[夢と記憶の狭間で]


「……バスター、バスター、大丈夫?」
 自分の名を呼ぶ声に目を開けると、そこには心配げな表情で覗きこむレアナの顔があった。バスターはレアナの頬にそっと手を触れると、横たわったまま、渇いた喉からかすれた声を発した。
「……なんだ? 俺が……どうかしたのか……?」
 自分の頬に当てられた大きな手に自身の手を重ねながら、レアナは言葉を返した。
「バスター、うなされてたよ……すごく苦しそうだった……いやな夢でも見たの……?」

 バスターはだるそうに上半身を起こすと、すぐそばのレアナを抱き寄せた。元々、シングル用に使われるべき大きさの寝台に二人で眠っているため、互いの身体がかなり接触した状態であることには変わりなかったが、それ以上に、バスターがレアナを抱く力には強いものがあった。レアナはそれに抗うこともなく、彼女自身もバスターの身体に腕を回していた。バスターの様子には、いつもとは違う「何か」が感じられたからだった。
 やがて、バスターは再び重たげに口を開いた。
「……親父の夢を見たんだ」
「バスターのお父さんの……?」
「ああ。お前にも話したことがあるけど、俺は……親父のことを嫌っていた。一年前に石の閃光で親父が当然死んだときも、何も感じなかった。なのに……今頃になって……」
 バスターは言葉を詰まらせ、レアナの髪に指を絡ませるようにして、彼女の淡い色の髪の毛を梳いた。それは半ば彼の癖のようなものだった。普段、眠りに就くときも、バスターはレアナの髪に手を伸ばし、そうやって撫でるように梳くことがしばしばあった。当のレアナはその行為を嫌だとは思わなかったし、むしろバスターの温もりが伝わってくるようで心地良かった。だが、今日のバスターの手つきは、どこか違っていた。焦るような、何か助けを求めるような、そんな違和感だった。
「……俺は、親父のことなんてどうでもいいはずだった。一年前のあのときの直後だって、親父のことなんて考えていなかった。そのはずなのに……どうして今頃……こんな、重たい気持ちになっちまうんだ……」
 バスターは指の動きを止め、レアナを更に強く抱きしめた。バスターの葛藤が、レアナにも伝わってくるようだった。レアナはバスターの胸にしばし顔をうずめていたが、呟くように言葉をこぼした。
「……お父さんなんだもん、そんな気持ちになっちゃっても、当たり前だよ……ね?」
 レアナはバスターの背中に回した手をポンポンと、まるで子供をあやすように叩いた。いつもはバスターよりも遥かに子供っぽく見えるレアナだったが、今はまるで立場が逆転したかのようだった。レアナの髪を再び撫でながら、バスターはすまなそうに答えた。
「……ごめんな。お前にこんなこと、こぼしちまって」
「バスターがあやまることなんかじゃないよ。あたしは全然平気だから。だから……全部、バスターが思ってること全部、あたしにぶつけていいよ……いいんだよ……?」
 背中に回していた手をそっと離し、レアナは両手をバスターの頬にあてがった。バスターが視線を下へ向けると、レアナの笑顔が見えた。バスターの苦しみを和らげようとするかのような、穏やかで優しい笑みだった。バスターは再度、彼女を思いきり強く抱きしめた。二人の頬が接し、互いの体温が直に伝わっていた。
「ありがとうな……お前がそうやって、笑ってみせてくれただけで……じゅうぶんだよ。でも……あと少しだけ、こうさせてくれ……」
「あとちょっとだけじゃなくてもいいよ……ずっとこのままでも……いいから」
 バスターの首に手を回し、レアナは彼の髪を撫でていた。いつもバスターが自分にそうしてくれるように。少しでも彼の悲しみがこそげ落ちるように。

 どれほど時間が経ったのだろうか。二人はいつの間にか、眠りに就いていた。バスターが目を覚ますと、レアナが彼の腕に手を回したまま眠っていたが、バスターが身体を動かしたことに反応したのか、レアナも眠たげに目を開いた。
「あ……バスター、おはよう」
「おはよう。ゆうべは……すまなかった。あんなことしちまったけど、身体、痛くないか?」
「ううん。でも……ちょっとだけ、痛いかな……?」
 レアナは笑って答えたが、バスターはその返答に慌てたように腕を伸ばし、彼女の背中をさすった。
「わ、悪りぃ。本当にごめんな。俺、どうかしていたんだ……」
「あやまんなくてもいいよ。バスターはなんにも悪いことなんかしてないもん。それよりも……バスター、もう……大丈夫?」
 レアナの言葉にバスターは手を止め、熱を計るかのように彼女の額に自分の額を押し当てた。そして、いつもの笑顔で言葉を返した。
「ああ……俺、気付くのが今更だったって気もするけど……もう大丈夫だ。お前が、そばにいてくれたから……」
「あ、あたしは……なんにもできなかったよ? でも……よかっ……ん」
 レアナの言葉は最後まで続けられなかった。バスターが、彼女の口を自身の口で閉じてしまったからだった。突然のことに、レアナは顔を真っ赤にしたが、抵抗はしなかった。ようやくバスターが唇を離すと、顔を赤くしたまま、レアナは言葉をまくしたてた。
「や……い、いきなり何するのお!? はずかしいよお……」
「礼だよ、ゆうべの」
 口の端をゆがめ、バスターは悪戯っぽい口調で笑って答えた。
「お、お礼って……」
「嫌だったか?」
 相変わらず悪戯っぽく問うバスターの言葉に、レアナはもうこれ以上ないほど顔を赤くし、かぶりを振った。
「……ううん」
「なら、よかったろ?」
 笑いながら身を起こし、バスターが寝台から出ようとしたとき、ブランケットを引っ張り上げて真っ赤に染まった顔を半ば隠していたレアナが、不意に言葉をかけた。
「バスター」
「なんだ?」
「バスターは……いつか、自分が「お父さん」になったとき……バスターのお父さんのこと、ちゃんと話せる? もう、なにも辛い思いをせずに、話せる?」
 突然すぎる不意打ちの質問にバスターは一瞬、表情を固めたが、再び笑顔に戻って返答した。ゆうべレアナが自分に見せてくれたような、優しい笑みで。
「……ああ。話せると思う。悪口なんかじゃなく、少ないかもしれないけど……ちゃんとした思い出をな」
「よかった……あたしも、いつか「お母さん」になったら、あたしのお父さんとお母さんのこと、ちゃんと話してあげたいもん。だから、バスターにもそうしてほしかったの」
「ちゃんとそうするさ。約束する……けど、お前、話が早過ぎるんじゃねえのか?」
「ええ? そうかなあ?……だって、そうなりたいもん。ねえ、こんなことになっちゃったけど……これから先、どうなるのかわかんないけど……いつかきっと、そうなれたら……いいね」
 バスターは返答する代わりに、「夢」を嬉しそうに話すレアナの髪を優しく撫でた。バスターが気付かないまま自身に架していた「枷」が外れた翌朝の、穏やかな風景だった。



あとがき


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