[ほの甘い誘い]


 下着一枚に頭にはバスタオルを被った姿で自室の備え付けのシャワールームから出てきたバスターは、自分の部屋がもぬけの殻であることに気づいた。
「あれ?……レアナ?」
 バスターがシャワーを使う前には、確かにこの部屋にはもう一人――レアナがいた。パジャマ姿でベッドの上で、お気に入りのクマのぬいぐるみを抱きながら本を読んでいたはずだった。だが、そのベッドの上にはぬいぐるみと本だけが転がっており、今、この部屋の中には誰もいなかった。
「自分の部屋に忘れ物でも取りに行ったのか……?」
 バスターは独りごちながら、放りっぱなしのぬいぐるみと本を備え付けのライティングデスクの上に戻すと、椅子に置いてあったパジャマのズボンを履いた。そして、バスタオルで髪をがしがしと拭いていると、不意に部屋のドアが開いた。
「あ……バスター。もうシャワー浴び終わったの?」
 声の主は他の誰でもない、レアナだった。髪をあらかた拭き終わったバスターは使い終わったバスタオルを椅子の背にかけると、レアナに声をかけた。
「ああ。ちょうどさっきな。お前こそどこ行ってたんだ?」
「ちょっとのどがかわいたから、飲み物を作ってきたの」
 そう答えたレアナの姿を見ると、先程着ていたのと同じ自分のパジャマを着て、両手で小さめのトレーを持っていた。トレーの上にはマグカップが二つ載っていたが、そのマグカップからは、あったまったミルクの香りと共にスパイスのかぐわしい香りが漂っていた。
「ん? なんかいい匂いだな」
 バスターの言葉に、レアナはニコッと笑った。
「えへへー。今日はちょっと変わったのを入れてみたの。シナモンジンジャーミルクだよ。いくら暑いより涼しいほうがよくても、あんまり体を冷やしちゃダメでしょ? 前にキッチンのレシピノートを検索していて見つけたの」
 どこか嬉しそうなレアナの言葉に、バスターもまた、笑って答えた。
「シナモンにショウガか。どうりでいい香りがするわけだ」
「でしょ? ただ、使ったのが長期保存パック粉ミルクだから、新鮮な牛乳の風味には負けちゃうけどね」
「ま、それは仕方ねえさ」
 バスターのフォローがまた嬉しかったのか、レアナはニコニコしたまま、トレーをベッド脇のミニテーブルに置いた。バスターは上半身は裸のまま、トレーからマグカップを片手で持つと、ベッドに腰を下ろした。レアナも同じようにマグカップを手に取ると、それが当たり前であるかのようにバスターの横に座った。
「ほんと、いい匂いだよね」
「そうだな。きっと味も……うん、美味いぜ。甘すぎないところもいいな」
「本当? よかった。ストッカーからシナモンとショウガをさがしてたらハチミツも見つけたから、お砂糖のかわりにハチミツを入れてみたの。お砂糖も大事に使わないといけないでしょ?」
「へえ……ハチミツか」
 バスターの賞賛の言葉がよほど嬉しかったのか、レアナはバスターのほうを見て変わらずニコニコしていた。そんなレアナの姿がバスターには愛らしく、レアナの肩に手を置くと、優しく声をかけた。
「お前も飲んでみろよ。美味いぜ」
「あ、そうだね」
 バスターの言葉に頷くと、レアナは両手で抱えるように持っていたマグカップを持ち上げて、一口、こくんと飲んだ。
「おいしい! バスター、これ、香りだけじゃなく本当においしいね」
「だろ? うん……美味いな。それに体もあったまるな」
「ポカポカしてくるよね」
「お前にはちょうどいいな。女が体を冷やすのはよくないからな」
「え? そうなの?」
 目をパチクリとさせて自分を見上げるレアナの髪をくしゃっと撫でると、バスターはレアナの疑問に笑って答えた。
「東洋医学の考え方らしいんだけどな。前にお前が風邪を引いた時に、艦長がそう言ってたぜ」
「ふーん……そうなんだ」
 それからバスターとレアナはしばし、無言でミルクを味わった。やがてお互いのカップが空になると、レアナはほうとため息をついた。
「おいしかったね……これ、明日の夕ごはんのときにガイとテンガイ艦長にも出してあげようかなあ」
「ああ、そうしろよ。きっと二人とも喜ぶぜ」
「でも……ゼイタクだって艦長には怒られちゃわないかな……?」
「これくらいの贅沢、艦長は怒ったりしないだろう。美味いだけじゃなくて体を温めるいいものなんだし、そんな小さい器じゃねえさ」
「そうかなあ?」
「そうだぜ。もっとも……」
 バスターはレアナの腰に手を回すと、彼女の体を引き寄せ、それが当たり前のように唇を奪った。思いもかけないバスターの行為にレアナは驚いたものの、やはりそれが自然であるかのように目をつむった。
「……俺にとっちゃ、どんな美味いものもお前の唇にはかなわねえけどな」
 悪戯っぽく笑うバスターを尻目に、レアナは赤い顔をして俯いた。
「バスターったら……もう……」
 それでもレアナがバスターのしたことを本気で嫌がっているわけではないことは、彼女がバスターのそばから離れないことからも明らかだった。
「本当のことなんだから、仕方ねえだろ?」
 持っていたマグカップをトレーに戻しながら、バスターはそう言うと、レアナの手からも空のマグカップを取り上げ、また唇を重ねた。レアナの体に両腕を回し、彼女を離しはしないとでも言うように。レアナもまた、バスターのたくましい裸の胸に両手を置いて体を寄せ、彼にぴったりと寄り添っていた。
 ぼんやりと明るい部屋の中で、二つの人影は一つになっていた。バスターもレアナも、いつまでも、お互いを離そうとはしなかった――。



あとがき


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