[ソーマの味わい]


 まだ真夜中と言える時間、バスターは不意に目を覚ました。すぐ隣に目をやると、レアナが穏やかな寝息を立てていた。バスターの様子には気づいていないようで、目を起こす気配もなかった。
 バスターは身を起こすと、ベッド脇の小さなライトを点けて暗い部屋の中にほのかな明かり灯すと、そっとベッドから抜け出した。パジャマのズボンは履いていたものの、上半身は裸であったため、椅子にかけてあったパイロットスーツの上着を手に取ると、無造作にそれに腕を通した。ボタンはかけないままだった。そんな格好でバスターは自分の部屋をそっと抜け出した。
 軽級とはいえ巡洋艦であるTETRA内部はそれなりの広さがある。自分の部屋を出たものの、どこに行こうかとバスターは考えあぐねたが、とりあえず艦橋へ向かってみようかという結論に達した。あそこなら外の様子も見えるし、計器類が常に動いているから、この時間でも寒々としていないし殺風景ではないだろうと思ったからだった。

 バスターが艦橋に通じる扉を開けると、そこには思った通りの見慣れた部屋の様子があった。だが、艦橋内の中央あたりに、バスターは人影のようなものを見つけた。その人影の輪郭から、バスターは思い当たる人物の名前を呼んだ。
「艦長……?」
 名前を呼ばれた人物は、右手にグラスを持ったまま振り返った。
「バスターか……? どうした? こんな時間に?」
「いや、ちょっと目が覚めちまって……艦長こそどうしたんだよ? こんな時間にこんなところで」
「なに、コンソールの具合が悪かったのをこの時間になってから思い出してな。忘れんうちに済ませておこうと思っただけだ。酒はそのついでだ」
 テンガイが座っている脇を見ると、確かに一升瓶と共に、工具箱が置いてあった。
「理由はともかく、お前もまあ座れ」
 テンガイに促されてバスターはその隣に腰を下ろした。テンガイは持っていたグラスの中身を飲み干すと、手で飲み口を二、三度拭った後、一升瓶の中身をこぽこぽと注いだ。
「器がこれしかないものでな、勘弁してくれ」
 そう言ってテンガイが差し出したグラスを、バスターは笑いながら受け取った。
「艦長が相手なら別に構わねえよ。俺は潔癖性でもねえしな」
 バスターはそう言うと、グラスの中身を一口飲んだ。ほのかなフルーティーとも言える甘みと共に、体全体が温まる感覚を覚えた。
「これは……焼酎……だよな?」
 バスターはそれほど酒に詳しい訳ではなかったが、飲み覚えのある味だった。テンガイはゴーグルをかけ直しながらニヤッと笑った。
「ほう、分かったか。そうだ、芋焼酎だ。お前の年を考えると馴染みはないかもしれんが、こいつは飲みにくい味ではないだろう?」
「芋焼酎か……まあ、確かに口当たりはいいな」
 バスターはグラスの中身をゆっくりと味わった。そうして時間が経ち、グラスが空になった頃、バスターはにわかに口を開いた。
「艦長……ちょっと変なこと聞いてもいいか?」
「なんだ?」
「俺はレアナに……無理させてないのかな?」
 思ってもいなかった言葉にテンガイがバスターの顔を見ると、バスターはいささか顔を赤らめていた。それが芋焼酎のせいなのか、今の言葉のせいなのかは分かりかねたが、酒を飲んで少しばかり酔って気持ちの箍が緩んだことで、バスターが先ほどの言葉を口に出したのであろうことは推測出来た。
「……どうしてそう思う?」
 テンガイが前を向き直して尋ねると、バスターはグラスを握りしめたまま、少々うつむいて答えた。
「俺は……前にも言ったように、レアナを大事に思ってる。その、自分よりも……大事だって思えるくらいだ。でも、そう強く思いすぎることで……レアナには負荷にはなっていないのかな……?」
「お前の思いを形にすることで、それがレアナには重荷になっていないかと思っているのか?」
「まあ……そんなところだな」
 しばらくの間、二人は無言のままだった。だが、やがてテンガイは腕を組むと、ゆっくりと口を開いた。
「ワシも女ではなく男だからな。レアナの気持ちは完全には分からんが……お前がレアナを想っているように、レアナもお前を想っているのなら、お前の思いを重荷なんぞには感じないのではないか?」
「そうかな……」
「『人は自分を必要とする者を深く愛する』という言葉もある。この言葉が示す通りなら、レアナにとってお前は自分が必要な存在だと思っているのだろう? だからこそ今、レアナを愛しているのだろう?」
「ま、まあ……そうなるんだろうな」
 バスターが顔を更に赤くして答えると、テンガイは横目でその様を確かめ、言葉を続けた。
「その逆も然りだ。間違いなくお前にとってレアナは必要な存在だろう。ならばレアナもお前を心から愛しているに違いない……もっと自信を持て、バスター」
 テンガイはそれだけ言うと、バスターの手に握られたグラスに芋焼酎を注ぎ足した。バスターは照れ隠しのように、その中身を今度はぐっと一気に飲み干した。テンガイはその様子を見ると、まだ半分以上中身の残った一升瓶をバスターに差し出した。
「持っていけ。ワシからの差し入れだ」
「へ?……いいのか? これ、味わいもいいし結構いい酒なんじゃないのか?」
「別に構わん。お前の胸の内がすっきりしたら、レアナと二人で飲めばいい。お湯で割れば飲み慣れん女の口にも合うしな」
「そ、そうか……じゃあ、ありがたく貰っておくよ。悪いな、艦長」
「なに、気にするな」
「あと……ありがとうな。変な相談に乗ってくれて」
 バスターはテンガイにグラスを返し、一升瓶を持って立ち上がると、短く敬礼をした後、艦橋から出て行った。テンガイはその間、前を見たままだったが、バスターが艦橋から出て行ったことを確認すると、やれやれといった風情で大きくため息をついた。
「まったく……世間慣れしているようなあいつも、根っこの部分は年相応の男子ということか……」

