[語らいの宴にて]


 TETRA内で設定されている時間で夜も更け、午後11時に差し掛かった頃、ガイはふと目を覚まし、喉の渇きを覚えた。
「……何か飲むか」
 そう呟いて起き上がると、寝間着代わりのTシャツと短パン姿のまま、自分の部屋を出ていった。
 食堂で何を飲もうかと迷ったが、結局、カフェインなどで眠りを妨げてもいけないと思い、ウォーターサーバーにグラスをセットした。グラスに注がれた水はいつもと変わらないはずだったが、今夜は喉の渇きのせいか、いっそう喉に染み渡るようにガイには感じられた。
 適当な椅子に座り、そうやって喉越しを味わうように水を飲んでいると、予期せずして食堂の扉が開いた。そこには、パイロットスーツの上着を羽織り、下半身はパジャマのズボン姿のバスターが立っていた。
「なんだ……? ガイ……か?」
「バスターじゃねえか。どうしたんだよ。お前も喉が渇いたのか?」
「ああ、そうだな。コーヒーか紅茶でも飲もうかと思ってたんだが……」
「そんなもん飲むと寝れなくなるぜ?」
「俺はコーヒーや紅茶くらいでは寝られなくなるってことはないんでな」
 口の端を曲げてニヤッとバスターは笑ったが、ふと何か思いついたような表情になった。
「おい、夜に飲むのにいいもの持ってきてやるよ。ちょっと待ってろ」
 そう言い残すとバスターは食堂から足早に出て行った。いったい何を持ってくるつもりなのかとガイは思ったが、少ししてから、バスターが一升瓶を片手に戻ってきた。テーブルの上に置かれたそれを、ガイはまじまじと見つめた。
「おい、これ、酒なんじゃねえのか? どうしたんだよ?」
「この前、艦長にもらったんだよ」
「へ〜、艦長にねえ……」
 一升瓶の中には半分ほどの液体がまだ残っていた。ガイはその瓶を片手に持ってちゃぷちゃぷと音を立てながら見つめていた。
「これって日本酒か?」
「いや、焼酎だ。詳しくは芋焼酎って種類だな」
「へえ……似ているようでも違う酒なんだな」
 バスターと違って表の世界で生きてきたガイにとっては、彼が未成年だということもあって、酒は未知の世界だった。以前にテンガイと一緒に清酒を飲んだときも、早々にグロッキーになってしまったので、そのときのことを思い出して、ガイは複雑な表情をした。
「なんだ? そんな難しい顔して?」
 バスターがグラスを用意しながら、ガイの様子にいつもの軽妙な口調で話しかけた。
「いや……俺様、こんなこと言うのは恥ずかしいんだけどよ……あんまり酒は飲めないんだよな……」
 ガイの返答に、バスターは意外そうな顔を返した。
「そうなのか?」
「ああ。前に艦長と飲んだこともあるんだけど、そんな飲んだ訳でもないのに次の日は二日酔いになっちまったしな」
「そうか……じゃあ、これも一杯だけにしておくか」
 そう言ってバスターは用意したグラスに芋焼酎を注いだ。グラスの半分ほどしか入れなかったのは、酒に弱いと自己申告したガイへの配慮であることは間違いなかった。
「ほら、ガイ」
 バスターが差し出したグラスを受け取ると、ガイはグラスに顔を近づけた。その様を見て笑みを浮かべながら、バスターは乾杯の音頭を取った。
「ま、とりあえず乾杯だ」
「お、そうか。乾杯だな」
 酒独特の匂いが鼻をついたが、バスターが美味そうに飲んでいるのを見て、ガイもグッとグラスの中を飲んだ。ほのかに甘い味を感じたが、ガイにとっては決して小さくないアルコール度数の影響のほうが大きく、思わずげほっとむせてしまった。
「ガ、ガイ? 大丈夫か?」
「……やっぱり酒はきついな。悪かったな、バスター。俺は酒の良し悪しって分からないけど、これっていい酒なんだろう?」
「そんなこと気にすることはねえよ。けど……そうだな、あの飲み方ならお前でも大丈夫かもしれないな」
 そう言いながらバスターはキッチンの方へ歩いていき、ケトルに水を入れると、クッキングヒーターにケトルを置いた。
「バスター? お湯なんか沸かしてどうするんだよ?」
「そのうち分かるさ」
