[掌のうさぎ]


 ニコニコと口元に笑みを浮かべながら、レアナは夕食の準備をするクリエイタを手伝っていた。
 レアナが上機嫌な理由は調理台の上に置かれた二つの赤い果物だった。それはクリエイタと一緒に食料庫の在庫を整理しているときに見つけた、完全真空保存されていたリンゴだった。
 食料の長期保存技術が発達した26世紀でも、衛星軌道上に長期間取り残されている今のTETRAクルー達が置かれたような状況においては、新鮮な食物は貴重だった。そんな折にレアナは偶然に、そして幸運にも、積み込んであった真空保存リンゴの残りを見つけ、テンガイに申し出てそれらのリンゴをその日の夕食に出す許可をもらった。ささやかな贅沢とは言え、食事で新鮮な果物を出せることが、レアナは嬉しかった。
「どうしたんだ、レアナ。上機嫌みてえだけど」
 聞き慣れた声にレアナが振り返ると、バスターが調理室の入り口に立っていた。
「あ、バスター。あのね、これを見て」
 レアナはそう言うと嬉しそうに二つのリンゴを手に取ってバスターの前に差し出した。
「リンゴ……? へえ、こんな新鮮なのがまだ残ってたんだな。そりゃお前が嬉しそうなのも無理ないな」
「でしょう?」
 レアナに釣られるようにバスターも笑い、レアナはますます嬉しそうに表情を崩した。リンゴを元の調理台の上に置くと、レアナは食事の支度をしているクリエイタのほうへ身を翻したが、その際にバスターに一言、添えた。
「つまみ食いしちゃダメなんだからね?」
「そんなことしねえよ」
 バスターは笑ったまま答え、レアナはクリエイタのほうへ手伝いに戻った。バスターはしばらく、何をするでもなくそこにいたが、やがて何かを思いついたような表情になると、刃物類をしまっている棚からナイフを取り出し、調理台に置いてあるリンゴのほうへ近づいていった。
「あれ? バスター、何してるの?」
 レアナの立っている位置からは死角になっている調理台の前に立って何やら手を動かしているバスターにレアナは気づき、とことこと近寄った。そして、そこにちょこんと鎮座していたものに、レアナは感嘆の声をあげた。
「かわいい……! これって、ウサギのリンゴだよね?」
 レアナが言葉にしたとおり、バスターの前の調理台にはウサギの形に細工して切られたリンゴがあった。
「たまにはこういうのもいいかと思ってな。見たことあるだろう?」
 バスターの問いに、レアナは首を振ると少しだけ寂しそうに笑って答えた。
「小さいころに見たことはあるよ。多分、おかあさんが作ってくれたんだと思うけど……よく覚えてないの」
「……そうか」
 バスターがレアナへの配慮が足りなかったとでも言うようにすまなそうな顔をしたため、バスターがそんな顔をする必要はないのだからとレアナはすぐさま思い、表情を取りなして屈託なく笑うと、バスターの腕に引っ張った。
「ねえ、バスター。あたしにも教えて?」
「教える?……ウサギリンゴの作り方か?」
「うん。あたしも作りたいの」
「分かった。そんな難しいものじゃないしな。それじゃあ……」
 バスターは手元に残っていた半分のリンゴを手に取ると、レアナに説明しながら手元を動かし、また新しくウサギリンゴを一つ作った。レアナは真剣な様子でその説明を聞き終わると、まだ手のつけられていないもう一つのリンゴとナイフを手に取った。そして、神妙な顔をしてリンゴを切り分け、細工にかかった。

「……どう、かな?」
 レアナの前の調理台の上には、バスターが作ったものと同じ細工のウサギリンゴが四つあった。レアナが一番初めに切ったものと最後に作ったものとを見比べると、レアナの腕前の上達の課程は明確だった。しかしだからと言って、レアナが最初に細工して切ったものが酷くいびつなわけではなかった。ただ、熟練した腕前のバスターの細工したものと見比べると、レアナが切った四つのウサギリンゴは形がガタついていることは否めないだけだった。それでもバスターはレアナを褒めるように笑い、レアナの髪をくしゃっと撫でた。
「初めてやったんだろう? 上手く出来てる方だと思うぜ」
 バスターはそう言ってくれたが、レアナはバスターが切ったものと自分が切ったものとを改めて見比べてみて、バスターのウサギリンゴに比べて自分のものが不揃いなのは明らかであることを気にしていた。
「でも……」
「それに、お前が一生懸命に作ったものに、ガイも艦長も文句なんか言わねえさ」
「……そうかな?」
「そうだよ。自信を持てって」
 そう言ってレアナの髪をもう一度撫でると、バスターは切ったリンゴを載せる皿を出そうと食器棚のほうへ歩いていった。レアナはもう一度八つのウサギリンゴ――四つはバスターが、残りの四つはレアナが切ったもの――を見比べて、ほうとため息をついた。

