[HOT&COLD]
「ひつじがひゃくにゅういっぴーき、ひゃくにゅじゅうにひーき……だめ、ねむれないや……」
レアナは枕元のライトを点けると、がばりと起き上がりため息をついた。
「なんでかなあ……昼間、ちょっとお昼寝しちゃったのが悪かったのかなあ」
ベッド脇の時計に目をやると、既に意味をなくしたともいえる連邦標準時で午後11時を回っていた。普段の彼女なら、午後9時を過ぎるともう眠くなってくるほど安眠するタイプなのだが、どうしたことか、この晩は眠りに就くことが出来なかった。
「ちょっと艦内のお散歩でもして来ようかなあ……」
レアナは独り、そう呟くと、室内用のスリッパを履き、パジャマの上に上着を引っ掛けた。艦内は清掃も空調も行き届いているので、これで充分だと判断しての格好だった。
自室の扉を開けると、眼前の通路に据え付けられた窓から見える星々が目に入ってきた。思わず窓に手と顔を張りつけるようにそれらの星々を眺めながら、レアナは誰に言うでもなく言葉をこぼした。
「地球に降りられなくなってからもう半年かあ……あたし達、そんなに長い間、こんな空の上に取り残されちゃってるんだ……」
ため息をついて踵を返すと、シュッと扉が開く静かな音が聞こえた。誰かまだ起きているのか?そう疑問を覚えて眼前に目をやると、レアナの部屋の隣の扉――即ちバスターの部屋の扉が開いており、そこには部屋の主であるバスターが立っていた。
「レアナ?何してるんだ、お前?」
「あたし、眠れなくて……バスターこそどうしたの?夜中にそんな格好しちゃって」
バスターは下半身はいつものパイロットスーツを履いていたが、上半身は上着を脱いでアンダースーツのみという姿だった。片手にはタオルまで持っている。タオルを持っていないほうの手で髪を掻き揚げながら、バスターはレアナの問いに答えた。
「なんか眠れなくってよ。ちょっとトレーニングルームで運動でもしてこようかと思ったんだよ。眠れないってんなら、俺と一緒だな」
「そうだね」
レアナはクスクスと笑いながら答えた。
「でも、こんな夜中に運動することもないじゃない。明日、疲れちゃうよ?」
「俺は鍛えてるからな、これぐらいじゃどうってことねえよ」
「がんばり屋さんなんだね、バスターは」
レアナに釣られる様に笑っていたバスターだったが、その言葉にかあっと顔を赤くした。
「お、お前、何言い出すんだよ!俺は別に……」
「あたし……もしかして何か悪いこと言っちゃったの?だとしたら……ごめんね」
レアナはばつの悪そうな顔をし、ぺこりと頭を下げた。その様に、ますますバスターは慌てた口調で反論した。
「ち、違うって!そんなんじゃねえよ!」
「ほんとう?」
「本当だって!」
「なら……よかったあ」
レアナは頭を上げ、安堵のため息をつくとにっこりと笑った。バスターは逆にばつの悪そうな様子で、視線を上に向けていた。
「じゃあ、がんばってね。よく寝れればいいね」
「ああ、お前もな」
それから30分ほどが経過した頃だろうか。トレーニングルームで多少の汗を流したバスターだったが、眠りは彼の体に降りてきてくれなかった。
「しゃーねーなー……今夜は諦めるか」
バスターが独り言を呟いたとき、入り口付近から少女の声が聞こえた。
「あ、よかった。バスター、まだいてくれて」
「レアナ?どうしたんだ?散歩に出たんじゃなかったのか?」
「うん。でも、やっぱり寝れなくて……それで、バスター、運動してのどが渇いてないかなって思って飲み物持ってきたの。これで……スポーツドリンクでいい?あと、寒いかもって思ってガウンも持ってきたんだけど…あたしのじゃバスターには小さいかもしれないね……ごめんね」
見れば、レアナの両手にはそれぞれホットレモンの入ったカップと、スポーツドリンクの入ったグラスがあり、肩には先ほどの上着に加えてガウンを引っ掛けていた。