 ケトルのお湯が沸騰すると、バスターは熱いケトルを持ってテーブルの上に置いた。先ほど用意していたグラスに芋焼酎を再度、適量注ぐと、ケトルを持ち上げた。
「お湯で割ると、そのままよりも口当たりがよくなるんだ。これなら酒に慣れてないお前でも飲めると思うぜ」
「へえ〜……レアナにもそうやって飲ませたのか?」
 その瞬間、バスターの右腕が揺れ、ケトルの中身である熱湯がテーブルの上にこぼれた。幸いにもバスターもガイも火傷はしなかったが、ガイは驚いて大きな声と共にバスターを見た。
「な……! おい! バスター! 危ねえじゃねえ……か……?」
 バスターは右手にケトルを持ったまま、顔を赤らめていた。ガイは最初、そのバスターの様子の理由が分からず、戸惑いながらも再度、バスターに声をかけた。
「お、おい。俺、何か変なこと言ったか?」
「い、いや、そんなことはねえよ」
 ガイの呼びかけに、バスターは少しばかり取り戻した平常心に必死にしがみつきながら、ケトルをいったん、テーブルの上に置いた。だが、そこへ、自分の発言の影響をまだ意識していないガイが追い打ちをかけた。
「レアナにも飲ませたんだろう? いい酒なんだし」
 その言葉を聞くと同時に、バスターはまたも顔を赤くして体をテーブルにぶつけ、あと少しでテーブルの上のグラスを引っくり返そうとした。
「な!? おい、バスター……あ……」
 ようやくガイは、バスターの様子がさっきからおかしい理由に気づいた。レアナと酒。この組み合わせでバスターは何かを経験しているのだと。
(こりゃあ……間違いなく、何かあったんだよな?)
 ガイがそう思案していると、バスターがぽつっとつぶやきをこぼした。
「レアナは悪くないんだ……俺が我慢出来なくなっちまうんだ……」
 バスターのそのつぶやきに、ガイはようやくバスターがおかしな行動を見せる理由に気づいた。
(や、やっぱり、そんな方面での動揺だったのかよ。気づかずにいたら、俺様、このままじゃ唐変木寸前だったじゃねえか)
 ガイはとりあえずその場を取り繕うように笑い、冷めかけようとしていたお湯割りのグラスを手に取った。
「バ、バスター、せっかくお前が気を回してくれたんだから、冷めないうちに飲んでみようぜ」
 そんなガイの気遣いに、バスターは改めて笑い直し、もう一つのグラスを掴んだ。
「そうだな……今度はお前もいけると思うぜ?」
 バスターの言葉通り、お湯で割った焼酎は口当たりも喉越しもまろやかになり、ガイはその風味を舌だけでなく鼻からも感じながら、その一杯を味わった。
「美味かったぜ。サンキュー、バスター」
「そうか。俺の方こそ付き合ってもらっちまったしな。感謝するぜ」
 そんな会話を交わしながら、二人はグラスを洗い、こぼれたお湯で濡れたテーブルを拭いた。布巾をシンクで洗いながら、ガイはグラスを片づけていたバスターに話しかけた。
「なあ、バスター」
「なんだ?」
「レアナのことなんだけどな……」
 あやうくバスターは手に持ったグラスを落としそうになったが、かろうじてそれを阻止し、ガイのほうを見た。
「レ、レアナのことが……どうかしたか……?」
 ガイは振り返ってバスターを見ると、真剣な顔つきで続く言葉を口にした。ガイは自分のレアナについての発言がバスターの動揺を誘うことは充分に分かっていた。だが、それでも二人の深い関係を知っている以上、これだけはバスターに言っておきたいと考えた末からの言葉だった。
「……大切にしろよ。人間はそれがどんな大事な存在でも、失ったらもうそれでおしまいなんだからな……声を聞くことも、温かい手を握ることも出来なくなっちまうんだからな」
 普段のガイとは別人のような言葉にバスターは少なからず驚いたが、ガイは自分とレアナの幸福を思ってくれているのだということに気づき、照れくささから赤い髪をかきながらも、ガイを見て笑って答えた。
「……もちろんさ。俺にとってレアナは……かけがえのない存在なんだからな……ありがとうよ、ガイ」
 バスターはそれだけ言うと、一升瓶を片手に持ち、食堂から出て行った。

