[その腕の中に]


 ベッド脇の明かりを点けただけの部屋の中、バスターはベッドの上で仰向けになり、火のついていないタバコをくわえていた。
 明かりの光度はもっとも小さいレベルだったので、ベッドの枕周りだけがほのかに明るい状態だった。バスターがそうしたのは、同じベッドで寝ている少女――レアナへの配慮からだった。
 バスターが横を向くと、レアナはバスターのほうを向いて寝息を立てていた。バスターは手を伸ばし、レアナの髪の毛をそっと指で梳いた。レアナのサラサラの髪は指の合間から滑り降りるように落ち、その感触や光沢は絹糸のようだった。
 バスターはタバコをくわえたまま、体も横を向くと、レアナの体を抱き寄せた。腕の中のレアナはいつもより小柄に見え、バスターはその小さく柔らかい体を抱きしめて、レアナは自分と同じ「ヒト」であっても同時に違う生命なのだということをその身をもって感じた。
(本当に俺とは何もかも違う……「女」なんだな、レアナは)
 バスターは華奢なレアナの体を抱きしめたまま、レアナが「女性」であり、「男性」である自分とは大きく異なる存在であることを改めて意識していた。
 もちろんバスターはレアナ以外の女性を知らない訳ではなかったし、年相応の男子らしく女性に興味を持って幾人とは男女としての関係を持った時期もあった。だが、それらの相手とはまるきっきり遊びだったと言ってもよかったし、バスターの人間不信をますます加速させただけだった。
 ここまで深く相手のことを知り、バスター自身も自分をさらけ出した相手は、レアナが初めてだった。バスターの欠けた心を、満たされない思いを、満たしてくれた女性はレアナが最初で最後であることは間違いなかった。もしあの「石の様な物体」によって人類のほぼ全てが全滅しなかったとしても、バスターがその人生の中で心から愛する女性はレアナしかあり得なかっただろう。そう思ってしまうほどに、バスターはレアナをあまりにも深く愛していた。
「初めて会った時は……それに、シルバーガンのテスト飛行を始めた頃は……こんな子供っぽい女、見たことないって思ってたのにな……」
 知らずのうちに、バスターはレアナに出会ったときに抱いた第一印象を言葉にしていた。バスターとは実年齢は1歳しか違わないし、外見がことさら幼い訳ではなかったが、レアナの言動はとても17歳には見えなかった。
 それゆえ、バスターにしてみれば絶好のからかいの対象だったが、そんな風にしか見えていなかったはずのレアナが、今では自分にとって人生の希望の光にも等しい存在になるだなんてことは、思いもよらないことだった。
「だけど……そうなっちまったもんはもう、仕方がないよな」
 バスターは独り言を呟きながら、レアナの頬に優しく触れ、なめらかなその肌を撫でた。そうしているうちに、不意にレアナがくぐもった声をもらした。
「……ん……う……ん」
 レアナは二、三度、目をパチパチと瞬かせると、ゆっくり目を開けた。すぐそばにバスターの顔が見えたことにはもう慣れてしまったのか、レアナは特に驚きもしないでバスターを見つめて微笑んだ。
「……どうしたの? バスター……」
「悪い……起こしちまったな」
「ううん、そんなこと気にしないで。それより……寝タバコはあぶないよ?」
 レアナはそう言うと、バスターがくわえているタバコを指さした。
「よく見ろよ。火はついてないだろう?」
「あ……ほんとだ」
「俺だってそれくらいのことは気をつけてるさ。せっかく生き延びたのに、船で火事を起こしてそれで死んだらシャレにならないだろう?」
 バスターは軽口のつもりで言ったが、レアナはバスターの言葉に、ふっと顔を曇らせた。
「……どうした?」
 レアナの様子を不審に思ったバスターが問いかけると、レアナは顔を曇らせたまま答えた。
「あたしたちだけが……このTETRAだけが助かってから……もうずいぶん経つよね。もうすぐ……1年に近いよね」
「ああ……そうだな」
 レアナはバスターに抱かれたまま体を更に密着させてきた。バスターのパジャマはレアナが着ており、バスター自身はパジャマのズボンしか履いていなかったため、裸のバスターの胸にレアナが顔をくっつけると、髪の毛がバスターの胸をくすぐった。だが、バスターは構わずにレアナを抱く腕に力を込めた。