 バスターが自室に戻ってくると、室内は出て行ったときそのままだった。ベッド脇のライトが点けっぱなしだったため、部屋の中はほのかだが明るかった。
 無造作に着ていたパイロットスーツの上着を脱ぎ、ベッドに入ると、バスターはレアナを見下ろした。やはり目を閉じたままで、バスターが部屋にいない間もずっと眠り続けていたようだった。だが、バスターがレアナの髪にそっと触れると、ぴくっとレアナが反応した。
「バスター……?」
 バスターは少なからず驚いたが、それはなるたけ表に出さず、レアナに応えた。
「レアナ? 起きてたのか?」
「え、うん……こんな時間なんだけど目が覚めちゃって、そうしたらバスターがいなかったから、どうしたのかなって……シャワーやお手洗いでもないし、こんな夜中に長い間、どうしたんだろうって心配になっちゃったんだから。でも、またうとうとしちゃってたんだね、あたし」
「そうか……心配させて悪かったな。けど、お前も呑気だな。また寝ちまうなんて。俺がそのまま戻ってこなかったらどうするつもりだったんだ?」
「だ、だって……バスターがいなくなってたのはちょっと不安だったけど、バスターがこのままもどってこないなんて思わなかったんだもん」
 レアナは身を起こし、身に着けている唯一の衣服であるバスターのパジャマの裾を引っ張って顔を赤くした。バスターはレアナのその様子と彼女の言葉に、ハッとしている自分に気づいた。「自分が戻ってこなかったら」というのはもちろん冗談めいた軽口のつもりだったのだが、レアナの言葉からは何百倍もの重みがバスターには感じられた。
「え……?」
「バスターがあたしをひとりぼっちにしてどこかへ消えちゃうことなんてないもん……そうでしょう?」
 バスターはじっとレアナの顔を見つめた。あれから一年。艦内の雰囲気はテンガイを始めとしたクルーらの我欲への自制心や互いへのさりげない気遣いもあって秩序も明るさも保たれているとはいえ、人間がほぼ絶滅したこの尋常ではないと言える世界。そんな世界でも自分を独り残してこの世界からいなくなるはずなどない、それだけ確固として思えるほどにレアナは目の前のバスターという存在を信じている、その想いを感じ取ったバスターは、体の中からわき上がる熱い想いにうち震えていた。
「レアナ……」
 バスターはレアナの頬に手をやると、そのまま自分の顔を近づけ、唇を塞いだ。何度も息を交わし、舌を絡める、深い口づけだった。長い時間の後、バスターが唇を解放すると、レアナの頬は先程にもまして朱に染まっていた。だが、顔を上げると、そっとバスターの首に腕を回し、ぎゅっと体を密着させてきた。
「バスター……」
「イヤだったか?」
 レアナの体に腕を回しながら問いかけたバスターに対し、レアナはぶるぶるぶると顔を振った。
「そんなこと思うわけないじゃない……」
 二人はそのまま抱き合っていた。まるでパジャマ一枚だけを隔てて伝わってくるお互いの体温をわずかでも漏らすまいとするかのように。やがて、レアナが腕に込めた力を緩め、バスターを正面から見据えた。その顔には若干の戸惑いが混じった笑顔が浮かんでいた。
「さっきからバスター……なんだか大胆だよ? どうしたの?」
「さあ? どうしたんだろうな?」
 バスターがいつもの調子で軽口で返すと、レアナはぷくっと頬を膨らませた。だが、すぐに笑顔に戻り、バスターに切り返した。
「でも、わかることもあるよ。また艦長とお酒のんでたんでしょ?」
「……ばれちまったか」
「わかるよ。だってさっき、あんな……な、長いキスをしたら、だ、誰だって……そ、そうなんでしょ?」
 恥じらいからレアナの言葉はしどろもどろになっていたが、その様さえバスターには愛しかった。バスターは笑みを浮かべながら、指先で背後のテーブルに置いた一升瓶を指さした。
「艦長に貰ったんだ。今……はもう遅いから、明日の夜にでも飲んでみるか?」
「……あたしものんでいいの?」
「ああ。お湯で割れば酒を飲み慣れない奴の口にも合うって艦長も言ってたしな」
「きっとおいしいんだろうね……楽しみだなあ」
「ああ、美味かったぜ。けど……」
 バスターはそのままもう一度、レアナの唇を唇で塞いだ。だが、それは先程とは違う、触れ合うほどの軽い口づけだった。バスターは顔を放すと、ニヤッと笑って言葉を続けた。
「……お前のほうが美味いかもな」
「バ、バスターってば……!」
 レアナは顔を真っ赤に染め、唇を両手で押さえた。だが、少しの時間を置いた後、バスターの胸にどんと体をぶつけ、そのままぴたりと身を寄せた。
「いじわる……!」
 バスターはまた笑った。だが今度はさっきとは違う優しい笑みで、その笑みを浮かべたまま、レアナの体を抱きしめた。腕の中の存在を何よりも愛しく想い、またその存在――レアナも自分を誰よりも信じて想ってくれているという事実に気づけた幸福を体中で感じながら、バスターは強くレアナを抱きしめ続けていた――。



あとがき


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