[SKOAL]


 連邦標準時で午前0時に差し掛かろうかという時刻。TETRA内の見慣れた自室にバスターが戻ってくると、寝台の上に小さく丸まったような人影が目に付いた。目を凝らさなくても、それが誰かはバスターにはすぐに判った。他の誰でもない、レアナだった。
 あの夜以来、2人は自然と、バスターの部屋のベッドで一緒に眠る習慣になっていた。パジャマ姿のレアナは、バスターの枕を抱きかかえるようにして、穏やかな寝顔を見せていた。バスターはレアナの髪を優しく撫でると、肩に掛けていたパイロットスーツの上着を彼女に掛けてやった後、備え付けのシャワールームへと向かった。

 一日の疲れを落として寝巻きに着替え、髪を乾かしながらシャワールームから出てくると、いつ目を覚ましたのか、レアナがベッドの上で身を起こしているところだった。レアナは眠そうにごしごしと目をこすりながら、先ほどバスターが彼女に掛けた上着を抱きかかえるようにして、ベッドの上に座り込んでいた。
「あ……悪りぃ。起こしちまったか?」
「ううん、平気。バスターこそ、こんな時間までどうしたの? 艦長に呼ばれてたんでしょ?」
 問いかけるレアナの隣に腰を下ろすと、バスターはそっと彼女を抱き寄せ、額に唇を寄せた。その行為にレアナはほんのりと頬を染めながら、慣れ親しんだバスターのそれとは明らかに異なる匂いに気付いた。
「あれ?……もしかして……バスター、お酒のんだの?」
「やっぱり、わかっちまうか。さっき、艦長に付合わされてさ」
 口元に笑みを浮かべ、バスターは更に彼女を抱き寄せた。バスターの胸にレアナが顔を寄せる形となり、レアナも自然と、バスターの体に腕を回した。そっと目を閉じると、どこか懐かしいバスター自身の慣れた匂いと、アルコールの嗅ぎ慣れない匂いとが、レアナの体へも移ってきそうだった。
「艦長にさ……釘、刺さされちまったよ……」