 やがて夕食が出来上がり、食卓の席についたレアナの視界に、今夜の貴重なデザートである皿に載ったウサギリンゴが何気なく入ってきた。ちらちらと自分も含めた四人の皿のリンゴを見比べたとき、レアナはふとあることに気づき、隣のバスターの顔を見た。
 四人のそれぞれの皿には四等分したリンゴが二つづつ置かれていたが、それらのウサギリンゴの見栄えの違いにレアナは気づいていた。ガイとテンガイの皿には、それぞれ綺麗に切られたウサギリンゴが一つに、ややガタついてはいるものの見栄えはそれなりに整っているウサギリンゴがやはり一つ。対して、レアナ自身の皿には、明らかにバスターが切った出来のいいウサギリンゴが二つ並んで載っており、それとは逆に、バスターの皿にはレアナの皿のものよりも不揃いなウサギリンゴが、やはり二つ並んで載っていた。
(バスター……これって……)
 レアナはバスターの行為に驚くと同時に胸がいっぱいになった。なぜそんな風に思ったのかはレアナ自身には分からなかった。ただ、レアナがテーブルの下で、右手でそっと隣のバスターの左手の裾を引っ張ると、それに気づいたバスターは、さり気なく左手でレアナの一回り小さな手をぎゅっと握った。そしてレアナの顔をちらっと見ると、バスターはニッと笑った。その笑みを受けたレアナは、はにかむように頬をほんのりと赤く染めていた。
 そんな二人の様子には向かいの席のガイは気づかず、ウサギの形に細工されたリンゴを見て声をあげた。
「お、今日のデザートは妙に可愛いじゃねえか。このウサギのリンゴ、レアナが切ったのか?」
「あ、う、うん。バスターに教えてもらったて、いっしょに作ったの」
 レアナはそう返すと、自分の手を握ってくれているバスターのほうをもう一度、ちらりと見た。バスターは先刻と変わらず、どこか優しげにレアナを見て笑った。
「ああ。俺が最初に剥いてレアナにも教えたんだ。いいだろう? こういうのも」
「へ〜、お前がねえ……」
 含みを持ったようなガイの言葉に、バスターは眉を上げて反論した。
「なんだ? 何か言うことでもあるのか?」
「いや、お前がこういう可愛い細工を知ってて、しかも作れるなんて意外だなって思ったものでさ」
「言ってろよ。俺にもこれくらいのユーモアはあるんだぜ?」
「へいへい……ん? レアナ、どうかしたのか? さっきからバスターのほうばっかり見てるみてえだけど」
「そ、そんなことないよ」
「そうか? なんかバスターもお前を見て笑ってるしよ」
「別にいいだろ、そんなことくらい」
「そ、そうだよ」
 ガイを軽くいなそうとするバスターに合わせたものの、レアナは次は何を言えばいいものかとしどろもどろになりかけていたが、その空気を不意に野太い声が遮った。
「初めて作ったにしてはなかなかの上出来だぞ、レアナ」
 それまで黙って若者達の会話を聞いていたテンガイが、ガイが何かを言う前に口を開いた。それはただレアナの腕前を褒めただけではなく、まるで「野暮なことを聞くな」とガイを牽制しているようでもあった。
 そんなテンガイの意図はガイにしっかり伝わったらしく、何か言いたげだったガイも、それ以上は何も言わなかった。レアナはほっとしてため息をつき、握られたバスターの手をそっと握り返した。バスターも何も言わなかったが、レアナの手を握る手には更に力が込められていた。そうすることでレアナを安心させようとするかのように。

 夕食後、クルーはそれぞれ食後の時間をそのままダイニングルームで過ごしていた。クリエイタが淹れた熱いほうじ茶を飲み終えたテンガイは既に自室へ引き上げていたが、バスターとガイはコーヒーを、レアナは紅茶をゆっくりと味わっていた。クリエイタは食べ終えた食器を洗浄機にセットした後、調理室の後片付けと掃除をしていた。
 やがて、一足先にコーヒーを飲み終えたガイが「ごっそさん」と呟いて空のカップを調理室のほうへ持っていくと、バスターとレアナがダイニングルームに残された。レアナは神妙な顔で、もうほとんど紅茶が残っていないカップの底を見つめていた。横のバスターのほうへ視線を移すと、バスターはまだカップを口に付けていたが、レアナは思い切ってバスターに疑問を尋ねようとした。
「ねえ、バスター……」
「ん? なんだ?」
「あのね、さっきの……」
 そこまでレアナが言いかけたとき、調理室からガイとクリエイタが戻ってきたため、レアナは途中で口をつぐんでしまった。レアナの疑問は到底、バスター本人以外には聞けないことだったから。レアナは黙ったまま立ち上がると、カップを片づけようとガイとクリエイタとは入れ違いに調理室へ入っていった。そんなレアナの後ろ姿を、バスターはじっと見つめていた。