 一人残ったガイも少し遅れて食堂を出て自室に戻ると、備え付けの小さめのテーブルの上に置いてあったロケット型ペンダントを取り上げた。蓋を開くと、そこにはTETRAクルーには馴染みがない一人の少女の笑顔の写真が納められていた。
「ユリ……」
 あの「石のような物体」の力ではなく、それ以前に地球人同士の争いに巻き込まれて死別した幼馴染の名前を、ガイは小さくつぶやいた。あのときの思いは思い出したくもない辛い記憶だった。
 だからこそ、こんな思いは、家族同然の存在であるバスターにもレアナにも味わせたくはなかった。自分とユリの分までも、バスターとレアナには二人でいられる幸福に浸ってほしいと願っていた。そんな思いが、先ほどのバスターへの忠告には込められていた。

 ガイより先に自室に戻ったバスターは、一升瓶をテーブルの上に置き、パイロットスーツの上着を脱ぐと、ベッドに腰を下ろした。バスターが見下ろすとそこにはレアナの顔があり、すやすやと穏やかな寝息を立てていた。つい数時間前には、夜のバスターだけに見せる別の顔を浮かべていたとは信じられないほどだった。
 バスターはレアナのサラサラとした髪を指ですくい、手の平で頭を撫でた。それから、レアナの手を取り、レアナの体温を感じるかのように握った。

『どんな大事な存在でも、失ったらそれでもうおしまいなんだからな』

 先刻のガイの言葉がバスターの脳裏をよぎった。レアナを失うなど考えたこともなかったし、考えたくもなかった。だが、人類が自分達だけを残して滅亡してしまった今、ある日、突然レアナがバスターの前から消えたとしても、そんな可能性は幾らでも考えられるのだということに気づいた。
 そんな不吉な思いに捕らわれたバスターはレアナを失うまいと、彼女の体を抱き寄せ、そっと抱きしめた。
「お前を……失ったりするなんて、そんな可能性はゼロにしてやる。俺が……こうしてお前のすぐそばにいる限り……」
「ん……バスター……? どうしたの……?」
 優しく抱いていたつもりだったが、バスターが無意識に腕に力を入れていたことで、レアナは目を覚ました。
 レアナの表情は寝起きのせいか幼い印象を受けた。数時間前に見せた大人びた女性の表情とはまるで違っていた。だが、バスターにはどんなレアナも、愛しい存在であることには変わりなかった。バスターは優しく微笑み、レアナを抱きしめたまま言葉を続けた。
「お前は……この世でただ一人の俺の伴侶だ。いや、それ以上に大切な……半身だ」
「バスター……」
 バスターの言葉にレアナは少々戸惑いながらもその想いの強さを感じ取り、頬を淡く染めた。バスターはそんなレアナを抱く腕に力を込め、レアナもバスターの胸に顔を寄せた。己の半身が共にあり、その生の証である鼓動を感じ取れる幸福に浸りながら、そのことに気づかせてくれたガイに、バスターは心中で感謝の言葉を贈っていた。バスターの腕の中のレアナもまた、幸福そうな表情を浮かべ、バスターのことを想い続けていた。二人の魂は一つに交じり合っていると言っても過言ではなかった。



あとがき


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