[愛しき魂]


 久しぶりに座ったシルバーガン一号機のコクピット。その座り心地を味わうかのように、胸に手を当て、目を瞑る。忘れられない、忘れもしない一年前の戦いが脳裏をかすめた。
「バスター? そこにいるの?」
 自分を探す声に反応して目を開くと、非常灯だけが点った格納庫の中に、声の主をかろうじて見つけた。
「レアナか?」
 声だけで誰かは分かりきっていたが、そう応える。当のレアナが安心したようにため息をつき、一号機のそばへ駆け寄って来た。バスターは開いたままのコクピットから心持ち身を乗り出した。
「どうした?」
「どうしたって……こんなに遅くなってもバスターが部屋に帰ってこないから……」
 バスター自身はまだパイロットスーツを着たままだったが、そばに寄って来たレアナの姿を見てみると、パイロットスーツではなく、既にパジャマに着替えていた。パジャマ姿で室内用スリッパを履いているだけのその格好は、自室では見慣れているものの、この格納庫では新鮮に見えた。
「もうそんな時間なのか?」
 コクピットの昇降口に足をかけたレアナに手を貸しながら、バスターは尋ねた。バスターの手に掴まってコクピットに上ったレアナは、ふうと息をついて答えた。
「うん。もう夜の9時、すぎてるよ」
 広くないコクピット内で身を小さくするように立っているレアナを見て、バスターは自分の膝をポンと叩いた。
「おい、いいぜ。座れよ」
「え?……いいの?」
「お前、前にも座ったこと、あるじゃねえか」
 そう言ってバスターが笑うと、レアナもつられて笑った。
「そうだね。じゃ……」
 両足を開いて座っているバスターの膝の間に、ちょこんとレアナは腰を下ろした。必然的にお互いの体が近づいたが、レアナは更にバスターの胸に身を寄せた。
「あったかい……」
「ここは温度設定も他の部屋より低く設定されてるしな。それに、そんな格好のまま出てくるからだろ。カーディガンくらい着てこいよ」
「だって」
 バスターが戻ってこないからだよ、そう続けてレアナは顔を上げた。少し頬をふくらませたその表情が可愛らしく、バスターは笑ってレアナの頭を撫でた。
「悪りぃ。心配かけちまったな」
「こんな夜中に、こんなところで何してたの?」
 バスターは黙ったまま答えず、上方を見上げた。レアナもまたそれ以上は追求せず、そんなバスターを見つめていたが、不意にバスターが口を開いた。
「……昔観た、古い古い映画でさ」
 そう言いながら遠くを見つめたまま、バスターは言葉を続けた。
「……ひとりの男が戦争から帰ってくるんだ。そして普通に生活を続けて……でも、最後に男は本当のことを知るんだ。自分は本当は最前線で死んでいて、戻ってからの生活は、全て自分が死ぬ直前に見た夢だったんだって……」
 そこまで話すと、バスターは視線をレアナに移した。レアナはきょとんとした様子だったが、静かに話を聞いていた。
「俺も……ひょっとしたら、そうなのかもな。本当は一年前に死んでいて、今ここにいる俺は夢なんじゃないか……ってさ」
 バスターは自嘲的に笑った。その傍らで、話を聞き終えたレアナは少しうつむいていた。だが、次に顔を上げた途端に、レアナはバスターに抱きついた。予想もしなかったレアナの反応に、バスターは戸惑った。
「!?……お、おい、レアナ?」
 レアナは黙って抱きついたままだったが、その少しの沈黙の後、ゆっくりと言葉を発した。
「……バスターは」
「え?」
「バスターは、ここにいるじゃない。あったかい体を持ってるじゃない」
「……」
「それに……」
「それに?」
「あたしとこうしてここにいることも夢なの? この一年間、一緒だったこともぜんぶ夢? そんな……そんなことないよ! あたしの中にはちゃんとバスターとの思い出があるもの。たくさんあるもの……!」
「レアナ……」
 レアナの声は後半は涙声だった。バスターはレアナの肩に触れようと一瞬、手を伸ばしたが、何かに止められたように思いとどまり、拳をぐっと握った。
「悪かった。冗談のつもりだったのによ」
「冗談でも、そんなこと言わないで……ね?」
 バスターから身を離したレアナは、まるで子供を諭すかのように言った。その瞳には涙の粒が光っており、今にもこぼれ落ちそうだった。
 バスターの中ではレアナにそんな思いを味わわせてしまった後悔と、母親に怒られたような罪悪感とがないまぜになっていた。バスターは先ほどは一度は躊躇した掌を開き、レアナの肩を抱いた。レアナはそれに抵抗する様子もなく、バスターの胸に寄りかかった。その反動で不安定だった涙がレアナの瞳からこぼれたが、バスターは指先で拭い取ってやった。
「わかった……だからもう泣くなよ? な?」
