[Stray Sheep]


 昨日あたりからレアナの様子がおかしかった。それはどうも体調を崩して風邪を引いたせいからくる辛さのようだった。

 約1年前に衛星軌道上にTETRAが退避してから、レアナはこれまで何度か体調を壊していた。この1年近く、現役パイロットであり軍人として一般人より遥かに勝る体力を保持しているバスターやガイはもちろん、老齢ではあるが体力に関してはその手に持つ技術力以上の大ベテランであるテンガイらはまるで体の不調とは無縁だったが、軍人として正規の訓練を受けたわけではないレアナの体力を彼らと比べるのは酷というものだった。

 レアナは「実験的に純粋なパイロットを育成する専門教育」を受けて育てられたが、その教育内容がどれだけ偏ったものであったかは、彼女がTETRAに配属されてすぐの頃はまるで世間知らずで精神年齢もひどく幼かったことからも明らかだった。その偏った教育の中では一般教養以上に体力訓練も疎かにされていたため、レアナは一応は軍人という身分でありながら、身体能力はかろうじて一般の同世代女性の平均を保っている程度だった。

 そんな基盤となる体力の差もさることながら、今現在いる場所が宇宙巡洋艦という特殊な密閉空間内であることや、自分の他に同性がいないという事実は、想像以上にレアナの精神を大きくすり減らしていたのかもしれない。加えてレアナは必要以上に明るく振る舞おうとする性格でもあるから、結局、それらの要因が重なって、レアナは幾度も身体の不調を起こしていたのだろう。

 夕食が済んでクル―達が各々の自室へと戻る時間、バスターが自室でベッドの上に座らせたレアナの額に手を当ててみると、高熱とまではいかなくても、熱があることがはっきりと分かった。
「さっき、クリエイタのところへ行ってきたんだろう? 薬は貰わなかったのか?」
 バスターがレアナの額に手を当てたまま尋ねると、レアナはこくりと素直に頷いた。
「もらったけど……」
「もう飲んだのか?」
「あ……ううん、まだだった」
「飲まなきゃ回復しねえぞ。どれだ? ああ、このケースか」
 バスターはサイドテーブルに置かれていたカプセルケースを見つけて解熱カプセルをひとつ取り出し、同じテーブルに置いてあった飲用水のボトルを取り上げた。
「ほら、口開けろよ」
「え、そ、そんな……それくらい自分でできるよ」
「どんなもんかね」
 口ではそう言いながらもバスターは別に出し惜しみすることもなく、カプセルとボトルをレアナに差し出した。それらを受け取ったレアナは小さく口を開けてつまみ取ったカプセルを入れ、ボトルの水で流しこんだ。
「……ありがとう」
 レアナからまだ中身の入っているボトルを受け取ったバスターはそれをテーブルに無造作に置くと、もう片方の手でレアナを抱き寄せた。
「眠れそうか?」
「うん……お薬ものんだし……きっと大丈夫だと思う」
「じゃ、さっさと寝るか」
 バスターは部屋の灯りをリモコンで消してベッドに潜り込もうとした。しかしおかしなことに、上掛けにしているブランケットを引っ張っても体がギリギリしか収まらない。不審に思ったバスターがベッドに備え付けられているナイトランプを点けてみると、レアナがベッドの端っこでかろうじてブランケットに収まっていた。シングルベッドとはいえ二人が寝られる程度には幅があるので、レアナがそんなことをすればバスターが上掛けを満足に使えないのも当然だった。
「……何やってんだ、お前」
 思わず絶句したバスターは一瞬、ぽかんとなってしまった。が、すぐに己を取り戻してレアナの肩を掴み、彼女の顔をこちらへ向けた。
「そんな端っこじゃ毛布からはみ出しちまうだろうが」
「でも……」
「なんだよ?」
「……バスターにかぜがうつっちゃうかもしれないじゃない。そんなことしたくないもん」
 レアナは心底悲しそうな顔でそう呟いた。冗談などではなく真剣に悩んでいることがその表情と口調から分かった。
 バスターは自分に風邪をうつしたくないと悩むそんなレアナの様子が嬉しくもあったが、同時に彼女の悩みを気遣い、手を伸ばしてレアナの手に重ねた。
「俺とお前じゃ基礎体力から違うんだ。うつったりしねえよ。もっとこっち来い」
 レアナは躊躇する表情と仕草を見せたが、少しの間を置いた後、離れていた反動のようにバスターの横にぴったりとくっついた。ただし、ブランケットと一緒にレアナが使っている大きめのタオルケットに頭からすっぽりくるまっているという、これまた滑稽な姿だった。
「お……おいおい、レアナ?」
「なあに?」
 くぐもったレアナの声が返ってくると、バスターは彼女の頭をタオルケットの上からぽんぽんと優しく撫でた。
「さっきは妖怪端っこ好きになったかと思ったら、今度はなんだってんだ、この格好は。犬嫌いなオバケのつもりか?」
「だって……やっぱり……」
 どうあってもレアナは自分の不調をバスターにうつしてしまうのではないかと心配なようだった。そんなレアナの心痛はもちろん痛いほどバスターに伝わっていた。
 バスターは数分ほど考えていたが、やがてどこか諦めたようにブランケットを手に取ると、頭から被ってそのままレアナをブランケットで覆い、その中の空間で彼女をそっと抱きしめた。
「バ……バスター!?」
 思いもかけないバスターの行動に、レアナは目を見開いて驚いた。
「もう今夜はこれくらいしねえと、何を言ってもお前が聞かないだろう?」
 バスターはニッと笑い、抱き寄せたレアナの髪を撫でた。
「バスター……」
「言ったろう? 俺は体力レベルが違うんだから大丈夫だって。お前も薬を飲んだんだし、ぐっすり寝れば明日の朝にはきっと治ってるさ」
 レアナは返事をする代わりに、バスターの胸に顔をうずめた。それはバスターから離れようとしていた行動の反動のようでもあった。

