[託された祈り]


「ナゴシノハラエ?」
 聞き慣れない単語を耳にしたレアナが、意味も分からないまま、その言葉を復唱した。
「なんだよ、それ。艦長、どういう意味だよ?」
 まるで分からないといった表情をして、ガイがテンガイのほうを向いて尋ねた。TETRAの食堂で既に定位置となった自分の席に座っているテンガイはゴーグルの位置を指で直すと、腕を組んで口を開いた。
「『夏越祓』、古くからある日本の行事だ。『氷の節句』と言う風習はこの神事が元になっていてな。その氷の節句とは、一年の半分を無事に過ごせたことを祝い、これから半年の無事を祈って6月に氷を食べるという風習だ」
「一年の半分……確かに今日は6月1日だから、1月から数えたらもうすぐ半分を過ごしたことになるけどな」
 バスターがテンガイの説明を補足するように言った。その横でレアナはうんうんと頷き、ガイもなるほどといった顔をしていた。
「そこでだ、我々も半年と言わず、今までのTETRAでの約1年間を大事も起きず無事に過ごせたこと、そしてこれからの無病息災を願って、先人に倣って氷の節句を祝おうと思ってな。夏越祓のような大掛かりな行事はこんな船の中では到底出来んが、氷の節句ならすぐに準備出来るしな」
「艦長らしいな。そんな古いことを知ってるなんて。親父でも知らなかったんじゃないか?」
 テンガイの言葉に、ガイは笑って返した。そうやって父親のことを口に出来るということは、昨年の『あの日』に目の前で父親を失った彼の心の傷が確実に癒えている証拠だった。
「そうだな。千年……いや、千五百年は前の古い行事であるし、生粋の日本人でも今では知らない者のほうがほとんどだったようだしな。だが、氷の節句や夏越祓のことは、長官は知識として知っとったようだぞ」
「そうなのか?……ま、そう言われてみると、生真面目な親父らしいな」
 ガイは頭の後ろで手を組み、ニッと笑った。
「千五百年……そんな大昔からのことなんだ……すごいねえ」
 レアナがすっかり感嘆して声をあげた。彼女の隣のバスターもひゅうっと口笛を吹いたが、ふと何かに気づいたような表情になった。
「なあ、そんな昔から夏に氷なんて作れたのか? だって6月っていったら、もう夏の始めだろう?」
 バスターの疑問に、テンガイは淀みなく答えた。
「ああ、冬に作った氷を保存しておいてそれを食べたらしいが、そんなことが出来るのは身分の高い者だけでな。庶民は氷を模した菓子を食べて氷の代わりとしたそうだ」
「へえ……なるほどね」
 テンガイの言葉に、質問したバスターだけでなく、レアナもガイも納得した様子だった。
「もっとも、このTETRAではその氷を模した菓子を作るよりも、本物の氷を作るほうが遙かに容易いからな……クリエイタ!」
「ハイ。ジュンビ デキテイマスヨ」
 テンガイが厨房のクリエイタに声をかけると、クリエイタが笑顔で配膳用ワゴンを押してやって来た。そのワゴンの上には、真っ白いものがガラスの器に山盛りに盛られていた。
「うわあ……ねえ、これ、かき氷でしょう?」
 レアナが真っ先に、そして嬉しそうに言った。器を皆に配りながら、クリエイタが笑顔のままで答えた。
「ハイ。コオリヲ ケズッタモノ デスヨ」
「かき氷か〜。ガキの頃はよく食べたけど、久しぶりだな」
 ガイも嬉しそうに、目の前に置かれた氷が盛られた器を眺めた。
「バスターは? 食べたことある?」
 レアナが無邪気に尋ねると、バスターはおかしそうに笑い、レアナの頭を撫でた。
「そりゃ、俺だってかき氷くらい食ったことあるさ。ガイと同じで、子供の頃以来だけどな」
「え〜、そうなの? あたしは夏になるといっつも作ってもらってたよ?」
「まあ、お前はそうだろうな……それに、こういう甘いものは女のほうが好きそうだもんな」
 そんなバスターとレアナのやり取りを横目に、クリエイタはワゴンの下の段から色鮮やかな液体をテーブルに並べた。
「シロップ デス。イチゴ ト メロン、レモン デス。オスキナモノヲ カケテクダサイ」
「クリエイタが頑張って3種類のシロップを作ってくれた。感謝して食べろよ」
 テンガイがそう言うと、クリエイタは「イエイエ」と謙遜し、バスター、レアナ、ガイはそんなクリエイタに順に礼を述べた。
「サンキューな、クリエイタ」
「クリエイタ、ありがとう!」
「礼を言うぜ! クリエイタ!」
 それからわいわいと言いながら、テンガイも含めた4人は好きなシロップを自分の器の氷にかけていった。
「あたし、やっぱりイチゴがいいな!」
 そう言ったレアナと、そしてテンガイはオーソドックスとも言えるイチゴを選んだ。残ったバスターはメロンを、ガイはレモンを選んでかけた。
「いっただきまーす!」
 レアナが笑顔でそう言ってスプーンですくった氷を一口頬張り、バスター、ガイ、テンガイも同じように口にした。
「うーん……やっぱりうめえな!」
「ほんと! おいしい!」
「久々だけど、やっぱり美味いもんだな」
 ガイ、レアナ、バスターがそれぞれの感想を口にし、テンガイは何も言わなかったもののその味に満足したように黙々と食べていた。そんな様子を、クリエイタは変わらず笑顔で眺めていた。
「シロップもおいしいけど、この氷もふわふわでおいしいね。クリエイタ、どうやってけずったの?」
「ハイ。センヨウノ マシンガ ナカッタノデ、ホウチョウデ ケズリマシタ」
「包丁でこんな細かくけずったの!? クリエイタ、すごいね!」
「ワタシハ ロボノイド デスカラ。アタッチメントヲ ツカエバ セイミツサギョウモ デキマスヨ」
「ううん、それでもすごいよ!」
 レアナとクリエイタの微笑ましい会話を聞きながら、黙々と食べるテンガイだけでなく、バスターとガイもその一口一口を存分に味わっていた。普段の食事とは違う、「氷の節句」という古き習わしに則った特別な日のデザートは、その味も舌触りも特別なものだった。

