[Tears of Pleasure]


 「悲しみの感情から涙を流すのは人間だけだ」―――クリエイタが生まれて間もなく、頭脳回路がまず仮のボディに入れられて教育を受けていた頃、そんな言葉を彼は聞いた。おそらくは科研3部の研究員の誰かが何気なしに口にした言葉だったのだろう。だが、まだ誕生したばかりだったクリエイタにとって、その言葉は興味深いものだった。

―――ソレハ ドウイウ イミナノデスカ?

 クリエイタは素朴な疑問を、研究員に問うた。質問を受けた研究員はしばらく考え込んでいたが、「人間とはそういうものだ。いずれお前にも分かるだろう」とだけ答えた。おそらく、先の言葉を言った本人である彼にも、説明し難いものだったからだろう。クリエイタも、それ以上質問を続けようとは敢えてしなかった。だが、クリエイタの心には、「人間は悲しくて涙を流す」という、その言葉が知らずのうちに根付いていた。

 数年が経ち、クリエイタの頭脳は正式なボディに組み込まれ、巡洋艦TETRAに配属された。そんなある日、クリエイタの作業を手伝っていたレアナが何気なくグローブを外した際、彼女の指に光るものがあった。その輝きに気付いたクリエイタに、レアナは正直に話した。

―――これね、バスターが誕生日にくれたものなの……

―――バスターガ……?

―――そう。バスターのお母さんのものなんだって……そんな大切なものをくれたんだよ……

 レアナは左手の薬指にはめた指輪を愛おしげに触っていたが、その瞳はいつしか潤みはじめ、涙が一粒、二粒と零れ落ちた。思ってもいなかったレアナの涙にクリエイタは驚き、慌てて声をかけた。

―――レアナ? ドウシタノデスカ? ナニカ カナシイコトデモ?

―――ううん、ちがうの。うれしくて……つい泣いちゃったの……

―――ウレシクテ……?

―――うん。うれしくって。ふしぎだよね、うれしくても、人間って泣いちゃうものなんだよ……

 レアナは涙を指で拭き取ると、クリエイタを思いやるように、笑顔で彼を抱きしめた。バスターとレアナの間に特別な感情があること、そしてそれがあの大災厄の日以降のこの環境の中で特に大きくなっていることには、クリエイタも気づいていた。
 だから、レアナがバスターからの贈り物を喜ぶ気持ちは充分に分かっていたが、その感情からレアナが涙を流したことには、内心で驚いていた。人間は『悲しみ』だけでなく、『喜び』でも涙を流し、そしてそれも、人間固有のものだということを知ったからだった。それは研究室では教えてはくれなかった真実だった。

 それから幾ばくもなく2521年7月13日が訪れ、さらに20年の月日が流れた。ひとり残されたクリエイタは、孤独に耐えながらも自分に託された使命を果たしていた。やがて、育成ケースの中で眠るバスターとレアナのクローンがオリジナルと同年齢にまで成長したとき、二人へ目をやり、クリエイタはいよいよ自身の寿命が尽きるときが来たことを悟った。

 そして遂に、その命が終わる刹那、クリエイタはアイモニターに微笑みを浮かべ、二十数年の生を終えた。その目には漏れ出たオイルがこびりついていた。まるで涙のように。

 孤独な20年の間に、クリエイタは自分が涙を流す機能を持たず、それゆえに悲しみの涙を流せないことに苦悩したこともあった。だが、その生涯の最期のときは、悲しみは感じなかった。自分はやるべきことを成したのだから、いつかまた彼らと会えるのだからという思いのほうが強かったから。

 だからもし、クリエイタの意識に問うことが出来たならば、自分の最初で最後の涙は『悲しみ』の涙ではなく、『喜び』の涙だと答えたに違いない。在りし日にレアナがクリエイタに教えた、あの涙と同じく。



あとがき


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