「生き残ってるのは……あたしたちだけなのかな……」
「……多分な。少なくとも衛星軌道に退避出来たのは……このTETRAだけだろうな」
 それはバスターも何度も考えたことだった。バスターはレアナを抱いたまま、自分の考えを率直に述べた。ここでその場しのぎの嘘をついたところで、レアナには見透かされてしまうし気休めを言っても仕方ないと思ったからだった。
「あたしだちだけで……何ができるのかな……?」
「どうだろうな……」
「あたし……こわいの」
「地球に降下するのが……か?」
 バスターが尋ねると、レアナはバスターの胸に顔を寄せたまま、こくりと頷いた。
「この船の状況が……いつまでもこの衛星軌道にはいられるものじゃないって……前にバスターが言ってたよね?」
「ああ……それは間違いないな」
「地球には……あのよくわからない敵がまだいっぱいいるよね……? きっと、あの石みたいな物体だって……あたし、あんな敵と戦うのが……こわいの」
 レアナはそう言ってうつむいたが、その顔にバスターの温かな手が触れた。レアナが顔を上げると、バスターが真剣な表情で彼女を見つめていた。火のついていないタバコは口から離し、指に挟んでいた。しかし、そのうちに、バスターの瞳と口元に笑みが浮かんだ。
「大丈夫だ……お前はひとりぼっちで戦う訳じゃない。このTETRAから艦長とクリエイタが援護してくれるだろうし、最新鋭戦闘機のシルバーガンだって3機もあるんだ。お前と、ガイと、それに、俺と……だろう?」
「バスター……」
「お前は前にも地球に降りるのが怖いって言ってたよな。その不安がそう簡単にはなくならないってのは俺にも分かるよ。けど……もうちょっとでいい、俺を信じてくれよ……な?」
「バスター……ごめんなさい……」
 レアナは涙をぽろぽろとこぼし、その涙を懸命に両手で拭った。レアナは彼女には大きすぎるくらいのバスターのパジャマを着ていたが、そのぶかぶかの袖の端が見る見るうちに涙で濡れていた。
「ごめんなさい……あたし……みんながいるんだからって、わかってるのに……」
「お前が謝る必要なんてねえよ。怖いって思うのは当たり前のことさ。それに……そんな風に堰が壊れたみたいに泣くのは俺の前だけでだろう? 艦長やガイやクリエイタの前では我慢しているんだろう?……それだけで充分、お前は頑張ってるさ」
「でも……バスターにも……こんな迷惑かけちゃいけないのに……」
「そんな他人行儀なこと言うなよ。お前が本音を見せてくれて……俺は嬉しいくらいなんだからな」
「バスター……」
 バスターは片腕でレアナを抱いたまま、もう片方の手でまるで小さな子供を慰めるかのように、彼女の頭を撫でた。そしてレアナの額に、優しく口づけした。
「お前がまた眠れるまで、こうしていてやるよ。だから……もうそんなこと考えるな。ゆっくり寝ろよ」
「バスター……うん……ありがとう……」
 レアナは自分の頭を撫でたバスターの片手を握ると、まだ涙を少しこぼしながら、けれども笑って返答した。そうやってバスターに抱かれ、バスターの手を握ったまま、レアナは目を閉じた。やがて、そう長い時間が経たない内に、また穏やかな寝息がバスターの耳に聞こえてきた。
 バスターは腕に抱いたままのレアナの顔を覗き込み、目の縁に残っていた涙を指で拭った。そうしてもレアナは目を覚まさなかった。泣いたことで疲れも覚えたのだろうが、何よりもバスターの腕の中で、彼の言葉とぬくもりに安心しきって眠ってしまったようだった。
「レアナ……大丈夫だ……大丈夫だからな……」
 バスターはレアナだけではなく自分自身にも言い聞かせるように小さく呟くと、指に挟んだままだったタバコをベッドサイドのミニテーブルに置いて明かりも消し、両腕でレアナをその腕の中に収めた。
 そのまま、バスターも目を閉じた。レアナが吐露した不安はバスターも少なからず持っていたものだったが、この船の仲間を、何よりもレアナを守らなければという思いの前では、いつの間にかかき消えていた。
 遠からず迫っている『その日』は覚悟しているが、今はこうして愛しい体温を感じていたい――そんな想いで、自分にすがって眠るレアナを抱きながら、彼女の寝息を子守歌代わりに、バスターも眠りに落ちていった。



あとがき


BACK
inserted by FC2 system