[Glass of Memories]


 「おーい。バスター、いるか? 入るぞ?」
 扉の向こうからの声に、バスターはハッと目を覚ました。それはさほど大きくない声だったが、軍人として訓練を受けた彼にしてみれば、反応するにはじゅうぶんなものだった。
 ベッドから身を起こすと、バスターの返事を聞くまでもなく、ガイが扉を開けて入ってきていた。いつものフライトジャケットを脱いで青いインナー姿で寝台に座っているバスターを見て、ガイは再度、声をかけた。
「どうした? 具合でも悪いのか?」
「いや、ただ一眠りしていただけだ。さっき、トレーニングして少し疲れたもんでな」
 そう返答したバスターが枕元に設置してある時計に目をやると、連邦標準時で午後6時半過ぎを示していた。
「お前こそ、なんでここに……ああ、もう夕飯の時間か」
「そうだぜ。いつも時間にきっちりなお前が来ないから、呼んできてくれってレアナに頼まれたんだ。今日はあいつ、クリエイタの手伝いしてるからさ」
「そうか。じゃ、行くとするか」
 多少乱れた赤い髪を手ぐしで整えながらバスターは立ち上がり、傍らのデスクの椅子にかけてあったジャケットを片手に取った。袖を通そうとしたとき、ジャケットの内側についているポケットから、何かが滑り落ち、カチャリと音を立てた。部屋から出ようとしていたガイがその音に気づき、バスターのほうを振り返った。
「おい、なんか床に落ちたみたいだぞ」
「わかってる」
 バスターは手を伸ばし、足元に落ちている金属片を拾い上げた。ガイはバスターの指に絡まったものに何気なく注目した。
「なんだそりゃ?……ああ、ドッグタグか」

 縦1cm・横3cmほどの小さなステンレス製プレートで出来ているそれは、地球連邦軍所属の軍人ならば誰でも持っている認識票、通称ドッグタグとも呼ばれるものだった。首から吊るせる長さのステンレスチェーンが通されており、プレート内には所有者を示す超小型電子チップが組み込まれている。だが、有害電磁波などで電子データが破壊された場合も考慮し、プレートの表面には連邦軍のマークと共に姓名や血液型、個人認識番号などがエッチングで刻まれていた。一見するとアナクロニズムではあったが、戦場や災害時では最も利便的な方法だとして、最初に認識票が発明された19世紀末から500年以上が経ったこの時代においても、金属プレート表面へのデータ刻印という形式は受け継がれていた。
 バスターは首にこそ掛けてはいなかったが、有事の際にはすぐに身につけられるよう、フライトジャケットの内側ポケットにドッグタグを常に入れていた。いつもならポケットのジッパーを閉めているので無くすことなどないのだが、今日はうっかりジッパーをかけ忘れていたため、ポケットから滑り落ちたという次第であった。

 ただそれだけなら、ガイもすぐに興味を失ったに違いない。だが、金属プレートの横に、見慣れないものが一緒にチェーンに吊るされていることに気づいた。大きさや形は認識票と同じくらいで、少し曇りがかかって不透明なものの、微かに光って鉱物の結晶のようにも見えた。
「なんだそれ? 宝石か?」
 ポケットにドッグタグを収めようとしていたバスターは、ガイの疑問に手を止めた。ややバツの悪そうな顔をしたが、見られてしまったものは仕方がないというような風情でバスターは答えた。
「いや……ただのガラス片だ。宝石なんて高価なもんじゃない」
「ガラス? じゃあ、なんでそんなところにつけてるんだ?」
「レアナがくれたんだ。浜辺とかに落ちているやつで、波に揉まれているうちに角が取れて、こういう丸っこい形になるんだよ」
 バスターは出来る限りそっけなく言ったつもりだったが、ガイはバスターの言葉に何かピンと来るものがあったらしく、腕組みをしてニヤッと笑った。
「へえ〜、レアナがねえ……そうか、そういうことか」
「何が『そういうこと』なんだよ」
「いやいや、何でもねえって。それよりさっさと食堂に行こうぜ。艦長たちが待ってるしな」
 ガイはニヤニヤと笑ったまま、踵を返してバスターの部屋から出ていった。バスターはガイの態度に引っ掛かる部分があったものの、ドッグタグを改めてポケットに収め直すと、自身も食堂へ向かった。

