[時間結晶]


 日頃の疲れからレアナが熱を出して一日が経った。ずっと眠っていたからなのか、それともクリエイタの処方した薬が効いたのか、熱はほとんど下がっていた。
 それでも大事を取ってもう一日安静にしているようにとのテンガイ直々の艦長命令から、レアナは自室で横になったまま、時折、うとうとと浅い眠りを繰り返していた。

 そんな風に半日が過ぎた昼下がり、彼女の部屋を訪れる者があった。
「だれ?」
 ノックの音に気付いたレアナがそう尋ねると、扉の向こうから聞きなれた声が返ってきた。
「俺だ。入ってもいいか?」
「バスター? うん、いいよ」
 元より鍵をかけていない扉はスッと開き、バスターが片手にトレイを持って入ってきた。レアナは起き上がると、サイドテーブルに置かれたトレイの上の飲み物に興味を示した。
「これ、なに?」
 2つのマグカップに入れられて温かな湯気を浮かべているその飲み物は、レアナが見たところでは茶の類でも、ましてやアルコール飲料でもないようだった。
「『しょうが湯』っていうらしい。しょうがってくらいだから、ジンジャーティーの仲間みたいなもんかもしれねえな……ほら、何か羽織れよ。体を冷やすとまた熱がぶり返しちまうぞ」
 バスターはレアナの疑問に返答すると、ベッドの上掛けに重ねられていた毛糸のショールを手に取り、レアナの両肩を包むようにかけた。普段は周囲に無関心な様子を装っていても、結局は放っておけない彼の優しさを、レアナは心の内で嬉しく感じ取った。肩からかけられたショールを胸の前で合わせながら、レアナは再びマグカップに目をやった。
「しょうが湯? クリエイタが作ってくれたの?」
「いや、作ったのはクリエイタなんだけどな。レシピはガイが知ってたんだ」
「え……ガイが?」
「ああ。子供の頃から風邪を引きかけると、あいつのおふくろさんがいつも作ってくれたものだって言ってた。『体をあっためるにはこれが一番なんだぜ!』って、自信たっぷりに言ってたぞ」
 バスターはそう言うと、マグカップのひとつをレアナのほうへ差し出した。受け取ったレアナは湯気とともに立ち上るしょうがの匂いを嗅ぎ、恐る恐る口をつけてみた。
「……なんだか、ふしぎな味だね」
「そうだな、俺も飲んだことがない味だ。まずくはねえけど」
 レアナと同じように一口飲んだバスターは、率直な感想を述べた。
「俺としちゃ、風邪にはエッグノッグも捨て難いと思うけどな。でもお前には飲ませられねえな。あったまる前に酔っ払っちまうだろうから」
「なんでよ。もう、いっつも子どもあつかいするんだから」
 レアナはぷっと頬を膨らませて抗議したが、その姿は彼女の「子供っぽさ」をより強調しているようで、バスターには微笑ましく映った。
「しかし、ガイが風邪引くなんて考えられねえ事態だよな。あいつ、真冬にシャツ一枚でも平気そうだってのに」
「そんなこと言っちゃ、ガイに悪いよお?」
 バスターの茶化した言葉をたしなめながらも、レアナも機嫌を直してくすくすと釣られて笑った。熱いしょうが湯を再び飲むと、本当に体が暖まってくるようで、しばらくは二人とも、無口ですすっていた。

「ごちそうさま。ガイにお礼を言わなきゃね。でも……」
「どうした?」
 空のマグカップを両手で包みこんだまま口ごもったレアナの様子に、バスターが訝しげに尋ねた。
「ううん、ただ……これも、ガイにとっては『お母さんの味』のひとつなんだなあって……そう思ったの」
 少し寂しそうに笑ったレアナの横顔に、バスターはハッとした表情になり、小さな声で返答した。
「……すまん」
「や、やだな。どうしてバスターがあやまるの?」
 予想もしなかったバスターの言葉にレアナが戸惑うと、バスターはうつむいたまま言葉を続けた。
「お前は……そういうものとは無縁だっただろ? それなのに配慮しねえで……」
「そんなこと……気にしないで」
「けど……」
「あたし、たしかに施設で育ったけど……イヤなことばかりじゃなかったよ。もちろん、さみしかったことも多かったけど……だけど、楽しいことやうれしいこともちゃんとあったもの」
 バスターが顔を上げると、彼の顔をのぞきこむように心持ち身をかがめ、レアナが穏やかに笑っていた。
「それにね、今のあたしはちっともさみしくなんかないもん。だからいいの」
「そうか……?」
「うん。だって、だいじな仲間がこんなにいるんだもの。だから、昔のことで悲しくなる必要なんてないと思うから……バスターも、そんな顔しないで。ね?」
 レアナはそっと手を伸ばし、マグカップを持ったままのバスターの手に触れた。ただそれだけだったが、バスターには、レアナの陽だまりのような暖かさが伝わってくるような感触を受けた。
「そうか……気の回しすぎだったな。俺らしくもねえな」
 バスターが苦笑すると、レアナはまたくすっと笑った。
「そんなことないよ、バスターってば。だけど、ひとつだけ残念だなあって思うこともあるよ」
「なんだ?」
「みんなと……このTETRAのみんなと、もっと早くに会いたかったなあって。そうしたら、もっともっと楽しかったりうれしかったり、そんな思い出を作れたのにって」
「それは……そうかもな。そう言われてみると、俺も残念かもって思うな」
「でしょ? だけど、もう仕方ないことだから……今の、これからの時間をいっぱいに感じようって思うの。こんな状況だし、先がどうなるかわからないけど……だから、なおさら大切にしなくちゃいけないよね」
 バスターだけでなく、改めて自分に言い聞かせるようにそれだけ話すと、レアナは傍らのバスターの胸に身を寄せた。
「バスターとは……いちばん早くに会いたかったな」
 バスターは何も答えず、レアナの肩に優しく手を回した。レアナはいっそうバスターに身を寄せ、彼の胸に手を置いた。バスターの心音を静かに、しかしはっきりと聴き取りながら、レアナは言葉をもらした。
「会えずにいた時間のぶんまで、いっしょにいたいって……今までも、これからも、今も……いつも、ずっと思っているんだもの……」
 レアナの肩を抱く手に力を込め、バスターは絞り出すように呟いた。
「そんなこと、俺だって……」

 それ以上続けることはバスターには出来なかった。無理に言おうとすれば、涙がこぼれ落ちそうだった。せめてこれからの許された刻を、この少女と出来る限り分かち合いたい。ただ、そんな想いだけが、バスターの心を占めていた。



あとがき


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