悪かった。レアナと同じことをお前が言うもんだからよ」
「……レアナと?」
 意外そうな表情を浮かべたバスターに対し、ガイは笑いを収めると、先刻のバスターと同じように、親指で窓の外の地球を差した。
「そうだぜ。お前達って全然正反対に見えるけど、案外、似てるところがあるのかもな」
「俺とレアナが……? おいおい、俺はあいつみたいに子供っぽくなんかねえぞ。それに……あいつは俺みたいにうす汚れてなんていないしな……」
 バスターがどこか自嘲するようにそう言ったため、ガイは両腕を組むと、一転したように真面目な顔をして言った。
「お前はうす汚れてるとかじゃなくて、人生経験が豊富なんだろ? 俺様と2歳しか違わないのによ。それに、似てるところがあるから、レアナもお前になついたんじゃねえの? あいつ、確かに子供っぽいけど、本当にうす汚れたような悪い奴にはなつかないと思うぜ?」
「……そうか?」
 普段は自分より大人びた態度を取るバスターが子供のように――そう、まるでレアナのように尋ねてきたため、ガイは自分が見慣れた日常のバスターの姿とのギャップに戸惑ったが、その戸惑いを隠すように咳払いをした。
「そうだって。子供はいい奴と悪い奴の違いに敏感だって言うだろ? レアナは子供っぽいけど、だからそういう感覚も子供と同じように敏感なんじゃねえのか?」
「……なら、いいんだけどな」
「いつもの自信たっぷりのバスター様はどこに行ったんだよ?」
「からかうなよな、まったく」
 そう返したバスターの顔には、見慣れた余裕のある笑みが浮かんでいたため、ガイはどこか安心した。
「悪かったって。けど、いつものお前に戻ったみたいで良かったぜ。あんな自信をどっかに捨ててきちまったようなバスターなんて、気味悪いからな」
「俺は自信をそう簡単に投げ捨てたりしないぜ?」
 そう言ったバスターの口元には、いつもの彼らしい自信ありげな笑みがあった。バスターの様子にすっかり安心したガイもまた、いつもの彼らしく軽口を叩いた。
「なら良かったぜ。じゃあ、早くレアナのところに戻ってやれよ。また寂しがってるかもしれねえだろ?」
「もちろんだ。レアナをまた泣かせるわけにはいかねえしな」
 バスターも軽口で答え、さっきまでこの場を支配していたしんみりとしたような空気はどこかに吹き飛んでいた。
「へえ〜、『また』ってことは、前には泣かせたことあるんだな?」
「そうそう泣かせてるわけねえよ。ただ、あいつは泣き虫だから……って、何言わせるんだよ!? まったく……」
 バスターはそう言うと、自室へ向かおうと踵を返した。ちょうどガイとすれ違う形になったが、すれ違った瞬間、バスターは前を向いたまま、小さな声で呟くように口を開いた。
「……レアナがここで不安がってたとき、元気づけてくれたんだろう? あいつから聞いてるぜ……ありがとうな」
 思いがけない言葉にガイが驚いて振り向くと、バスターは相変わらず前を向いたままだったが、右腕を上げてこちらに向けて手を振っていた。
 そんなバスターに対し、ガイはバスターからは見えないと分かっていても、自然と笑ってサムズアップを返していた。そして、バスターがレアナをどれだけ大事に思っているのかを、改めて知ったように感じた。
「……あいつ、いつもは大人ぶってひねくれてるくせに、変なところで素直だよな」
 一人でそう呟くと、ガイは片手の空のボトルを持ち直し、くるりと足を食堂のほうへ向けた。大股でせわしなく歩きながら、ガイはバスターとレアナの幸福な姿を自然と思った。この一年間で家族同然の存在になっていた二人の幸福は、まるで自分にとっても幸福であるように、ガイは無意識に感じていた。
 窓から見える地球は依然として変わらず、青く美しく輝いていた――。



あとがき


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