[One and Only...]


「入るぞ?」
 ノックのあと、ほんの少しの間を置いて、聞き慣れた声がレアナの耳に入ってきた。
「……バスター?」
 抱えていたぬいぐるみから顔を上げると、ちょうど扉を開けて足を踏み入れたバスターと目が合った。レアナの力ない様子を目にしたバスターの表情がわずかに歪む。
「……どこか具合でも悪いのか? お前、昨日からずっとそんな調子だろ?」
 答える代わりに、レアナはゆるゆると首を振った。だが、その様にはやはり生気が感じられない。
 厳しげな表情を変えぬまま屈みこんだバスターが、彼女の額に手を当てた。レアナにとっては暖かく、そして大きな感触だった。
「熱は無いみたいだな……けど、もう休めよ」
「……うん」
 自分の額に手を置くバスターを見上げながら、レアナはこくりと頷いた。実際、先刻から彼女はベッド脇に座りこんだままだった。
「こんな床で直に寝ちまったら、本格的に風邪ひくぞ」
 少しおどけた口調で、表情も緩めてそう言うと、バスターは小さな額から手を外そうとした。だが、レアナの手が不意にそれを阻んだ。小さな手に比例するような小さな力しかなかったが、それでも懸命にバスターの手を放すまいとする意思が、そこにはあった。
「……?」
「……バスター」
 大きな瞳には知らぬ間に涙がたまり、今にも零れ落ちそうなほどだった。
「ど……どうした?」
 困惑したバスターがしゃがみこんでもレアナはその手を放そうとせず、もう片方の手で必死に涙をぬぐいながら、ようやく口を開いた。
「夢を……見たの……」
「夢?」
「……お父さんとお母さんがいなくなった日の夢……目が覚めたあとも、ずっとこわかった。もうずっとそんな夢、見なかったのに……」
 バスターは黙ったまま聞いていた。ただ、その手に込められた力は知らずに強くなっていた。
「それだけじゃなかった……ゆうべも……また……」
「……同じ夢、見たのか?」
 心配そうな静かな口調でバスターが尋ねる。だが、レアナは小さく首を振った。
「ちがう……今度はお父さんとお母さんじゃなくて、テトラのみんなが……急にいなくなっちゃう夢だったの……艦長も、ガイも、クリエイタも……バスターも……」
 拭い切れなかった涙が零れ落ち、レアナの膝の上に染みを作った。
「どうして、こんな夢見ちゃうんだろ。こんな怖くていやな夢、続けて……やだよ。いやだよお……」
「……夢は、夢だろ? 夢が何もかも現実になるわけねえよ」
「……でも……でも、あのときみたいなことになったら……地球に降りたときに、1年前みたいなことがもう一度起きたら……こんなこと考えたくないのに、どうしても頭から離れないの。離れなくなっちゃったの……!」
 絞り出すように言葉を終えると、レアナは完全に俯いてしまった。レアナの視線を追うようにバスターも目を落とすと、握られたままの自分とレアナの手が視界に入った。
「……あと2ヶ月もすれば7月だな……もう1年か。ここで待ちぼうけ食わされるようになってから……」
 ほんの少し口篭もった後、バスターはすっと顔を上げた。キッとした、固い顔だった。
「……多分、近いうちに俺達は地球に降りなくちゃならないだろう。いつまでもこの軌道上に退避しているわけにはいかない」
 嫌がおうにも地上に降下しなければいけない、そしてその時期は迫っている――それはバスターのみならず、TETRAクルー全員の脳裏にあることだった。
 ゆっくりと顔を上げたレアナの目を捉えたまま、更にバスターは続けた。
「1年前のこと思い出したら、お前が不安になっちまうのも無理ないよな……けどな、俺達はみすみす死にに行くわけじゃない。あの石みたいな塊に無抵抗のまま終わる気なんてさらさらない。何があったのか、何をすべきなのかを知るために……生きるために地球に戻るんだ。だから…そんなに泣くことなんてねえんだ、な?……それに今ここには、まだみんないるだろ? ガイも、艦長も、クリエイタも……俺も……」
 それだけ言い終えると、空いている側の手でレアナの髪にくしゃっと触れた。こころもち頭を引き寄せ、にっと笑う。レアナが見慣れた、楽天的な笑顔だった。
「こうやって…ちゃんと目の前にいるじゃねえか」
 レアナの表情には目に見えて変化はなかったが、もう泣いてはいなかった。バスターはほんの少しだけ彼女が笑ったように感じ、安堵した。
「知ってるかぁ? あんまり泣き過ぎると目玉が溶けてなくなっちまうんだぞ?」
「え!?……もぉ! ウソでしょ? いくらあたしだって、そんなの信じないよぉ?」
 クスクスとレアナが声を上げて笑い、つられるようにバスターも笑う。ひとしきり笑った後、レアナが落ちついた様子で笑顔のまま、口を開いた。
「……1年前のこと、今でも信じられないような気がたまにする……でも、テトラのみんながいっしょだったから……あたし、今でもこんな風に笑うことができるんだよね、きっと。今も……こうしてバスターがそばに居てくれることが……すごく……すごく、うれしいもの」
 もう片方の手もそっと添え、レアナは両手でバスターの手をいっそう強く握った。
「バスターと一緒にいると、いちばんあったかいんだもの……ふしぎだよね」
 その屈託ない笑顔を見た瞬間―バスターの鼓動が高まった。レアナの言葉が、その意味が、心の底から嬉しかった。同時に自身が彼女に抱いている想いが溢れだした。止めることが出来なかった。バスターはゆっくりと、けれども強くレアナを引き寄せていた。自分を捉える真剣な表情に一瞬惑いの表情を浮かべたものの、レアナもまた、その眼差しから目をそらすことが出来なかった。
「……変だよな。俺も……俺は……」
 バスターの腕に知らずと力が込められた。細く小さなレアナの体が折れそうなほどだった。
「お前がそばに居てくれることが…俺に笑ってくれることが…なんでこんなに嬉しいんだ……」
 その答えはバスターには分かりきっていたことだった。けれど、それ以上言葉は続かなかった。言葉の代わりに静かに顔を引き寄せ、レアナのヘアバンドを外す。レアナの頬がいっそう朱に染まった。――程なくふたりの唇が重なった。固く結ばれたふたりの手は、決して互いを離そうとはしなかった――。


