[守るべきもの]


 しまった、と気付いたときにはもう遅かった。足元からバランスを崩したバスターは、かろうじてレアナを抱え込んで彼女をかばったものの、彼自身はしたたかに背中を床に打ちつけていた。
 格納庫に設置されているキャットウォークからレアナが足を滑らせ、すぐそばにいたバスターが彼女の体を掴んで止めようとしたのだが、結局バスターまでもが足場から落下した結果だった。

 とっさに受け身を取って頭を直撃する事態は免れたが、少なからずバスターの意識は朦朧としていた。まぶたは開いているはずだったが、視界に映るものの輪郭がぼやけていた。
 だが曖昧な視覚とは対照的に、聴覚ははっきりと機能していた。まず最初に聞こえたのは、自分の名前を必死に叫ぶレアナの声だった。
「バスター! バスター!!」
「おい、大丈夫か!? クリエイタを呼んでくるから、それまで下手に動くなよ!」
 ガイの注意を受け、レアナはバスターの体を揺さぶったりはしなかったが、それでも彼の体にはすがりついたままだった。
 徐々に視力が戻り、節々、特に胸部に痛みを感じてはいたものの、自分の体の自由が効くことを確かめるようにバスターは右腕をゆっくり持ち上げると、仰向けに倒れている彼にしがみつくレアナの頭を撫でた。
「バスター……? だいじょうぶなの?」
「ああ……大げさだな、お前もガイも」
 レアナの瞳からこぼれる涙を自分の指で拭ってやりながら、バスターは苦笑いを浮かべた。
「だって、あたしがドジしちゃったせいで……」
「だからってお前が泣くことはねえだろう、な?」
 涙で濡れたレアナの頬に手をやり、小さな子供をあやすようにバスターは言葉を続けた。時を同じくして、ガイとクリエイタが駆けてくる足音が金属の床を通してバスターの頭部に直接響き、近づいてきていた。

「ロッコツ ノ ニカショ ニ ショウキボ ノ フゼンコッセツ ヲ カクニンデキマスガ、ソノホカノ ジュウダイナ イジョウショケンハ トクニ ミウケラレマセン」
「そうか。大事にならなくてよかっ……痛てて」
「ムリハ シナイデクダサイネ。コツタイシャソクシンザイ ノ トウヨ ト イッシュウカン ノ アンセイ デ ホボ カイフク スルデショウ。チンツウヤク モ ダシテオキマスノデ」
「一週間か……それくらいで済むなら大したケガでもないな。サンキュー、クリエイタ」
「ドウイタシマシテ。オダイジニ シテクダサイ」

 処方された薬剤を手にしたバスターが医務室から出てくると、扉のすぐ脇にはガイとレアナが立っていた。
「どうだったんだ?」
「肋骨に少しヒビが入っただけだ。一週間の安静と薬で治るってよ」
「アバラだけですんだのか。悪運が強えな」
「お前に言われたかねえよ。ま、不幸中の幸いってヤツだ」
 そんな風に軽口を叩きあうバスターとガイを後目に、レアナは普段の彼女とはまるで正反対に黙ったままだった。バスターとガイが視線をさりげなく向けても、レアナは会話の輪に入ろうとしなかった。
「それじゃ、俺様は艦長に用があるから。ついでにお前のケガの程度も報告しておいてやるよ」
 じゃあな、と軽く手を振ってガイは去っていったが、それはバスターとレアナへの、彼なりの気遣いだった。バスターはそんなガイらしい配慮に無言で感謝の念を送ったのち、改めて意気消沈しているレアナに目をやった。