「バスター、用がある。後でワシの部屋に来てくれ」
 一日が終った頃にそう呼ばれたバスターは、レアナに先に寝ていてくれと断ったあと、当のテンガイの部屋へと向かった。艦長の部屋といっても、他のクルーの私室とたいした違いがあるわけではなく、むしろバスターら若者達の部屋に比べても、質素に片付けられていた。大きな相違点といえば、酒類やグラス、湯呑の類がテーブルの上などに目立つぐらいか。
 衛星軌道上に退避し、相当に積みこんであるとはいえ、限りある食料を厳重な管理下に置くことになってからも、嗜好品は度を越さないという条件付きで、原則的に自由に飲めるようになっていた。バスターらにとってはそれが紅茶やコーヒー類であるように、テンガイにとっては酒類がそうだった。それに、テンガイが自室に置いている酒は、元々TETRA全体での食料品として管理されていたのではなく、全てテンガイが自分で持ちこんだものであったし、更にアルコールという特殊性から、全体の管理から外されていても当然といえば当然だった。
 ともあれ、1年以上TETRAに乗りこんでいる身で、普段は敬語も使わずタメ口を聞いているとはいえ、やはりそこは上官である艦長の部屋。足を踏み入れるのは初めてのことであり、バスターは少々緊張していた。
「来たか。まあ、その辺りに適当に座れ」
 部屋の真ん中に据え付けられたテーブルの傍らにバスターを座らせると、テンガイは二人分のぐい飲みをテーブル上に置き、差し向かいに自身も腰を下ろした。
「お前の性格からすると、酒を飲んだことは、ありそうだな」
 ぐい飲みに日本酒をこぽこぽと注ぐ音が部屋の中に響く中、テンガイはニヤッと笑いながらバスターの顔を眺めた。的を突かれた質問に動揺しながらも、バスターは正直に答えていた。
「ま、まあな……ワル仲間っていうか……そういう連中と、ちょっとはな」
「別に叱るつもりなんぞない。ワシもお前ぐらいの年の頃は、立派な酒飲みになっていたからな」
 なみなみと注がれたぐい飲みの一つをバスターのほうへと寄越し、自分はもう片方をぐっと飲み干した。「酒豪」の名に恥じぬ飲みっぷりだった。空になった陶器にまた酒を注ぎながら、テンガイは再度、口を開いた。しかし、その口調は先ほどとは一転し、真面目なものだった。
「……ところでな。今日、お前を呼んだのは……レアナのことだ」
 ちょうど自分の分の酒に口をつけたところだったバスターは、思わずゲホッとむせた。それでもなんとか口元を拭いながら、バスターは真向かいのテンガイの顔を見た。その表情は、いつにもまして厳しいものだった。
「お前は……レアナのことを、どう思っている? 本気なのか?」
 全く思ってもいない問いかけだった。テンガイは、自分とレアナのことを知っていたのか? いや、そんなことよりも、今は……バスターは、まっすぐにテンガイへ視線を向けた。
「そ……そんなの、わかりきったことじゃねえか! 俺は……真剣だ。こんなこと言うのも、恥ずかしいっていうか、照れくせえけどよ……それこそ自分よりも……大事に思えるぐらいなんだ……!」
 耳まで真っ赤に染めたバスターの告白を聞き終えると、テンガイは二杯目の酒を静かに口元へと持っていった。
「……そうか。その言葉が聞ければ、じゅうぶんだ。悪かったな。突然に聞いて」
 バスターは照れ隠しのように自分の酒を飲み干した。それでも、顔の火照りは取れるどころか、ますますその色を増していた。テンガイはそんなバスターの様子を眺めながら、傍らの日本酒の瓶を手に取った。
「バスター、こんな状況下になってしまったが……約束してくれ。せめてお前と居るときは、レアナを……大切にしてやってくれ」
 いつも厳しいテンガイにはめずらしく、しんみりとした口調だった。バスターはしばし、自分のぐい飲みに注がれた酒を黙って見つめていたが、乾杯でもするかのように、その器を掲げた。
「もちろんさ……言われなくたって……そんなの、当たり前のことだろ。約束する」

 二人で日本酒一瓶を空け、バスターが部屋を退出した後、テンガイは最後に注いだ酒を眺めながら、誰に言うでもなく、独り言のように呟いた。
「全く、わからんもんだな……息子が一人前に所帯を持つ気持ちと、娘が嫁ぐ気持ちを、同時に味わうことになるとはな……」

「そうだったんだ……」
 バスターの胸に顔をうずめたまま、ぽつりとレアナが呟いた。バスターの背に回した腕に力がいっそう篭り、それに同調するように、バスターもまた、彼女を強く抱き寄せていた。
「だけど、艦長が心配しなくても……バスターは、ちゃんと艦長との約束、守ってるよ。だって、あたし……今も、すごく幸せだもの……」
「レアナ……」
 肩を抱き、バスターはレアナの顔に再び目線を落とした。互いの顔が近づいた時、不意にレアナが口を開いた。
「……でも、ずるいなあ」
「ずるい? 何がだよ?」
「お酒。バスターだけ飲ませてもらえるなんて、ずるいよ」
 バスターはククッと笑みをこぼし、レアナの髪を梳くように撫でた。
「お前に飲ませたら、大変なことになりそうじゃねえか。それこそ、艦長でも手が付けられねえようなことになっちまうかもな」
「ひどーい!……でも、今日は……許してあげるね?」
 レアナはやわらかな笑顔を浮かべていた。バスターが自分自身よりも守りたいと願う少女の、守るべき最高の笑顔だった。

 バスターとレアナにとって特別な日となった「あの日」から1週間ほど後の――ある夜の出来事だった。



あとがき


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