 やわらかな灯りの下で、レアナの肌は白く輝いて見えた。大切すぎる存在が自分の腕の中に、互いの体温を感じられるほどそばに居る、それがどんなに幸福なことなのかを――バスターは今まさに感じていた。そんな存在に巡り会うことが出来た偶然に、感謝せずにはいられなかった。  


 すぐ傍の少女――レアナの額に張りついた幾筋かの髪の毛を、バスターはそっとかき上げてやった。切り揃えた髪の毛が、レアナの肩口でパラパラとシーツの上に広がっていた。
「レアナ……」
「なあに……?」
 小さな声でレアナが答えると、気遣うようにバスターは続けた。
「その……どこも……大丈夫か……?」
 こくり、と小さく頷いたレアナの肌は、頬のみならず、首筋までほのかに赤く染まっていた。微かに震えていた剥き出しの肩は、今は淡く、まるでわずかに光を放っているかのように落ちついていた。その様はバスターには、何よりも綺麗だと素直に思えた。
 不意にレアナがそっと手を伸ばし、すぐ目の前のバスターの前髪に触れた。
「髪……のびたね」
「……もう長いこと、切ってねえからな」
「明日、切ってあげようか」
「ちゃんと切れるのかよ?」
「もぉ……! そろえるくらい、できるよぉ?」
 からかうようなバスターの口調に頬をぷっと膨らませて抗議するも、すぐに笑顔に変わっていた。ありったけの優しさに溢れた、バスターの知る最高の笑顔だった。二人はどちらともなく、いっそう体を寄せ合っていた。
 バスターの胸に顔を寄せたまま、レアナはゆっくりと眠りに落ちていった。バスターもまた、レアナのぬくもりと匂いを感じながら目を閉じていた。

 穏やかなふたつの寝息だけが、部屋の中に響いていた。



あとがき


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