「かき氷、ほんとにおいしかったね」
 バスターの部屋のベッドの上で、パジャマ姿のレアナは仰向けになって枕を両腕に抱き、目を閉じて微笑んでいた。そんなレアナの様子に、同じくパジャマ姿のバスターは笑って彼女の髪に触り、優しく撫でた。
「子供みたいだな、お前は」
「だ、だって……バスターだって、おいしそうに食べてたじゃない」
「ま、それはそうだけどな」
 バスターはそう言うと自分も横になり、レアナの体を抱きしめた。レアナも両腕で抱えていた枕を戻すと、バスターの胸にすがるように体をくっつけた。
「でも、あんなに古い行事を知ってるなんて……艦長はすごく物知りだね」
「そうだな」
「古いことを大事にするところも……艦長はまだまだ元気だけどおじいちゃんなんだって思っちゃった」
「艦長も年だしな。だけど……艦長はきっと、俺達のことを思って氷の節句なんてものを持ち出してきたんだと思うぜ?」
「え?」
 レアナが不思議そうな顔をすると、バスターはレアナの頬に手のひらで触り、紫色の目で彼女を見つめた。
「『あの日』からもうすぐ一年だろう?……この前にも言ったが……この船のエネルギーや食糧のことを考えても、俺達は近いうちに否応なく、地球に降下せざるを得ないだろう……」
「……うん」
 レアナはバスターの言葉に頷きながら、つい最近にも彼女自身が地球降下の際のリスクを恐れている本心を、堪え切れずに涙と共にバスターに吐き出したことを思い出した。
「だから、その地球降下の時に、俺達が無事でいられるようにって思って……ちょうどこの時期に無病息災を願う行事のことを思い出して、祝ったんじゃないか? 艦長はああいう性格だから表には出さなかったけど……本当は俺達のことを俺達が思っている以上に考えてくれてると思うぜ?」
「……そっか。艦長は……やっぱり、この船のお父さんなんだね」
「そうだな……違いない」
 バスターは無言で口の端を曲げて笑うと、そっとレアナと唇を重ねた。バスターのその行為にレアナも何も抵抗せず、二人はそのまま唇を求め合った。やがて、バスターが唇を離すと、レアナはバスターの胸に顔をうずめ、小さな声で呟いた。
「艦長にも、ガイにも、クリエイタにも……バスターにも……もう……誰にも、死んでほしくないもの」
「俺もだよ……」
 バスターは自分よりずっと細く小さなレアナの体を抱く腕に力を込めた。
「艦長があたしたちのことを思ってくれているんだから……あたしたち、ちゃんとがんばらなきゃね」
「ああ、もちろんだ……そうでないと、俺達は……生き残った意味がないしな」
「バスター……絶対に死なないでね……ずっといっしょだよ?」
「そんなこと、当たり前だろう? 俺は……お前を置いて逝ったりしねえよ」
「バスター……」
 ベッド脇の明かりだけが点いたほの暗い部屋の中で、バスターとレアナは抱き合ったままだった。二人はテンガイの子供を思う父親のような心遣いに感謝しながら、決してお互いを失ったりはしたくないと願っていた。その想いは、祈りにも近かった。



あとがき


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