[その瞳に映る想い]


 夜もかなり更けた頃、日課の筋力トレーニングを終えたバスターが自室に戻ってくると、いつのもようにベッドの上には、もはやこの部屋のもう一人の主となった少女の姿が見えた。
「レアナ? 寝てるのか?」
 そう言いながらバスターが横になっているレアナの顔を覗きこむと、パジャマ姿のレアナは静かに寝息を立てていた。枕元にはタブレットが電源を入れたまま置いてあり、賑やかな記事が画面に映し出されていた。バスターはブランケットをそっとレアナの体にかけると、そのまま静かにシャワールームへと歩いていった。

 バスターがパジャマのズボンだけを履いてタオルで頭を拭きながらシャワールームから出てくると、レアナがぺたんとベッドの上に座り込み、起きたばかりなのか眠そうに目をこすっていた。
「起きてたのか。もしかしてシャワーの音がうるさかったか?」
「ううん。確かにシャワーの音には気づいたけど、バスターを待っている間にうたた寝しちゃっただけだし。バスターこそお疲れ様。筋トレ、毎日大変でしょ?」
「そりゃあお前がこなしているメニューよりはずっと体への負荷も高いけど、俺は軍人なんだしな。体が資本みたいなもんなんだから、仕方ねえさ」
 レアナも戦闘機パイロットであり軍に所属している一応の軍人だが、バスターは特殊な環境下で育てられたレアナを一般の軍人と同じようには見ていなかったし扱っていなかった。それにレアナが日々、筋力低下防止のために行っているトレーニングメニューはバスターやガイがこなしているそれとは比較にならないほど軽いものだったから、このTETRAの責任者であるテンガイ艦長もバスターと似たように考えているのかもしれなかった。
「それより、タブレットで何を見てたんだ? なんだかずいぶんと賑やかな記事に見えたが」
「あ、これ? 女の子向け雑誌の記事だよ。クリエイタに前にこういうのって何が面白いのかな?って聞いたら、こういう雑誌が若い女性向けだから読んでみたらって言ってくれたの」
 そう言ってレアナがタブレットを持ってベッドの腰かけると、バスターもすぐ隣に腰を下ろした。レアナが持っているタブレットは福利厚生の一環で軍から支給されているもので、特にこのTETRAのような密閉空間での任務に兵士が就く場合は、雑誌や書籍の類をダウンロードする際にかかる費用も軍持ちとなり、兵士らは無料で幾らでも読むことが出来た。
「バスターも見てみる?」
 そう言うとレアナはタブレットの画面をバスターのほうへ向けた。バスターはタブレットを受け取ると、画面をスライドさせてざっと目を通した。レアナが言ったように女性向けのファッションやスイーツ、それにレアナの趣味であるぬいぐるみといったアイテムが取り上げられた情報雑誌のバックナンバーが内容のほとんどだったが、それらの最後の号は、当たり前だが昨年――2520年の7月で止まっていた。
「カラフルだけど、俺とは無縁の世界だな。でもこれだけたくさん読んでるってことは、お前の好みに合ったのか?」
 タブレットを返しながらバスターが尋ねると、レアナはこくりと頷いた。
「うん。可愛いお洋服やぬいぐるみや美味しそうなお菓子って、見てるだけでなんだかいいなあって思えるし。ねえ、あたし、ここに載ってるザッハトルテって食べてみたいな。こっちのベリーベリーケーキもおいしそう。ねえねえ、バスターはどれが食べたい?」
 レアナが色とりどりのスイーツが並ぶページを見せると、バスターは苦笑しながら答えた。
「俺は甘さ控えめなほうが好きだな。あんまり甘すぎると歯がきしんじまう」
「でもきらいなわけじゃないでしょ?」
 小首をかしげたレアナに尋ねられると、バスターは少し照れたように頭をかいた。
「まあ……そりゃそうだな」
 バスターの返答を聞いたレアナはにこっと笑い、再び視線をタブレットに移した。
「お菓子って見た目もきれいだしおいしいもんね。あ、このイチゴと生クリームのクレープもいいなあ。クレープって食べたことないもん」
 レアナの言葉を聞いたバスターは、意外そうな顔でレアナを見た。
「クレープも食べたことないのか?」
 バスターの問いかけに、レアナはまた素直に頷いた。
「うん。ひとりじゃ勝手に出かけられなかったしね。それに、ちゃんと勉強もしないで外に出て余計な知識を知ったりしたら、優秀なパイロットになれないって先生達に言われてたし」
「……そうか」
 何が優秀なパイロットだとバスターは心の中で憤慨していた。お前達はレアナを「純粋なパイロットを育成する」という名目で彼女をモルモットのように扱っていたのだろうと、レアナが育った軍関係施設の研究者達に反論してやりたい思いだった。
「バスター? どうしたの、急に怖い顔して」
 レアナの声にバスターが我に返ると、レアナが心配そうな表情でバスターの顔を覗きこんでいた。
「あ、ああ……いや、別になんでもないさ」