 バスターが両腕で抱いているレアナの体温を体全体で感じとっていると、不意にレアナがくすくすと笑い出した。
「? どうした、レアナ?」
「昔のこと、ちょっと思い出したの」
「昔?」
「……あたしが連邦軍の施設に入る前、まだお父さんとお母さんといっしょだったころのお話」
「……俺が訊いてもいいのか?」
「うん。バスターになら訊いてほしいもん」
「そうか……」
 バスターの心音を聴きながら、レアナは彼女の両親が生きていた頃の――レアナが5歳頃の話を語り始めた。
「お父さんとお母さんのベッドとあたしのベッドは部屋も別々だったんだけど、よく絵本を読んでくれたの。3人でお父さんとお母さん用のダブルベッドに入ってね。どっちが読んでくれるかはバラバラだったけど、どっちもすごくじょうずだし面白かったよ」
 そこまで話してレアナは一息をつくと、再び続きを話し始めた。
「それでね、たしか赤ずきんだったかな? 読んでいる途中でお父さんががおーってオオカミのまねを始めて、あたしとお母さんとはキャッキャ言ってかけ布団の中にもぐりこんだの。それでもお父さんは外からがおがお言ってるし、だからお母さんは『オオカミさんに気づかれちゃうからじっとしていなきゃダメよ』って言って、でもあたしを笑って抱きしめてくれて……楽しかったな」
 話し終えたレアナは改めてバスターの胸に身を寄せた。バスターは終始、黙って聞いていたが、ぽつっと言葉を漏らした。
「なるほどな。でもそのときとは大きな違いがひとつあるぜ?」
「え、なにが?」
 バスターは悪戯っぽい笑顔を浮かべてレアナの頬に片手で触れた。
「肝心のオオカミがすぐそばにいるってことだよ。油断してると食われちまうぞ?」
 バスターの不意打ちの言葉に、レアナはみるみる顔を赤らめてしまいには真っ赤になっていた。
「え、えっと、その……」
「冗談だよ。俺だって、お前が風邪ひいて辛い思いをしているときに手荒な真似なんかしないさ」
「!……バ、バスター……もう……!」
「悪い悪い」
 レアナは顔を赤くしてぷっと頬を膨らませてはいたが、結局、バスターの胸からはまったく離れようとはしなかった。やがて、か細い声がバスターの耳に入ってきた。
「……バスターになら、どんなことをされてもいいけど……でも……いじわる……!」
 それは本当に小さな声だったが、バスターに与えた威力は絶大だった。バスターは先刻のレアナ以上に耳まで赤くなり、げほげほと咳き込んだ。

 少し時間が経ってバスターの顔の赤さがやっと引いた頃、バスターはレアナにそっと話しかけた。
「レアナ、起きてるか?」
 返事がないのでバスターが覗き込んでみると、レアナはバスターの胸に顔をうずめたまま眠っていた。元々、先ほど飲んだ解熱カプセルに入っていた成分のために眠りやすい状態だったのかもしれなかったし、加えておそらくは熱がおおかた引いたおかげからか、レアナの寝顔は穏やかだった。
 バスターは黙ってタオルケットごとレアナを抱く腕に力を込め、自身も目を閉じた。ひねくれ者だけれども優しいオオカミは、迷いこんだ小さな子ヒツジの傷をいたわりながら、共に眠りに落ちていった。



あとがき


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