 普段、人前では明るく振る舞っているものの、それが常にレアナの本心からであるとは限らないことに、一年近くこのTETRAで生活を共にする間にバスターは気付いていた。もちろん、レアナの心には生来の純粋さや明るさ、優しさが元から根づいているが、それでも時折、無理しているのだろう彼女の心をバスターは見抜いていた。
 だからこそ、いつもと違って空元気さえ見せず、正確には見せることも出来ず、いま目の前にいるレアナが悲痛な表情を浮かべている姿は、バスターから見てあまりに痛々しいものがあった。その様は、不慮の事故だったとはいえ、自分が責任の一端となって大事な仲間に――ましてや他ならぬバスターに――ケガを負わせてしまった事実が、それほど大きくレアナにのしかかっているのだという証明だった。
 そんな沈みきった表情でうつむいたまま、レアナはバスターに謝罪を述べた。
「バスター……ごめんなさい」
「お前がそんな顔をしてまで謝ることなんてないさ」
「でも」
「お前は何もケガしなかったし、俺だってアバラにヒビが入っただけで済んだ。それでいいだろう?」
「でも……大ケガでなくても、バスターがケガしちゃったのは本当のことじゃない」
「確かに俺はケガしちまった。けど、お前は無事だったし、俺だってこの程度で済んだんだ」
 バスターはそこでいったん言葉を区切ると、顔を横へ逸らし、残りの本音を吐き出した。
「これがもしも逆だったら……そんなこと、想像しただけでゾッとする」
「バスター……?」
「……もういいだろう。これ以上、恥ずかしいこと言わせるなよ」
 バスターがそう言って彼らしからぬはにかんだ顔を見せると、レアナの表情も、ほんの少しだが明るくなった。
「……じゃあ、今度はバスターがあぶない目にあう前に、あたしが助けなきゃね。バスターからは『貸し』ができちゃったんだし」
「貸し?」
「前にガイが敵につかまっちゃったのを助けたとき、バスターがガイにそう言ってたじゃない。だから、あたしもそうでしょう?」
 それは約一年前、地球上の人類が全滅したあの7月14日。謎の敵性物体にガイの駆るシルバーガン3号機が捕縛され、その際にガイを助けたとき「これで貸し1つだぜ?」とバスターが言った出来事。そのことをレアナは指し示していた。
「なんだ、あんなことか。あのときはあのときだ。別にいいぜ、そんなこと」
「それでも……あたしがバスターにちゃんとなにかお返ししたいんだもの」
「そうか? お前も案外頑固だな……よし、それなら……」
 言い終わるや否や、バスターはレアナの腕を引き寄せると、彼女の額に唇で触れていた。バスターの体温が彼の唇を通してレアナの肌に直に伝わり、額にキスされたのだと気付いたレアナは、文字通り真っ赤に熟れてしまっていた。唇を離してそんなレアナの様子を見つめるバスターは、レアナだけが知る優しい顔をしていた。
「これで貸し借りなしだろ?」
「……え、えっと……こ、これでいいの?」
「じゅうぶんすぎるくらいだ。それとも、もっと色々やってもいいのか?」
「!……も、もっと……って……」
 バスターの大胆な発言にレアナはうろたえ、顔色は既に熟れたトマトを通り越し、形容しがたいほど赤く染まっていた。
「冗談だよ。お前は本当、見ていて飽きねえなあ」
 悪戯めいて笑うと、バスターはレアナの頭に手をやり、細く光沢のある髪を指先で撫でながら梳いた。
「いじわるなんだから、もう……だけど……」
「なんだ?」
「いきなり今みたいなことしたって、やっぱり……バスターはやさしいね」
「なっ……!」
 突然のレアナの発言にバスターははからずも面食らったものの、すぐにいつもの調子を取り戻して返答した。
「藪から棒に何を言い出すんだよ、いきなり」
「そうかなあ?」
「そうだろうが。だいいち、俺は善意で出来てる人間なんかじゃねえしな」
「ううん、そんなことない。バスターはそんな人じゃないよ」
 レアナはバスターのパイロットスーツの裾を引っ張り、彼を見上げて満面の笑顔を見せた。ずっと泣いていたせいでレアナの目元は腫れて紅潮していたが、それでもバスターには愛しく思える笑顔であることに変わりはなかった。

「ありがとう、バスター」

 そう言って微笑むレアナと目が合ったバスターは、そっとレアナを片腕で抱き寄せ、彼女の淡い色の髪に顔を半ばうずめていた。胸に残る痛みも忘れ、そうすることが当たり前であるかのように。バスターの力強さと体温に身を委ねるレアナの耳元で、バスターはささやいた。

「俺のほうこそな、レアナ」

 いつもの素直とは言い難い気性の持ち主であるバスターならば、まずそんな振る舞いをしようとも、ましてや自身の想いをそのまま口にしようなどとも、決して思わなかったはずだろう。だが今のバスターにとって、レアナという守るべき存在が己の腕の中にあるのは紛れもない現実であったし、そして何物にも代え難い――至上の幸福だった。



あとがき


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