[幸福の瞬間]


 目を覚ますと、すぐそばにレアナの寝顔が見えた。バスターはレアナを文字通り抱いて――まるで小さな子供がぬいぐるみを抱きしめて眠るようにいつの間にか習慣づいていたから、レアナの顔が目前にあっても、当然と言えば当然だった。刺激しないように上半身を少し起こすと、バスターはベッドに備え付けられた時計に示された時刻を確かめた。その盤面にあった数字は、午前3時――まだ真夜中と言っていい時刻だった。
「……寝るか。むやみに早起きしたって、何か得があるわけじゃねえし」
 バスターが独り言を呟いてレアナの体を抱き直すと、レアナは不意に可愛らしい声をあげた。
「ん……」
「レアナ?」
「……バスター?……どうしたの?」
「なんでもない。起こして悪かったな」
「いいよ……それより、まだ夜でしょ? 寝たら?」
「そのつもりだったんだ」
 そう言ってバスターは力を込めてレアナの体を抱きしめた。レアナはバスターにそうされることを嫌ってなどないから、ただバスターのなすがままになっていた。だが、小さな声でバスターに意見した。
「バスター、まくら、ベッドの下に落ちてるんじゃない?」
 バスターがその言葉に反応し、自分の後ろを振り返ると、確かにバスターの枕がベッド脇に落ちていた。眠るとき、レアナはベッドの壁側に眠るので、バスターは必然的にその反対側で眠っていた。だから枕が落ちることもたまにあったが、朝、先に起きるのはバスターだったし、タバコをたまに吸うことを考えても、この配置のほうがバスターには都合よかった。
「ああ、本当だな……」
「ひろわないの?」
「……今日は、もっといいのを見つけたからな」
 そう言ったのも束の間、バスターは抱きしめていたレアナを仰向けにすると、彼女を抱いたまま、その胸に頭を乗せた。
「や……!」
 突然のことに、レアナは言葉も出ないほど動揺してしまったが、その一方で、バスターは細身の体と反比例したような豊かなレアナの胸に頭を預けたまま動こうとしなかった。
「バ、バスター? やだ、はずかしいじゃない……」
 レアナは一呼吸置いて、ようやく声を出した。だが、バスターから返ってきた言葉は意外なものだった。
「……やっぱりやわらかいな、お前は」
 数え切れなくらいレアナをその腕の中に収めているのだからそんなことは明白な事実だったはずだが、バスターはしみじみとした口調で呟いた。バスターは彼女の胸に顔をうずめたまま、うつ伏せになっていたので、バスターの温かみが胸ごしに伝わってくるのがレアナにも感じ取れた
「ほんっとう……やわらかくていい匂いで……気持ちいいぜ」
 バスターは先ほどと同じ口調だったが、「気持ちいい」とまで言われたレアナは、さすがに顔を赤らめてしまった。
「そ、そんなこと……」
「それに……本当に可愛いよな、お前」
 レアナのパジャマのはだけた隙間から覗く胸元の肌にバスターは目をやった。本来なら白い肌も、バスターに抱かれていることで必然的に高くなったレアナの熱で、赤みを帯びていた。
「……今日のバスター、なんか変だよお……?」
「そうか?」
「だ、だって……今まで、そんなことあんまり口に出して言ってくれなかったじゃない」
「……言いそびれてたんだよ。それに、大切な言葉は無闇に口にしないってのが俺のポリシーなんでね」
「……もう」
 レアナはちょっと呆れたような言葉を漏らしたが、彼女の腕もいつの間にか、バスターの頭と肩を抱きしめていた。自分にかかるバスターの体重が少し重かったけれど、それは何も苦痛ではなかった。
「ね、バスター」
「ん?」
「こうしてるとあったかいし、落ち着くね……」
「ああ……そうだな」
 今やバスターの体重、温かみ、そして匂い。全てがレアナの心を捕らえてしまっていた。そしてそれはバスターも同じで、レアナを抱きしめたまま、彼女から離れようとはしなかった。
「お前が……」
「なあに?」
「お前がいてくれて……俺と出会ってくれて……本当によかった。お前は俺の……魂なのかもな。いや、きっとそうなんだろう……」
 レアナはバスターの頭を子供にそうするようにそっと撫でると、慈愛に満ちた目でバスターを見つめた。
「そうだね……バスターはあたしのこと、すごく大事にしてくれるし……あたしのことがいちばん好きだって言ってくれたもの。あたしもバスターのことがいちばん大好きだし……ねえ、あたしたち、すごく幸せだよね。だって……」
「だって?」
「お互いがお互いを世界でいちばん好きなら、そんな幸せなことはないって思うもの。そう思わない?」
「そうだよな……俺達、こんな幸せでいいのかって、俺も思っちまうぜ……」
 バスターは言葉を言い終えると、またレアナの胸に顔をうずめた。レアナは微笑を口元に残して、すうっと目を閉じた。二人の体も心も、隔てるものはこの場には何もなかった。



あとがき


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