[緑の庭]


「木を植えたいな」
 レアナがふと呟いた言葉に反応し、バスターは彼の隣に座る彼女に目を移した。
「なんだ? 急に?」
 レアナもバスターのほうへ顔を向けて答えた。
「地上に降りられたら、なにか木を植えたいの……ぶじだったらだけどね」
 表情こそ笑顔だったが、「ぶじだったら」と言うレアナの語尾は悲しげだった。自分の負の感情はなるたけ人に見せない、見せたがらないというレアナの性格をバスターは熟知していた。だからこそ、レアナが抱えている不安は隠し切れないほど大きいものなのだと言うことに、バスターはすぐに気付いた。
「無事に行くさ。そう言ったろ?」
 片手をレアナの肩に置くと、バスターはレアナが見慣れた笑みを浮かべて言った。2週間ほど前、物資欠乏から必然的に間近に迫った地上降下への不安からだろうか、辛い夢を見たと泣いたレアナに対し、バスターは同じ言葉を同じ表情でレアナに言っていた。そんなバスターの優しさはレアナの涙を拭い、彼女が失いかけていた笑顔を蘇らせた。
 それ以来、レアナは以前にも増して、バスターのそばにいることが多くなった。今夜も、バスターの部屋で何をするでもなく、二人は並んで腰を下ろし、バスターが私物として持ち込んでいたミュージックデッキから流れる静かな曲調のクラシックに耳を傾けていたのだ。
「そうだよね……うん、そうだよ。ごめんね、変なこと言っちゃって」
「別に謝る必要なんかねえさ。それより木を植えたいなんて、またどうしてだ?」
 レアナが少しでも不安から解放されるようにと、バスターはさりげなく話題を変えた。その気遣いが届いたのか、すまなそうにしていたレアナは、また笑顔を取り戻していた。
「あ、そのこと?……子どもの頃からね、花が咲いて、実がなる木とか草を育てたいなって思ったの。リンゴとかモモとか」
「そりゃまた実用的だな、実のなる木がいいってのは」
 バスターはいつもの彼らしく、茶々を入れた。レアナがその言葉に頬を膨らませるかとバスターは思ったが、返って来たのは全く別のものだった。レアナは両膝を抱えると、先ほどと同じように笑ったまま返した。
「だってあたし、小さいころから戦闘機パイロットの勉強しか知らなかったから。武器で壊すだけじゃなくて、何か育てられればいいなあって。ずっとそう思ってたの」
 思いもしなかったレアナの告白だった。バスターはうつむいたレアナの横顔を見つめた。彼女が軍の研究の一環として「実験材料」も同然に育てられたというかつて聞いた記憶が、バスターの脳裏に引き上げられた。
「それにね、きれいな花が咲けばうれしいし、実がなればそれを食べておいしいって思えるでしょ? それって、あたしたちが生きるお手伝いをしてくれるってことじゃない?」
 バスターはレアナが話した「夢」がたわいもないものどころか、心からの願いであることに気付かされた。レアナの性格を考えれば、彼女には「壊すこと」よりも「育むこと」のほうが向いているし、何より彼女自身がそれを好むだろうとも同時に思った。このTETRA艦内に飾ってある観葉植物の世話にレアナが熱心なことからも、それは明らかだった。
 不意に、レアナを不遇に追いやった者たちへの怒りがバスターの中に湧き上がった。それは具体的には彼女から両親を奪った者や、彼女を格好の実験対象とみなしていた軍施設の研究者たちであり、大意で言えばその運命を定めた神であった。
 だが、レアナがもし違う人生を歩んでいたら、バスターは彼女と会えなかったかもしれないのだ。バスターにはそんな世界は考えられなかった、レアナと出会えない世界など。ならば、自分にだって憤怒を覚える権利などないのではないか? そんな事実にも気付いたバスターは、他者への怒りと引き換えに、己のエゴを恥じていた。
「バスター……? どうしたの……急に怖い顔して?」
 バスターが我に帰ると、レアナが心配そうに彼の顔を覗き込んでいた。バスターが黙り込んでいたのは数分ほどの間だったのだろうが、意味もなく髪の毛を掻き揚げたりして、慌ててしかつめらしい顔を取り繕った。
「……い、いや。そうだな、そう聞くと、そういう木を植えるってのはいいことだろうな。地上は瓦礫だらけで殺風景だろうし」
「でしょ? きっと艦長もガイもクリエイタも賛成してくれるよね?」
「間違いないな、それも」
 レアナは顔の前で両手の細い指を組み合わせ、嬉しそうに笑った。バスターも調子を合わせるように笑った。もっとも、彼の場合は内面の動揺を隠すためでもあった。けれど、その本心はバスターの想像以上に大きかったらしく、隠し切れなかった。
「……けど、お前も戦闘機乗りなんぞにさせられなきゃ、木を育てることぐらい、子供の頃に出来たのにな……」
 自分の口からこぼれ出た呟きに、当の本人であるバスターが驚いた。咄嗟に口元に手をやり、目を伏せていた。
「悪い、俺こそ妙なこと言っちまった……すまない」
「え? どうして?」
 バスターが目を戻すと、レアナはきょとんとしてバスターを見つめていた。
「パイロットの勉強の他にもやりたかったことがあったのはもちろんだけど……パイロットだって大事なお仕事だもん、そうでしょ?」
 にっこりと笑ってレアナは同意を求めてきた。その無邪気な笑みは、彼女が嘘などついていないことを明確に証明していた。
「それに、パイロットにならなかったら、あたしはここにいなかったかもしれないし。それって、バスターにもTETRAのみんなにも会えなかったかもっていうことじゃない。そんなのイヤだよ。だから、あたしは今までをもったいないなんて思ってないし、あたしは今のあたしでいい……そう思ってるよ」
「お前……」
 バスターはそれ以上、何も言えなかった。まるで「レアナに巡り会えない世界を否定した彼の心」を見抜いたかのような、なのにそんな考えの自分を責めるバスターを包み込むかのような、レアナの暖かな優しさの前に。バスターはレアナの肩に置いた手に、改めて力を込めた。それがバスターの返答だった。
「たくさん植えて、たくさん育てたいね」
「そうだな」
「地上は広すぎるもの、テトラのあたしたちだけじゃ」
 レアナは自分の肩を抱くバスターの胸にそっと寄りかかった。室内にはピアノソロが響いていた。切なげだけれど柔らかな音色は、穏やかな恵みの雨のようだった。



あとがき


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