「うん……」
 レアナはパジャマの袖で目をごしごしとこすり、バスターを見上げた。目元は少し赤く腫れて潤んでいた。
 その視線に吸い込まれるように、バスターはレアナの目じりに口づけた後、そのまま唇を重ねていた。泣いたためからか、レアナの唇は目元と同じように熱を帯びていて、その熱は重なった唇を通ってバスターにも伝わっていた。
 バスターが唇を離すと、レアナの顔は心なしか赤くなっていた。バスターの行動に逆らいはしなかったものの、やはり恥じらいは覚えていたようだった。
「バスターの……」
「え? なんだ?」
「……いじわる。急にこんなことしても、あたしがなんにもできないの知ってるくせに……」
 今や傍目にもわかるくらい顔を真っ赤にしたレアナは、バスターのパイロットスーツのジャケットをぎゅっと握った。だが、レアナがただ単に怒っているというわけではないことは確かだった。バスターはそんなレアナを一層いとおしく思い、顔のすぐそばまで近づいた彼女の髪を、梳くように撫でた。切りそろえられた絹糸のような細い髪がサラサラと流れ、その様子を眺めながら、バスターは悪戯っぽく笑った。
「今頃わかったのか? 意地悪なんだぜ、俺は」
「もう……! またそんなことばっかり言って」
 レアナは寄りかかったまま、くすっと笑った。「しょうがないんだから」、そんな風にでも言っているような笑いだった。
「泣いてたカラスが笑ったな」
 バスターが相変わらず笑ったままそう言うと、レアナは口をとがらせて反論した。
「泣いちゃったのはバスターが急に怖いこと言い出したからじゃない。もう忘れたの?」
「ああ、そうだっけな。あれは悪かったよ」
「反省した?」
「してるとも」
「本当に?」
「本当だとも。この目を見ろよ」
 バスターはレアナをじっと見つめ、レアナもまたバスターを見つめ返した。しばらく二人はそのままだったが、やがてお互い、吹き出すように笑いが漏れた。
「バスターはウソつくのうまいもん。ほんとかなあ」
「俺が? そんなことねえぜ」
「子供のころだってウソついてたじゃない。あたしと一緒だったとき」
「あー……あれはなあ」
 少し困ったバスターの様子に、レアナはさらに笑った。
「でもあれは『ついてもいいウソ』だったんだよね? あたしが怒られないようにって……だから見逃してあげる……ありがとう」
 レアナの素直な言葉に、バスターは照れくさい気分になり、その顔はいつもクールで飄々としている彼にしてはめずらしく、うっすらと赤くなっていた。
「いや、まあな……ああいうときはかばうもんだろ?」
「あたしが年下だから?」
「いや、そういうことじゃなくってよ……お前はその、放っとけないところがあるからな」
「あたしが?」
「ああ。あの頃も。それに今もな」
 バスターはレアナを改めて見つめ直した。口元は笑っていたが、そのまなざしは真剣なものだった。レアナもまた相手のまなざしに吸い込まれそうになりながら、問いかけた。
「……今も? だからバスターはあたしにやさしいの?」
「そうだな。でもいちばんの理由は……」
「理由は?」
「これだよ」
 バスターは素早くレアナを抱き寄せると、またその唇を自分の唇で軽く塞いだ。バスターが顔を離すと、レアナはまたも顔を赤くしていた。まさかバスターがまたこういう行動を取るとは全く思っていなかったようだった。
「これが理由だよ。わかっただろう?」
 バスターがあっけらかんと言うと、レアナは自分の唇を押さえながら、こくりと頷いた。
「……バスターったら……!」
「いちばんわかりやすいと思ったからよ。実際、そうだったろう?」
「……うん」
 レアナは赤い顔のまま短く返答し、バスターはそんなレアナの頭を優しく撫でた。格納庫の低い室温のせいか、その髪の毛は心なしか先ほどよりも冷えていた。
「さてと……部屋に戻るか? お前、そんな格好だから余計にここは寒いだろうし、そのせいで風邪でも引いたら厄介だしな」
「え……うん。でも平気。バスターが一緒だから」
 そうしてレアナはバスターに寄り添い、目を閉じた。
「もう少しだけ……こうしていてもいい?」
 バスターは自分に体を寄せるレアナを両腕で抱くと、自らも瞳を閉じた。
「そうだな……あと少しな」
 そう呟くと、バスターは腕の中の少女をいっそう強く抱きしめた。パジャマ越しにレアナの体温が伝わってくるように思えた。その体温の持ち主であるレアナは、確かに幻ではなかった。バスターにとって、この世で何よりも愛しい魂だった。



あとがき


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