 夜半、バスターの部屋。バスターのベッドの上で、パジャマ姿のレアナは枕に顔をうずめていた。部屋の中にはバスターがシャワーを使う音が小さく響いていた。夕食後にバスターは日課として、大抵はガイと共に、トレーニングルームで軍人としての水準以上の筋力維持のための鍛錬に励んでいる。そのため、バスターが自室に戻ってくるのは夜の半ばであることがほとんどだったので、眠るための身づくろいを終えてパジャマを着たレアナが先にこの部屋で待っていることもまた、二人の間の日課だった。
 シャワーの音が止むと、少ししてからパジャマのズボンを履いたバスターが、バスタオルで濡れた髪の毛をがしがしと拭いながらシャワールームから出てきた。バスタオルを肩にかけ、バスターはベッドの縁に座ると、夕食の準備をしたときと同じように、レアナの髪を優しく撫でた。レアナが顔を上げると、バスターはその仕草と同じように優しげに笑っていた。
「どうした。さっき、何か言いたげだったよな?」
 そのバスターの問いかけに、レアナは身を起こし、バスターのすぐ隣に座った。
「あのね……ウサギのリンゴ、バスターが切ったのとあたしが切ったのを、どうしてあんな風に分けたの?」
 バスターは一瞬、何を聞かれたのか分からないといった顔をしたが、すぐにレアナが聞かんとすることに気づいた。そして、レアナの肩に手を回して彼女の体を抱き寄せた。
「別に……ガイにも艦長にも平等に分けただけさ」
「でも、あたしのお皿にはバスターが切ったリンゴだけのってて、バスターのお皿にはあたしが切ったのだけがのってたよね。それも、いちばん初めに切ったいちばんガタガタしたのと、その次に切ったやっぱりガタガタしたのが……もしかして、気をつかってくれたの?」
「お前に気を遣ったっていうか……俺はただ、自分で切ったやつよりお前が切ったやつを食いたかっただけさ」
「え……でも、じゃあ、あんなガタガタしたのをわざわざ選ばなくても……」
 驚いた様子のレアナに対し、バスターは彼女の体を抱く腕に力を込めて笑った。
「俺から見れば、ちょっとくらい不揃いでも関係ねえよ。他の誰でもないお前が切ったウサギリンゴなんだし。ただ、お前が切ったのを独り占めするわけにもいかねえしな。それに、お前はガタガタって言うけど、艦長はお前の切ったリンゴを褒めてたし、ガイも何も言わなかっただろう?」
「だって、それは……あ……」
 レアナは自分が切ったリンゴのうち、不揃いなものがバスターの皿に、そして比較的出来のいいものがガイとテンガイの皿にあったことで胸がドキリとなった本当の理由をやっと理解した。バスターはガイとテンガイに、レアナの腕前が決して悪いものではないことを示してくれたのだと。そして、「レアナの切ったリンゴなら独り占めしたい」とまでバスターが言ってくれたことが、レアナの心を更に熱くさせていた。
「……やだ、あたし、バスターにもきれいなのを食べてほしかったのに……ごめんなさい、バスター……でも……ありがとう……」
 泣き出してしまったレアナの背中をぽんぽんとあやすように叩くと、バスターはレアナの泣き顔を覗き込んだ。
「言ったろ? 俺はただ、お前が切ったのを一つでも多く食べたかったんだって。出来不出来なんて関係ねえさ」
「バスター……!」
 レアナはバスターの胸にしがみつくように顔を寄せ、ぽろぽろと涙をこぼした。そんなレアナをバスターは優しく抱きしめた。
「ほら、もう泣くなって。な?……ここが俺の部屋でよかったぜ。艦長やクリエイタはともかく、ガイの前だったら、何を言われてからかわれたもんか分かったもんじゃねえからな」
「うん……うん……」
 レアナはバスターが自分をこんなにも大切に想ってくれていることが嬉しくてたまらず、涙が止まらなかった。バスターはそんなレアナの頭を撫でながら、彼女を愛おしそうに抱きしめていた。二人は寄り添い合い、長い時間をそうしていた。バスターもレアナも、お互いをこの世の何よりも大切な存在だと感じ合っていた。
 二人が作ったウサギのリンゴは手のひらに収まる大きさだったが、どんなに湧き出しても決して枯れることはないほど膨大なバスターとレアナがお互いを想う心が、その小さなウサギの中には凝縮されていた。



あとがき


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