 バスターは平静を装って返したが、やはり一度沸き上がった憤りはそう簡単には収まらなかった。後方支援としてはもちろん、レアナのような前線にも立つ女性軍人はさしてめずらしくない。だが、一般に軍人として働く彼女らとレアナには大きな違いがあった。彼女らのほとんどは自ら望んでその立場を選んだのだが、レアナは物心がようやくついたような時期に軍の「所有物」となったのだ。親を奪われ、戸籍さえも抹消されて。それを考えると、バスターはやり切れない思いを抱えていた。
「お前だって……」
「え?」
「お前だって軍に保護なんてされずに普通の一般人の暮らしをしていれば、同じ年頃の女みたいに色んなことを知って暮らせただろうに。それこそ自由にケーキやクレープだって食べたり、ウィンドウショッピングをしたりな」
 そこまで言うとバスターはぎゅっと膝の上の拳を握った。バスター自身は自由気ままに生きてきたが、そのぶん人間の汚い部分を嫌と言うほど見てきた。だが、バスターとは全く逆の環境だと言える鳥かごの鳥として育てられたレアナは自分以上に不幸だったのではないか、そんな思いを巡らせながら、バスターは言葉を絞り出すように続けた。
「行き場を失くして軍に保護されたばっかりに、偏った教育をされて挙句にこんな状況で生きることになっちまって。お前は実験動物なんかじゃねえのに」
 そこまで言うと耐えきれなくなったのか、バスターはレアナの肩を抱いて引き寄せて抱きしめた。バスターの急な行動にレアナは少しうろたえたが、バスターが自分のことを思ってのことだと悟ると、自らもバスターの胸に寄り添った。
 どれほどの時間が経った頃か、レアナはバスターの胸に手を当ててほんの少し、体を引き離すと、バスターの顔を正面から見つめた。
「ね、バスター……そんな顔しないで」
 バスターがレアナを見つめ返すと、レアナは微笑んでいた。
「普通の女の子の暮らしってあたしにはよく分からないけど……あたしは今まで生かしてきてもらった人生……なんて、あたしの年じゃまだ大げさかな。とにかく、それをイヤだって思ったことはないよ」
「レアナ……」
「それに……もしあたしが軍に保護されていなくて別の暮らしをしてたら、今ここにこうしていなかったんだよ? バスターとも出会えなかったんだよ?」
 レアナに諭されて、バスターは当たり前のことに今更だったが気づいた。レアナが悲しい過去を背負わなければ、彼女は今こうして自分の腕の中にはいなかったのだということに。それは自明の理だったが、それでも、バスターは割り切れなかった。
「けど……お前はそれでいいのか?」
「いいも何も……あたし、施設で育てられてTETRAに配属されて、本当によかったって思ってるよ。確かにこんな状況ってすごく特殊だとは思うけど……TETRAのみんなは家族みたいに思えるもん」
 レアナはバスターの紫色の瞳を見つめ、慈愛に満ちた笑みを浮かべた。
「バスターとも……こんな風にいっしょにいられること、すごくうれしいもん。バスターに出会えたこと……今まで生きてきた中で……いちばん幸せだと思えるの」
 優しい笑みを浮かべたまま、レアナは更に言葉を続けた。
「あたしはもしかして……バスターに出会うために生まれてきたのかもね。もしそうだったらって思うと……胸がいっぱいになるし、あたしが生まれてきた意味を見つけられたんだなあって……そんな風に思えるもの」
 レアナはバスターの背中に腕を回し、ぽんぽんと子供をあやすように背中を叩いた。バスターはしばしの間、そうされるがままになっていたが、やがてレアナの頬に手をやり、もう一度、彼女の顔を見つめた。レアナの青い瞳には、バスターの顔が映りこんでいた。
「レアナ……すまなかった」
「だからバスターは謝ったりしないで。バスターはあたしのことを大事に思ってくれたから、そんな風に考え込んじゃったんでしょ? それは謝られたりすることじゃないよ。あたし、うれしいよ……」
 二人はじっと見つめ合っていたが、そのうちに自然と唇を重ねていた。バスターはレアナの華奢な体を抱きしめ、レアナはバスターの首に腕を絡めていた。そうやってお互いの唇の温度と感触を味わった後、バスターは唇をそっと離すと、レアナの髪を愛おしそうに撫でた。その瞳に幸福も不幸も全て映しながらも穢れることがなかった無垢な魂ごと、レアナの細い体を抱く腕に強く力を込めながら。
「俺もだ……俺も、お前に出会えたこと、そしてお前がこの腕の中にいること、それが俺の今までの人生の中で一番の幸福だ……。俺も……レアナ、お前に出会うために生まれてきたのかもしれないな……」
「バスター……」
「な、もう少し……こうしていてもいいか?」
 バスターの言葉に、レアナはクスッと笑ったが、すぐに優しい笑みを浮かべ、より一層、バスターに自分の体を密着させた。
「もう、子供みたいだよ、バスターってば……でも……全然かまわないよ。あたしも……おんなじように思ってるもん」
「レアナ……」
「バスター……大好きだよ……」
 二人は固く抱き合い、1ミリも離れようとはしなかった。バスターもレアナも、お互いの鼓動を感じられる幸福に心の底から浸っていた――。



あとがき


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