 質素ながらもクリエイタが工夫を凝らして用意した夕食を食べ終えると、バスターは再び自室に戻った。筋力低下防止トレーニングも夕食前に終えていたし、今日は特にすべきこともないなと思っていたとき、扉をノックする音がした。
「誰だ? 鍵は開いているから入れよ」
「あたし。はいるよお?」
 スッと扉が開くと、レアナが部屋に入ってきた。
「レアナか。何か用か?」
「え、なにって……バスターがあたしに用があったんじゃないの?」
「へ?……何のことだ?」
 バスターとレアナはお互いの言葉に面食らった。ほんの少しの間を置いた後、レアナはきょとんとした表情のまま、口を開いた。
「だって……さっきの夕ごはんのあと、ガイが言ってきたんだよ? 『バスターがお前に見せたいものがあるみたいだぞ』って……」
 レアナの言葉に、バスターはガイにしてやられた、と思った。しかし、なぜかこのままレアナを返す気にもなれず、観念した態度でジャケットの内ポケットからドッグタグを取りだした。掌に載せたそれをレアナに見せると、レアナは不思議そうに覗きこみ、あっと声を漏らした。
「これ……あたしが前にあげたガラスのかけらだよね? バスター、こんな風にして持っててくれたんだ……」
 バスターの手の上の認識票とガラス片にそっと触りながら、レアナは嬉しそうに笑顔を見せた。バスターは照れくさそうに口元を曲げながらも、視線は目の前のレアナを捉えていた。
「あのね……あたしもね、いつも持ってるんだよ」
「あ?」
 レアナはジャケットの前ボタンを外し、赤いインナーの首元を広げ、中に指を入れた。予想もしなかったレアナの行動にバスターは面食らったが、彼女がインナーの中から取りだしたものを見て、更に驚いた。
「ペンダント?……それは……」
「ガイにたのんで作ってもらったの。きれいだからこういう風にしてって。あたしじゃ、こういうのは作れないから」
 レアナの白い手の上には、以前、彼女が見せてくれたガラス片が載っていた。しかしそれはただの楕円形の欠片ではなく、細い金属の枠にはめこまれ、チタン製の細長いチェーンネックレスと繋がって、レアナの首から下がっていた。
「いつもインナーの下にしていたから、気づかれなくても当たり前だよね」
 レアナは少し頬を赤らめて言った。確かにガラス片自体が元々それほど大きいものではなかったうえに、チェーンも細いものだったので、ぴったりとしたインナーの上からでも目立たなくても当然だった。
「お前なあ……これくらいなら俺だって細工出来るぞ? なんで俺じゃなくてガイに頼んだんだ?」
「だって……」
「だって?」
「……なんだか、バスターにたのむのは恥ずかしかったんだもん。それにこれ、バスターの目と同じ色だから、よけいに……」
 いっそう顔を赤くして、レアナはもじもじとしながらペンダントトップとなったガラス片を指でいじった。言われてみれば、レアナの首から下がっているガラスは、バスターの瞳とよく似た紫色をしていた。

 そのレアナの様子から、バスターは彼女の心情を理解した。自分だって常に身につけているドッグタグと一緒に、レアナから贈られたものを吊るしているなんて、このTETRAのクルーたち、特にレアナには隠していたではないか。不慮の事態でガイに見られなければ、ずっと隠したままだっただろう。バスターはレアナの手を片手で包み込み、もう片方の手で自分のドッグタグとガラス片を握った。
「俺たち、実は同じことをしていたって訳か……まったく……」
 やれやれといった感のバスターの口調に、レアナは不意に不安になったが、面を上げて見た彼の顔でそんな不安は消え去った。少し呆れたようでありながらも、バスターは優しく笑っていた。
「ゆるしてくれるの?」
「許すも許さないもないだろ?……こんな嬉しいことなのによ」
 普段ひねくれている自分らしくもないとバスターは思ったのか、台詞の後半は小声になっていたが、レアナには大きな喜びだった。次の瞬間、レアナはぱあっと満面の笑顔を咲かせ、バスターの胸に抱きついていた。
「お、おい……」
 バスターは突然のレアナの行動に戸惑ったが、彼女を引き離そうとはしなかった。レアナの頭に手を置き、ぽんぽんと小さな子供をあやすように、光沢のある艶やかな髪をなでた。
「……明日は、ガイに冷やかされること必至だな……まあ、それでも別にいいか」

 そうバスターは呟き、心の中で続けて思った。こんな風に照れながらも素直に本心を言えるなんて、自分もこのガラス片と同じように丸くなったんだろうかと。ガイ、テンガイ、クリエイタ、それに今、目の前にいるレアナというひときわ穏やかで優しい波と触れあい、洗われたことで。



あとがき


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