「サンキュ。ありがたく頂くよ。ガウンも別にきっちり着るわけじゃないんだからそれでじゅうぶんだよ。けど、お前、ココアとかホットレモンとか、そういうのばっかりしか飲まないのな」
からかうような調子でバスターが笑うと、レアナは多少、頬を膨らませて反論した。
「だって、あたし、コーヒーはあんまり好きじゃないもん。お腹にだって良くないし……紅茶はお砂糖とミルクがたくさん入ってるやつなら好きだけど……それに、夜にコーヒーや紅茶を飲んだら、ますます眠れなくなっちゃうじゃない」
「悪りぃ、悪りぃ。確かにそうだよな」
バスターはレアナから借りたガウンを引っ掛け、スポーツドリンクの入ったグラスの中身を一気にぐっと流しこんだ。それは適度に冷えていて、運動して火照った体には心地良かった。
「でも、こういうスポーツドリンクでもコーヒーでも、案外たくさん積みこんであったんだね。ちょっとびっくりしちゃった」
「宇宙でのこんな密閉空間での限られた生活にはバリエーションが必要なんだよ。何度も過去に起こった悲惨な事件で連邦軍は学んだんだ。こうして結構いろんな飲み物や食べ物を積みこんだり、出来る限りの娯楽や設備を整える必要性があるってことをな。もっとも、食べ物に関しちゃ、今の俺達には規制がかかってるけどな」
「そうなんだ……でも、そのおかげであたしたち、こうして衛星軌道上にこんなにも長くいられるんだね……」
レアナは真剣な、それでいてどこか沈んだ表情を浮かべた。両手に抱えこむように持ったホットレモンのカップからは温かな湯気が立っていた。
「ねえ、バスター……地球にはもう……誰も生き残ってないんだよね……?」
藪から棒な質問にバスターは面食らったが、努めて冷静な口調で答え返した。
「多分……俺達と同じように連邦軍の援護に回ったPENTAが衛星軌道上に退避しているっていう様子もないし……俺達だけだろうな、きっと……」
「そうだろうね……」
少しの沈黙の間、レアナは突然バスターの腕に体を寄せてきた。心なしか、その体は震えているようだった。
「ごめんね、ごめんね……泣いたって仕方ないのに……泣いたらバスターが困るだけなのに……泣いてもお父さんやお母さんや先生達に会えるわけじゃないのに……ごめんね……」
ひっくひっくとレアナは泣きじゃくっていた。傍らに置いたホットレモンは既に冷えかけていた。バスターはそっとレアナの髪を梳くように撫でてやりながら、レアナを傍に抱き寄せ、ガウンの中に入れてやった。
「泣きたいときは泣けばいいんだ。それにお前、ずっと俺達の前では我慢してたんだろう?だから……思いっきり泣けよ。謝る必要だってないんだからな」
「ありがとう……バスター……」
レアナはかろうじてそう呟くと、しゃくりあげるように泣き続けた。抱き寄せ、髪を撫でてやることしか出来ない自分がバスターにはもどかしかった。
「……でも、バスターもガイも、元にもどってくれてよかった……嬉しかった……ふたりとも、あの時のすぐ後はすごく落ちこんでて……あたし、何もしてあげること出来なかったもの……」
ひとしきり泣き終えたのか、レアナは目元を拭いながらそう呟いた。
「バスター、お友達とか……お父さんとか……死んじゃって悲しかったんでしょ?」
「俺は……」
レアナの髪に指を絡ませたまま、バスターは言葉を詰まらせた。しかし、意を決したように再び口を開いた。
「俺は……友人や親が死んで悲しかったんじゃないと思う。ただ……人間が突然みんないなくなっちまった……そのことが信じられなかっただけなんだと思う……俺は……冷血な奴だから……」
「バスターは冷たくなんかないよ!」
レアナはその言葉と同時に、決してバスターを離すまいとするかのようにバスターの体に腕を回して抱きついてきた。バスターは突然のレアナの行為に、ただただ戸惑っていた。
「お……おい、離せよ。苦しいだろ」
「やだ!バスターが自分は冷たくなんかないって言い直すまで、絶対に離れない!バスターは……バスターは……冷たくなんかないもん!!」
レアナは泣き声でそう叫び、ぎゅっとバスターの体に手を回したまま離れようとはしなかった。
どれだけの時間が過ぎただろうか。レアナのしゃくりあげる泣き声が再び収まった頃、バスターは重たい口を開いた。
「……子供の頃に聞いたことがある。人間は楽しいことと辛いことがあったら、楽しいことの数倍も辛いことのほうを覚えているって……だから、俺は悪友や同僚との思い出なんかでも、あのときのショックで楽しいことを忘れてしまっているのかもしれない。だから、自分は「冷血」だって思ったのかもしれない……」
バスターの言葉を受けたレアナは、片手を離して目元を拭うと、バスターの胸に寄りかかるようにして呟いた。
「……ね?バスターは冷たくなんかないんだよ……?ただ、あんなことがあったから楽しいことも何もかも忘れちゃっただけなんだよ。呆然としちゃっただけなんだよ。ね?」
「そう……かもな」
「そうだよ!バスターは冷たくなんかないよ。あたしが「証人」なんだからね?」
再びレアナの髪を撫でると、バスターは小さな声でそっと答えた。
「……ありがとな、レアナ……さてと……もう、休むか。眠れなくても横になっているだけで、随分違うもんだしな」
「うん……」
バスターは飲み物が入っていた2つの容器を片手で器用に持って立ち上がり、レアナもそれに続いた。
グラスとカップをキッチンルームに返却してからそれぞれの自室の前に来たとき、不意にレアナが口を開いた。
「あ……待って、バスター。いいもの、持ってきてあげるから」
そう言って自室に入ると、1分もせずにレアナは戻ってきた。ただし、その両腕にはネコのぬいぐるみが収まっていた。
「この子……今日だけ、特別に貸してあげる。ちょっと古いけど、きれいだからね。あのね、この子と一緒に寝ると、怖い夢を見ないし、もし怖い夢を見ちゃっても、すぐに楽しい夢に変えてくれるの……ホントだよ?」
そう言いながら、レアナはバスターにネコのぬいぐるみを差し出した。かなり年季が入ったものらしく、色も褪せていたが、手入れがいいのか、ほころんだりした部分はどこにもなかった。若干の笑いを漏らしながら、バスターはネコを片手で丁寧に持った。
「ありがとよ。今晩はこいつに守ってもらうからな……でも、いいのか?お前のほうが怖い夢を見ちまうかもしれないんだぞ?」
「だいじょうぶだよ、あたしは。今日は、バスターに思いっきりわがまま言っちゃってすっきりしたし……ごめんね。バスターの力だったら、あたしなんかすぐに引き剥がせたはずなのに……やっぱり、バスターはやさしいね」
「そそそ、そんなことねーよ!ただ、そんなことするのが面倒だっただけだからな」
顔を赤くし、照れ隠しのようにバスターはぬいぐるみを手持ち無沙汰にした。その様子に、レアナはクスッと笑った。
「それにね、もしあたしが今日、怖い夢を見ても、その子がバスターを連れてきて助けに来てくれるよ。だから、だいじょうぶ……おやすみなさい」
レアナはそう言い残すと、バスターの隣の部屋である自室に入っていった。バスターは両手で抱えたぬいぐるみのネコの顔をじっと見つめながら、まるで話しかけるように呟いた。
「お前のご主人様は、本当にいいやつだよ……優しいやつだよ。お前、幸せものだぞ?」
やがてバスターも自室に戻り、ぬいぐるみをベッド脇に置いて横になった。不思議なことに、「眠れない」という辛さはもうなくなっていた。半分眠りにつきながら、バスターは脇にあるネコのぬいぐるみの頭を撫でた。
「ありがとよ……お前も、お前のご主人様も……怖い夢を見たら、すぐにこいつと一緒に追いついて追っ払ってやるからな。安心しろよ、レアナ……」
深夜のTETRA内に再び静寂が戻った。流れゆくように見える星々が、TETRAの周りを囲んでいた。
あとがき
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